親父とパイナップル
母親がなくなってすぐ私は親父との暮らしで母のやっていたことを全部やらなくてはいけなくなった。
当たり前みたいにやっていたことだが徐々にストレスがたまりなぜ私がこんなことしなきゃいかんのだどいう想いを
世間で言う結婚しなかったからだ
自立できてないに違いない
そんな負のイメージまで背負いつつやんなきゃいけないことに3年で随分押しつぶされていたのだと思う。
その反面
よくお父さん手名付けていますよねとも言われる。
お父さんと仲いいねとか。
褒めてくれてるんだろうがお前に何がわかるんだこのすっとこどっこいと思っていないわけではない。
さて、母がなくなって私は母の使っていた台所をそのまま使って食器も父が好むものを使いひたすら料理をし続けたわけだが
母が亡くなってから親父のわがままがすげーことを思い知らされた。
何でも食うけど一言多いし、実際好き嫌いがあったのを母親いないことをいいことに前面に出しやがるのである。
鶏肉やだ。青魚やだ。
食うけどいう。
もう少し味濃いほうがいい。
うるせーくそじじぃと思っても塩分控えながら土井先生の写真見て何とかやってやると2年頑張った。
血圧が上がれば対処し糖尿のけがあると言われれば対処した。
体力のことを考え体重もストレスなく落とさせて食事管理は母が癌になったころから私の役目だったわけで完璧にやり通したと思うが
それでも爺さんだから病気はする。
掃除と洗濯も今まで男と暮らしてきた知識しかない私にはかなりのストレスになっていたのだが
あるとき私が倒れたら
親父が洗濯物を無茶苦茶に干していたことがあった。
なんというか芸術的すぎて
ほっといた。
むしろ
洗濯できるじゃねぇかと、洗濯物をかごに入れて私はほかの事で忙しいとアピールしてみた。
たためない洗濯物がなんだか芸術的に丸まって私の元に届けられたんだが
本人はたたんだきでいるのだとおもう。
親父のタンスにぐにゃッと丸まったシャツがなんだか肉まんみたいに詰め込まれていたけど
出来るじゃねぇかとほっといた。
弟が私を見舞いに来た時親父が弟に
「シャツって丸まっててもシャツだね」と言っていたのにはさすがに受けた。
哲学だなと弟も笑っていた。
ほっといたらハンガーを使ってほし出したりしたので完全に洗濯を丸投げしてみることにしたんだが
相変わらずたためないし芸術的な干し方なのに
「ロシ子!洗濯物ある?」
と聞くようになった。
どこに自信を持ったかわからないが何か面白くなってきちゃったんだろう。
しかし偶に生乾きのシャツがあることは否めない。
あきぐちになればそれもよくある。
そして、雨が降って私が洗濯物を取り込んだりするとびしっと干しなおされていることがあったわけで
プライドの高い親父はそれを見ると私に何も聞かずじっと窓の外をみて
「なるほどね」と漏らすことがあった。
最初におやじが洗濯の質問をしたのは一週間くらいたってのことで
夕飯時に食卓に
これはどう使うんだと柔軟剤を持ってきたときだと思う。
しかたねぇなと柔軟剤の使い方を教えると
間髪入れずえり汚れを取る石鹸と漂白剤を持ってきて説明してくれと言ってきた。
ご飯をつつきながら説明すると
次の日いいにおいのするタオルをたたんで
なぜか私にもってきて
「ジューナァンザーイイズグー―――」と英語発音で言ってきたときは
お前は小学生かよと思った。
洗濯をするのがどうやら好きらしいと思ったので洗濯は偶に私はさぼることにした。
週に一度はできるだけ親父と買い物に行くことにしていて食べたいものをかごに入れさせていたのだが
体調を崩したことを機に買い物を頼むことが増えた。
買い物メモを渡しても
電話がかかってきてスーパーのどこにそれがあるかわからないと数分おきに言ってくる。
もう店員に聞けよってレベルだが
あえて
アタシも忘れた。知らん。なきゃないで買わんでいい。
というと
むきになって買ってくる。
なんならいつものスーパーじゃないとこにまでいって買ってくることもあった。
かえってくるとただいまじゃなくて
「ミッションコンプリート」と言い出す。
どんだけ大冒険だよと思うんだが
ついでに散歩して来たと2時間くらいかえってこなかったりするのは勘弁してくれと話した。
買い物が楽しくなっちゃったらしく
夕飯前に
「何買ってくればいい?」と言い出すようになり
気が付いたら
「なんでスーパーによって豆腐の値段があんなに違うんだよ!!」
とか言い出すようになった。
まぁいいんだけど
おかげて豆腐頼むととこほっつき歩いてんだか一時間以上帰ってこない。
仕方ないので
買い物頼んだときは夕焼けチャイムまでにかえってこねぇと飯作んねぇぞぼやいてみた。
親父は少し怪訝な顔をした後
ホワイトボードを冷蔵庫に貼って
いつでも行けるように買い物してほしいものを書いとくれと提案してきた。
そこまでするかね・・・
あるとき古くなった鍋を捨てようとすると
親父が捨てずに台所にこもりあほみたいに磨いた。
いい話だと思ったろ
怪力のおやじはそこの部分をすりきらせて穴をあけた。
あのな
そもそも安物だったからそれボロボロなんだよ。
それでもピカピカになったのがうれしかったらしく
その日3時間くらいシンク廻りとほかの調理器具を磨き続けた。
なんか面白くなっちゃったんだろと思って
風呂でこれ磨けばいいよ。シンクだと腰やられるだろと言ったら
風呂まで磨き始めた。
豆腐を買いに行くと2時間かけるが、予算内なら好きなものもかつていいというと母の仏前に何か買ってくるという癖がついた。
二時間くらい多分いろんなところで悩んでるんだろう。
花を買ってくることもあった。
母の生前は、私と出かけた時だけ
親父。嫁に土産を買ってかえれよとゴリゴリと私が言うと渋々買っていたような父だ。
何を買えばいいかわからないと最初は言っていたが母が必要以上に喜ぶのを見て
わたしと出かけると仕事でも癖のようにお母さんのお土産を買うようになった。
決まって照れくさそうに親父は
ろしこが買えっていったと言って渡していた。
母も母で
だろうと思ったよと言いつつちょっとしたものまで非常に喜んだ。
仏前にパイナップルが置かれたことがある。
先に言うが母がパイナップルをすごく好きだったわけではない。
母の前に置かれたパイナップルを見て
「あー、見た目的に派手だな。いいね」と私が言うと
「でしょ?安かった」と主婦みたいなことを言う親父。
「でもめんどくせぇよパイナップル。むくのめんどうだから母ちゃんも買わなかったぐらいだ」というと
「俺に任せろ」と言ってうれたパイナップルを持っていき独創的なむき方でパイナップルをむいた。
冷やして食べると非常においしくて、形なんてどうでもよかったわけだが
「パイナップルはおれがむくからな」とその日言ってから
親父はパイナップルをよく買ってくるようになった。
弟におやじがパイナップルを出しながら
「ねぇちゃんな。パイナップルむけないんだぞ」と笑って話す。
出来ることを探して
母の面影をおいながら親父も必死に生きてる。
ほんとはパイナップルむけるけど
「どうも苦手なんだよな」と笑ってみる。
母ちゃん私えらいだろ。
仏前にあげたらパイナップル
甘くなってる気がするわ。