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映画「小学校〜それは小さな社会〜」鑑賞|日本式教育に自分自身を問う99分

12月13日より公開された山崎エマ監督作品「小学校〜それは小さな社会〜」を鑑賞してきました。やんわりと #ネタバレ がありますので鑑賞前にお読みになってくださる方はご注意を。

この作品は、日本式教育とも言われる掃除や給食配膳といった授業以外の特別活動(TOKKATSU)に着目されています。私たち日本人の多くが小学校時代に経験してきた身に覚えがありまくる日々の連続。ありふれた公立小学校の学校生活を見つめ続ける99分間。鑑賞後、小学校生活が「私」という存在にも大きな影響を与えていることに気付かされた。

「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは"日本人"になっている」

作品公式サイトより

この言葉や作品そのものが突きつけてくるものに、ポジティブな印象ばかりを受けるわけではない。映画が始まってしばらくの間、なんとも居心地の悪いような、バツが悪いような、私の心の中はそんな時間が続いた。

規律と責任。自由はどこ?

映画は小学1年生と6年生の数名にフォーカスが当てられて進行していく。冒頭は入学初日。小学校に入って早々、上履きを綺麗に並べること(のちに上履きの並べ方を評価されるシーンも)や手の挙げ方や返事の仕方の指導がされる。制約と自由に悩ましさを吐露する先生の声も(この1年生の担任の先生、わたなべ先生が終始とにかく素敵でお会いしてみたい)

撮影時期は2021年のコロナ禍真っ只中で、そうした意味でも制約があまりにも大きかった小学校という小さな社会での葛藤がひしと伝わってきた。

私は放課後の居場所づくりを行う組織に属していることから、学校との役割分担という意味で比較をして捉えることもある。この作品を鑑賞する直前にフリースクールと学童保育を行なっている居場所に遊びに行ってきたことも重なって、"みんなと同じ"に窮屈な思いを抱かずにはいられなかった。

私たちは、いつどうやって日本人になったのか

作品の中で6年生が1年生の学校生活をサポートするシーンが特に前半度々出てくる(あるよね、あるある)。また誰かに困難が生じた時の周囲の子どもたちの行動が丁寧に描かれている(これらもあるあるが止まらない)。あえてその1つ1つをこの日本人ということに結びつけてくるわけではなく、でも確実にこういうことがいつもの中にたくさんたくさんある(あった)ということを何度も思い出させてくるのだ。

私はしばらくもどかしさや居心地の悪さを感じていたのだけれど、國學院大学の先生が小学校の先生に講義されているシーンの言葉も印象的で、短略的に紐づけてはいけないが、そのもどかしさをちゃんと受け取っていますよと伝えてくれているようでさらに小学校という社会がより解像度高く見えてくる。

この小さな社会の中にいる、先生たち

登場する先生たちも、今まさに教壇に立たれている公立小学校の先生たち。色んな声があるだろう中、こうした作品をよくぞ世に出してくださったと、特に先生方に対し、感謝の思いで鑑賞した。

「自分は今の時代に合っていないのかもしれない」「報われないこともあるけれど、数年後につながっていたら」「どうしてオリンピックはやるのに日光(修学旅行)には行けないんだろう」「〇〇さんならできる」

これはセリフではない。先生方お一人おひとりの声。日々。
前述のわたなべ先生や音楽の先生が一人の1年生に向き合うシーンがあって、その子自身の一瞬一瞬にも心が揺さぶられ、涙が止まらなかった。

映画は小学校の1年間を追い、最後は新年度を迎える様子で幕を下ろす。日本の小学校の春がまたやってきて、否が応でも私自身に目を向けさせてくるのだ。

今、小学校を知ることは、未来の日本を考えること

日本の学校のあり方に近年様々な声が聞こえてくる。海外との比較も容易にできる時代となり、なぜ北欧のような教育はできないのかといった声も度々聞かれる。先生の働き方などにも注目が集まりあちらこちらで現場を知る人も知らぬ人も話題に上げて教員不足などのニュースばかりが注目される。

日本式教育とは何か。この作品を通して、ものすごく大きな矢印を自分自身に向けられるので劇場で体感されることをおすすめいたします。

あぁ、いろんな人と語りたい。
放送室のシーンが常にグッときて大好きでした。

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すずきかおり
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