3回目のフルマラソンへ
中々悔しい2回目のフルマラソンが終わった。
次の日から仕事なので足の筋肉痛と戦いながら、朝一番の飛行機でシアトルに向かった。その中で考えていたのが、闇雲に走っていても意味がないということだ。どうすればいいのか?しかもどこでエイドを取ればいいのか、トイレに行くタイミングなどを考えてみた。
1キロ辺りを5分10秒~5分20秒で入れば行けるのか?最初の5㎞、10㎞をどう入っていくのか?などを考えて、作戦を練ってみた。
またBCAAなどのアミノ酸、アミノバイタルはどこで摂取すべきなのかも考えて2020年1月12日の鹿児島指宿である、いぶすき菜の花マラソンまでの調整を考えてみた。
まずもってイヤホンのバッテリーが持たないことに気づく。イヤホンの連続稼働が2時間30分しかない。ハーフまでは音楽を聴かず、ハーフから音楽を聴いて気を紛らわすという作戦だ。
そういった作戦を考え、準備万端で臨む予定だった。しかし1月は賀詞交歓会の時期というのを全く考慮していなかった。もちろんまだコロナ自粛前の時期だったので、1月は4日から前日の11日まで会食だった。ギリギリ新幹線に乗って夜9時に鹿児島中央に到着。それから朝の3時のバスで指宿まで向かうバスに揺られて1時間50分、5時前に到着をする。
本当に大丈夫なのか?このスケジュールとコンディションで。
もうとりあえず完走だけをして、東京マラソン2020に繋げるしかないという気持ちになっていた。ただ作戦通りに走ってみようという気持ちでした。
最初の5㎞は30分で入り、10㎞は1時間前後、そこからトイレという流れで後は、ソラマメ農家さん、お客さんに挨拶をし、豚汁、焼鯖などを食べながら走ろうという流れでした。
スタートは瀬古俊彦さんで、「最初に頑張っても意味ないからですね~♪ゴールしてからこそ意味があるんですから」という言葉がかなり良かった。
作戦通り、5㎞、10㎞と入りが29分、59分という流れから、豚汁などのエイドを楽しみ、トイレも10㎞過ぎに駆け込む。意外にも調子がいい。15㎞地点でも1時間20分台という流れで余力があった。指宿の特産品である「空豆」も頂きながら、かなり楽しみながら走れた。ただただ4時間は切れないでしょというイメージで距離を走った。
エイドポイントが充実しているせいか、沿道の人達の声援なのか、本当に楽しく走ることができて、ペースが上がってきた。
最後の38㎞周辺でBCAAのアミノバイタルの赤を入れて最後の坂を上りきることに成功。ほとんど人がこの坂を歩いており、歩いた方が最後の足にとってはいいことなのか?走ると影響するのではないか?などをよぎりましたが、まだ粘れるということで走り切った。
記録は3時間48分だった。
無事にサブ4を達成した瞬間だった。フルマラソン3回目にして初めてのサブ4達成という形なった。しかも30代ラスト1か月で。
で、練習は何をしたか?という振り返りです。
体重は変らず75㎏の体重、前日まで会食だったのですが、とりあえず長い距離をゆっくり歩いたり、走ったりした。
ジムでのランは週2回6㎞~7㎞を時速13㎞~10㎞の間を走り、時間があれば1時間11㎞前後まで走ることの繰り返し。2週間に1回は路上に出て1時間程度ゆっくり走った。
いぶすきでこのタイムであれば東京ではもっといいタイムがでるのではないのか?そういった安直の考えのなか、準備を進めていた。
しかしながら、コロナという猛威、コロナで国をまたげなくなるという話を聞いて急遽、渡米をしてコロナで国境封鎖になった場合の準備をした。
案の定東京マラソンは中止・延期になり、2020年4月の入国から2週間の自宅待機処置など厳しいコロナ対応をしなければならないという形になる。
もちろんその間はジムも閉鎖、飲食店も休業をとなった。
東京マラソンにはもう縁が無いんだろうね、、、という気持ちが芽生え、もうサブ4達成しているんだからいいんじゃないのか?など考えながらモチベーションが低下したまま2021年まで体たらくな体に戻っていた。体重も76㎏台を行き来しながら、再度東京マラソンを走る権利があることを忘れておきながら、自粛太りを満喫していた矢先。。。
2021年10月17日に東京マラソンが開催されるというメールがきた。
もう一度頑張ってみようとネジを巻く。4回目のフルマラソンのトレーニングが始まる。
まずは体重を減らそう。