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キャニコム、アメリカに。

2004年9月13日に突然のサヨナラと宣言されパニックになる。

英語はもちろん話すことができない。基本的に考えが甘かった。誰か話してくれるもんだろうと高を括っていた。しかも機械知識もない。法にも詳しくない。ただ3か月間本社工場でピンクレディー(BP416、BFP602)の2機種、草刈機まさお(CM1801)のサブ組立てと言われる刈刃部分の組立しか経験がない。機械運転もまともにできない。車の運転も下手だ。

なぜ2001年9月1日に合同会社として設立した会社、Canycom Sales North Americaが突然、誰もいなくなったのか。

中小企業の海外進出の大きな問題点は人、物、金を投資が難しいという背景にある。また田舎の企業あるあるで、「お願いすれば、何とかなる」という浅はかな楽観視をしていた部分もあるのではないかと当時を振り返る。

最大の原因は方針と習慣の違いも理解ができなかった。

ポイントは「現金」で一切のL/C (Letter of Credit)を許さなかった背景もある。要は購入する際はすべて現金。前金じゃないと商売はできないという事。もちろん現在も途上国や新規のお客様に対しては前金だ。当時から入金してからでないとコンテナ出荷はさせないという徹底ぶりだった。負担はすべてお客様。なので販売も伸ばすことができない。そしてアメリカの法規制、製造物責任法(PL)も含め、英語の取扱説明書、整備解説書、認証など対応が限定的で100%の協力を本社から得ることができなかったのも要因だった。

それに加えて関税が突然のしかかることになった。農業用運搬車における関税は25%という輸入障壁もあり、益々米国での販売は岐路にたたされることになった。

現金主義、PL、関税、人、物など5重苦に立たされたCSNAは出資者全員撤退という憂き目にあい、2004年を迎え、しかも大赤字の債務超過。その内情を全く知らないお気楽気分で米国に来た24歳が初めて知る現実だった。

突然の「サヨナラ、お元気で」という手紙と現実。ここから現実と米国での生活が始まる。2004年9月13日の出来事。米国就労ビザ?なんでしょうね。まだそこにはたどり着けない。

続きます。

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