シューマン《アベッグ変奏曲》
幼い頃から文学だけでなく、ピアノでも才能を発揮していたシューマンですが、ピアニストを志そうと、母親から許可を得て決心したのが1830年20歳頃です。
しかし1830年〜1832年頃にかけて、その晩学の遅れを取り返そうと機械を使った無理な訓練によって指の麻痺が残ってしまい、ピアニストになることを諦めなければなりませんでした。
絶望の中にありながらも作曲に専念し、クララと結婚するまでの10年間にシューマンらしい数々の名曲が生まれました。
《アベッグ変奏曲》作品1は出版されたシューマンの作品の第一号です。
1831年21歳の頃に出版されました。
小さな音のかけらを見事に変化させたり繋げたりして変奏曲を作るのが得意なシューマン。
この作品もある舞踏会で出会ったメータ・フォン・アベッグという女性の名前からヒントを得て作曲されました。
名前のABEGGをそのまま音名にあてはめて、「ラシミソソ」という音のかたまり(モティーフ)を使って6曲からなる変奏曲集を作曲しました。
それまでの様式にとらわれず、シューマンは思いのまま自由に作曲しながらも見事に新しい様式を完成させています。
※コードネームではBはシですが、ドイツ音名ではシはH、Bはシ♭になります。
シューマンはこの時、母親に次のような手紙を書いています。
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