なまえ

わたしの名前にはやわらかさがない。

同じ名前の人はたくさんいるし、苗字と名前の組み合わせも、多くはないけれど日本中探せばたぶんいると思う。とくだん珍しい名前ではない。

同じ名前の女優さんがタフなタイプの人だとか凛々しい見た目の人だとか、そういうことからくるイメージでもない。

音の響きや字の形が、強くシャープネスで、全体的にすこしコントラストがきついような、じぶんではそう感じている。

きっと、名前からすでにわたしは、ぼかしをかけたような柔らかさは醸せないし、わたしが一番耳にしているわたしの名前の響きは、少なからずわたしの人格形成に影響していると思う。

毎日そのことばで呼ばれ、そのことばを書き、それがじぶんであると幾度となく潜在的に意識する。

字の意味を辿ればとても爽やかでいて、あたたかみもあるような名前なので、自分の名前を嫌っているわけではない。

だけど人と接する中で、常にシャープで角ばっていると、密な点で固められているから他と溶け合いにくい。

そんなおり、誰がつけたか、いまは丸みをおびた、なんとも耳触りの良い"あだ名"で呼ばれています。

それはどうにも中途半端にくぎられた呼び方で、漢字にはどうやってもなり得なくて、でも必ずわたしの名前である要素をもっています。

その斬新な呼び方でわたしにやわらかさを与えてくれた誰かの、その一滴のおかげで、それは一気に浸透し、わたしにも染み渡り、ふわっと角が薄れて、

確たる強さを内包しつつ、優しく滲み混ざり合いはじめたのです。

#エッセイ #たわごと #名前 #なまえ


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