32歳、初産。計画無痛分娩出産体験記 vol.3 - 計画無痛分娩レポート
の、続きです。
今回は、自身が経験した計画無痛分娩の流れについてまとめました。
気づけば7千字超え。非常に長いです。
一部産科医療や育児に関する自身の経験や個人的な意見を綴っていますが、あくまでいち個人の思い出話として穏やかな気持ちでお読みいただけますと幸いです。
計画無痛分娩を選んだ理由
私は今回、初産ながら計画での無痛分娩を希望していました。
基本現場仕事である夫はまとまった育休取得が難しく、退院後は基本ワンオペになりそうなことが分かっていたため、できる限り身体へのダメージを軽減させて早く通常生活を送れるようにしたいと考えていたからです。
また、医学の進歩をしっかりと享受して、効率的なお産体験をしてみたいという思いもありました。
初産で計画無痛をさせてくれる産院はあまり多くないようなので、通える範囲で素敵な産院が見つかったのはとてもラッキーだったと思っています。
予定日の決め方
分娩日を選ぶ際は
「予定日2週間前からならいつでもOK!好きな日にちを選んでね!」
と言われていて、
「私たちが子どもの誕生日を決定するのか・・・」
と、不思議な力を宿されたような気持ちになりました。
なお、私がお世話になった産院は基本的に24時間365日いつでも無痛処置が可能でしたが、病院によっては夜間や週末は麻酔科医が不在で処置できないケースもあるようです。
私たちの場合、元々の出産予定日は6月2日で、計画分娩もその日に予定していました。
ところが、予定日2週間前の検診で
「もう子宮口が2.5cmくらい開いてるから、今すぐでも誘発できちゃうよ!予定日までは持たないね!」
と言われ、バタバタと予定日を10日ほど早めることに。
新たな予定日は検診日から1週間後の5月24日になりました。
それまではあまりにスケジュール通りすぎて、直前の健診の際も
「異常なし!オンスケ!はいさよならまた来週!」
という感じだったので、お産というのは本当にいつ何が起こるかわからないものなんだなあと実感。
ちなみに、本来の予定日は大安に一粒万倍日と母倉日が重なるとても縁起の良い日だったので、少しだけ後ろ髪引かれる思いもありました。
普段はあまり日の良さなど意識せず生きていますが、我が子の誕生日を選べるとなるとなんとなくこだわりたくなったのは親の性(?)でしょうか。
それでも、何よりも早く我が子に会えることになりワクワクする気持ちと、いよいよ我が身から人間が出てくるのだという未知の体験を前に、入院申込書などを書きながら急な緊張感が全身をピリッとさせたことをよく覚えています。
入院1日目(麻酔処置)
私がお世話になった産院では、初産での計画無痛の場合、下記のような予定が組まれていました。
予定通り行けば、全体で5泊6日の入院期間となります。
私も例に漏れず、計画日前日、5月23日の午後に入院。
病室へ入る前にNST(ノンストレステスト。赤ちゃんの状態を確認するための検査)と問診を済ませて、夕方頃に病室へ案内されました。
個室の予約でしたが、その日は病室がいっぱいだったので(常に満床の人気院)大部屋で過ごすことに。
院内着に着替えたり点滴のルートを確保したりして、付き添ってくれていた夫と義母に見守られながら美味しい病院食を堪能し、19時頃に2人は帰宅。
麻酔の前処置
いまいち全体の流れがよく掴めないまま夜を迎えて、19時半頃に無痛分娩のための硬膜外麻酔の準備をするため、手術室へと呼ばれました。
手術室に入ると、目に入ったのは血のついたシーツが敷かれたままの手術代。
おそらくそれに気づいていない看護師さんから
「じゃ、台に上がって横になってね〜」
と言われ、思わず
「あの・・・戦いの痕が見えます・・・!」
と申告したところ、急いでシーツを替えてくれました。
(産まれたら分娩フロア中にバースデーソングを流してくれるのですが、私の入院中は1日に4,5回は流れていた気がします。めちゃめちゃ忙しそうでした。)
麻酔の処置は、手術台の上で行われました。
人生で2回目の手術台、流産手術の時とは全く違う心持ちで台に上がり、大きなお腹で横になります。
