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キャニコム、アメリカへ④

前社長は副社長というポジションで復帰。社長は自分がやることになった。2005年9月の話。入社して1年半での話だ。それはそれで能力はありませんが、順当な選択になるのですが、、、

アメリカで何かしら爪痕を残さないとオメオメと帰ることができない。どうしたものかと一番悩んでいた時期でもあり、まずは就労ビザをどうするのか?という話だ。現地の自動車免許については現地のテスト(日本語もある)を受けて、合格をした。そしてその足で配送用のピックアップトラックを購入し、居住も決めた。アメリカでの生活は慣れたかというと英語がまず話すことができないというハンデがあるため、色々な方法を試した。それでも日々は過ぎていく。ビザが無いばあは出張ビザ(B)で半年、観光ビザで90日間という縛りがあるため、何とかして就労ビザはとらなければならない。

結論として投資家ビザとして(E)を取得することができた。

これを取る経緯についてはそれをネタでお金を取っている方もいるから詳しくは書けないのですが、学歴(院卒orMBAも印象が良くなる)、賞罰、日本での職歴、年数、給与が重要視される。もちろん現地側のレターも必要になる。現在は自身のビザも4回目の更新が終えて20年間は米国ビジネスに携わることができることになっている。

こういった会社として当たり前のことがなかったが、会社としての最低な部分が整ったのです。後は販売に注力する。そこが今後のポイントになる。

まずは展示会に出展しよう!!!

米国に限らず世界中にいろんな展示会がある。
我々の狙いとしては農業だったのでAgri の展示会を中心に展開をした。ワシントン州は米国第三位の農業業出荷地域。フロリダ州、カリフォルニア州に続く農産地域なので色々な場所に車とピンクレディー(BFP602)を持ち運んで、たまには草刈機まさおを乗せてワシントン州中を走りに走った。オレゴン州、アイダホ州、カリフォルニア州も含めて車で至る所を走らせてデモに行った。しかし全く結果が出ない。

法規制の問題で乗用の機械にはROPS(Roll Over Protection Structure)という転倒時に機械が人をケガをさせないための構造体でないと販売ができないという法規制が決まったからだ。またシートベルトは3インチという条件で調達することが容易ではなかった。まずはどうするのか?ROPSを自社で作ることができるのか?それともアメリカ国内で製作できる会社を探さなければならないのも急務だった。

一般的な機械の対応年数は土木建設機械で2000時間がラインという。ただ小型機械に関しては使用頻度などもあり、当時は500時間が一般的だった。それに対応するベースなので、ROPSという機構を追加するとフレームが強化されいない状態のままだったため、構造上の問題が多く生じた。フレームの強化策、テスト機関の認証などを莫大なコストが試算され、実質アメリカ向けの製品開発自体がストップしてしまった。アメリカに来て販売できるのがピンクレディーの二機種。しかも関税が25%という中、どうやって売上を計上していくのか四苦八苦することになる。

当面は組立と配達を二人でやるか。。。ホテルもMotel6をシェアしながら奇妙な日本人とカナダ人副社長との苦悩と赤字に悩まされる日々は続いた。

アメリカで売れる商品を開発しなければ、関税の障壁をどう突破するのか?後は楽に組立ができたらな、、、、ぼやく日々。。。

続きます。

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