この時、横向きになり膝を抱える形で腰を小さく丸める必要があるのですが、なんせ臨月のどでかい腹が邪魔してなかなか膝が掴めない。
看護師さんに「ぎゅっ!!」と頭とお尻を両手で挟んでもらい、やっとこさ丸まった姿勢になれました。
硬膜外麻酔のチューブを入れる処置は、人によっては結構な痛みを伴うようですが、私は割と痛みに強い方なのでチクッとするくらいでした。
むしろ背中に触られることの方が苦手なので、消毒などで腰を触られるたびにくすぐったくて動いてしまい、「動かないで」と軽く叱られました・・・😇
また、テスト薬剤を入れてチェックしている途中、チューブが少しずれたようで右の腰に軽い鈍痛があり、「ちょっと痛みが出ました」と伝えるとすぐに対処してくれて痛みがなくなりました。見えないところを的確に微調整する麻酔科医の先生、かっこいい。。。
夜の内診
麻酔の準備は20分ほどで滞りなく終了し、病室に戻ってからは再度NSTを受け、赤ちゃんに異常がないことを確認。
その後21時頃に内診に呼ばれ、夜の待合室をドキドキしながら通過し、内診室へ。
「子宮口の開き具合次第では、バルーンを入れて開かせる必要があるかも」
と言われていたのですが、この時点で約3cmほど開いていたため処置なしで眠りにつけることに。
バルーンは痛いと聞いていたので、ほっと一安心するとともに、最後まで優秀な妊娠期間を過ごさせてくれた我が子に感謝でした。
部屋の移動
内診後は、なぜか一時的に手術室とナースステーションの間にあるリカバリー専用個室へ移動させてもらえたので、帝王切開中の方のリアルな会話とバースデーソングを聴きながら、依頼が来ていた副業の作業見積もりをしていました。(それくらい、色々スムーズでかなり気持ちに余裕があった。)
22時頃に陣痛室(分娩が始まるまで過ごす部屋)に空きが出たとのことで移動させてもらい、助産師さんにもらった柑橘のアロマの香りがするガーゼを病院着の胸元に貼り付けて、ベッドに横になりました。
内診の刺激からか若干の生理痛くらいの腹痛があり、いよいよ出産という高揚感も相まって寝つきはあまり良くなかったのですが、睡眠管理に使っている Oura ring のレポートによると、夜中2時頃から朝6時まではしっかりと眠れていたようでした。
入院2日目(促進剤投与)
朝6時頃に助産師さんが起こしに来てくれて、促進剤投与前のNST。
この時は腹痛が落ち着いていて、陣痛じゃなかったのか〜と、進み具合がちょっと心配に。
トイレに動いてみたり、陣痛を誘発すると言われる足ツボを押してみたり。
そんなこんなで、計画日当日の内診を迎えたところ「いい感じ!」とのこと。予定通り午前9時から促進剤を開始することになりました。
いよいよ分娩室へ
促進剤開始前に、夜を過ごした陣痛室からLDR室(陣痛・分娩・回復までを行える部屋)へ移動。
大きな窓から明るい空と青々とした木々が見えて、清々しい気持ちでいざ分娩台へ上がり、まずは腹ごしらえ。朝ごはんもすごく美味しかった。
朝食後にトイレに行ったところ、内診の影響かしっかりと出血していて「これがおしるし・・・いよいよか・・・!」という気持ちに。
促進剤開始
NSTをつけて、9時ぴったりから促進剤の投与が始まりました。
30分に1回、12mlずつ量を増やしていき、大体3回目(36ml)くらいから陣痛が始まる人が多いとのこと。
痛みレベルは3~4(スマホをいじる手が止まるくらいの腹痛)からが麻酔開始の目安だと説明を受けました。
9時半頃に夫が病室へ到着した頃には、少しずつお腹に違和感が出始めていて、痛みレベルは1.5(少し重めの生理痛くらい)くらいになっていました。
夫と談笑しながら副業の作業をしたり、同じ産院に通う友達の車を見つけてはしゃいだりして、本当に分娩待ち?ってくらい穏やかな時間。
麻酔開始
促進剤開始から2時間が経過した午前11時頃、助産師さんから
「あなたは痛みに強そうだから、痛みの体感レベルが低くても早めに麻酔入れた方が良いかも。じゃないと効きが間に合わない可能性があるから。」
と言われ、いよいよ麻酔を開始することに!
ベッドを倒して薬剤が満遍なく回るようにしてもらい、3回くらいに分けて麻酔を投入。薬剤がチューブを伝い、身体に入るタイミングで背中がひんやりとして気持ちが良い。
入れ始めの5分間は、助産師さんが付き添って重篤な副作用が出ないかどうか見守ってくれるとのことで、のんびりとおしゃべりをしながら過ごしました。
(ちなみに、前日の妊婦さんで副作用が出てしまった方がいたとここで聞いて、心中穏やかではなかった。笑)
30分ほど経過した頃、下半身がふわふわとするような感覚になり、アルコールを含ませたガーゼで触っても冷たいと感じなくなってきました。
定期的に麻酔の効き具合をチェックしてくれて、効きが悪くなると追加してくれるので、NSTでの張りレベルが100になっても痛みはゼロのまま!
(張りレベル100は、自然分娩なら正気を保てない方もいるレベルだそうです)
進まぬお産
ただ、昼食後の内診でも子宮口の開きが3~4cm程度とあまり進行しておらず、15時くらいに子宮口を柔らかくするための筋肉注射を打ちました💉
夕方頃に産まれる予定と伝えていたので、義母も病院へ到着したものの、進みが遅くすぐには産まれなさそうという判断になり、そのまま夜ご飯をいただきました。
※ 病院によっては、無痛分娩で麻酔を開始すると食事NGになるところもあるようです。私がお世話になった産院は、麻酔後も普通通りしっかりとご飯を食べることができて、長時間でも美味しい食事を楽しめたのでよかったです🤤
その後、当日中には産まれなさそうということで、翌日へ仕切り直すことに。
一旦促進剤を停止して、導尿カテーテルを入れてもらって夜を迎えました。
21時頃、夫と義母にも一度帰宅してもらい、私はそのまま分娩台の上で寝ることになり、お布団を敷いてもらいました。
麻酔は入れっぱなしなので、下半身が全く動かずお布団敷いてもらうのも大変だった・・・!
入院3日目(いよいよ分娩!)
LDR室でお布団に横になり、うとうとしていた夜中2時半。
お隣から苦しみの叫び声が聞こえてきて目が覚めると、すぐにバースデーソングが流れてきました。
「めでたいな〜🎉」という気持ちと、「産みの苦しみコワイ・・・」という気持ちで、自分の分娩を想像して少し怖くなってみたり。
ずっと左向きで寝ていたので、右側の麻酔の効きが悪くなり追加してすぐに解消。
ちなみに、麻酔の追加は手元のボタンを使って自分で行います。一度ボタンを押すと、一定時間は再投入できないようになっていました。
夜中の間ずっと明るい安村の「東京ってすご〜い〜」のリズムに合わせて「麻酔ってすご〜い〜」が頭の中でリピートして、お隣誕生の興奮も相まり眠れないままぼんやりと部屋を見渡していました。
いつの間にかうとうとしていたら、午前6時頃に助産師さんがNSTの紙を交換する音で起床。
お布団を回収してもらい、介助されて洗顔と歯磨き!麻酔で足の間隔がなく、介助があっても歩くことが困難で、なんだかじんわり恐怖を感じました。
午前7時、導尿カテーテルを抜いて内診してもらったところ、子宮口が6cmまで開いており「今日こそは産まれるね!」とのこと。
ずっとベッドの上から動けずにいたのと、寝不足と緊張感が続いていてやや疲れ気味だったけど、「もうすぐ会える!」と思うと興奮で目がギンギンに。
促進剤再開
朝ごはんもしっかりいただいて、午前9時ぴったりから促進剤を再開。
9時半頃に夫も到着し、前日と同じようにまどろみながらも穏やかに談笑する時間が続きました。
「明るいうちに産まれそうだね〜」と言われていたものの、あっという間に14時になり、進行具合に不安を抱き始める私たち。
ですが、内診してもらったところ子宮口はもう9cmほどまできていて、「赤ちゃんが出口を探しているのが分かるよ〜!」と言ってもらえました。
分娩に向けて導尿カテーテルを再度入れてもらい、準備万端!
となったところで、急な吐き気に襲われて嘔吐。麻酔の影響だったようです。
人工破水
子宮口を柔らかくする筋肉注射を2回打ってもらったものの、なかなか全開にならず・・・。
夕方18時頃、産科医の先生に内診してもらい、卵膜をハサミでカットし、人工破水!私の筋肉質な体質のせいか、卵膜がとっても硬くてなかなか破れなかったみたいでした。
内診も卵膜カットも、麻酔のおかげで何にも感じなかったのだけど、破水した瞬間の「ビシャアアッ」って音が聞こえて驚き。おそらく結構な範囲に飛んだと思うけど、先生は慣れた様子で避けていました。
破水後、赤ちゃんの心拍が少し苦しそうになってきたと言われ、促進剤を減らすことに。(無理に促進させると、赤ちゃんが頑張りすぎて疲れてしまい、出てこれなくなることがあるとのことでした。)
いきみ始める
NSTで赤ちゃんの様子を確認しながら、いよいよいきみの練習を開始!
麻酔が効きすぎてお腹の張り具合がわからなくなっていたので、助産師さんから合図をもらって「吸って、吐いて、下腹に力を入れて止める!」を繰り返す。
足に力が入らない上に、私の腕の短さにより分娩台の手すりがうまくつかめず、いきむのがめちゃめちゃ大変でした。痛みは全くなかったけど、部活の筋トレを思い出すしんどさ。
2時間くらいいきんで逃してを繰り返し、途中また嘔吐。
疲れが溜まってきた午後20時頃、わらわらと先生たちが入室!
いよいよ分娩
院長先生がパッと様子を確認して、「少し会陰切開するね」と教えてくれました。もちろん切られたときも痛みはゼロ!麻酔ってすご〜い〜。
会陰切開後、数回いきみを繰り返したら「もう出るから休んでいいよ〜」と言われて、「おやおや?」と股の方に目をやると、そのままスルンと娘が出てきました。
産まれてすぐの娘は、狭い産道を長時間かけて出てきてくれたおかげで、頭が結構な形にひしゃげていて、一瞬最悪の事態を想像してしまいましたが、すぐに元気な産声が聞こえてきてほっと安堵したのを覚えています。
夫も、隣で声を震わせながら「がんばったね、がんばったね」と私の頭を撫でてくれました。
娘は、助産師さんが取り出す際に
「出てくる出てくる、わ〜っ、頭がふさふさ!!わ〜〜〜っ!目もぱっちり開けてる!かわいいね〜」
と言ってくれた通り、ぱっちりお目目にふさふさの髪の毛を携えて産まれてきました。かわいい。
分娩直後の過ごし方
私が胎盤の処理と会陰切開の縫合をしてもらっている間、娘は羊水を吸い出して体をきれいにしてもらい、小児科の先生に手際よく全身をチェックされていました。
そしてお互いが落ち着いたタイミングで私のもとにやってきて、カンガルーケア。生まれたての赤ちゃんは赤くて小さくてふにゃふにゃで、とにかくかわいい。
「こんな天使のような人間を生み出してしまった・・・生命の神秘・・・」
なんてことを考えながら、わちゃわちゃと写真撮影をしたり家族へ報告したりしていたら、あっという間に22時。
夫と義母が帰宅した後、私も娘と一度お別れをして、体調チェック。
歩けそうなら入院部屋へ移動しましょう、と言われたものの、麻酔が効きすぎて足の間隔がまだ戻っていなかったので、そのまま分娩台でもう少し休むことに。
夜ご飯も運ばれてきたけれど、疲れと産後のダメージで全く食べれなかった・・・。
無痛分娩で痛みは全くなかったものの、やはり身体にはかなりのダメージがあったようで、産後すぐに急な発熱と吐き気、激しい震えがありました。
1時間ほど横になったらだいぶ楽になり、足の感覚も徐々に戻ってきたので、トイレを済ませて大部屋のベッドに移動して、不思議な高揚感と疲れでそのまま意識を飛ばしてました。
ちなみに、産後初めてのトイレは、痛みを想像してめちゃめちゃ怖かったけど、全然痛くなかったです。麻酔のおかげかな?
出産を経て
10ヶ月間一心同体だった娘が、ひとりの人間としてこの世に出てきた日。
今でも思い出すと目がじんわりと濡れてしまうような、忘れられない一日になりました。
私たちの元に生まれてきてくれて、家族になってくれて本当にありがとう。
これから、ありったけの愛で守っていくね。
ちなみに、予定日から1日遅れで産まれた娘の誕生日は、日本の猫の殺処分ゼロを目指す 株式会社ネコリパブリック さんが制定した『ホゴネコの日』でした。
5月25日を「0525」として「ホ(0)ゴ(5)ネ(2)コ(5)」(保護猫)と読む語呂合わせだそうです。
保護活動について常々考えている母の意志をしっかりと継いでくれそうな巡り合わせだなあと、なんだかじ〜んとしました。動物たちの幸せについてしっかりと考え、愛に溢れる優しい子に育ってくれたら嬉しいです。
次回は退院後の入院期間についてレポートします📝
つづく