一人一人が歌に想いを込めて
2022年11月13日(日) 16:00〜
長崎市のカトリック中町教会で開催される
れくいえむ〜祈りの灯コンサート〜 に出演します。
ご来場お待ちしております♪
この演奏会に出演するために、特設合唱団「祈りの芽」という企画団体を立ち上げました。
ちなみに「特設合唱団」を私のお家芸(?)で、その名を冠する企画を主宰するのは通算で6回目のようです。数えてみて自分でも少し驚きました。
演奏させていただくのは次の3曲です。
クスノキ (福山雅治/橋本剛編曲)
長崎出身の福山が、被爆したクスノキを題材につくった曲です。爆風によって半分しか残っていない「片足鳥居」も登場します。アレンジが曲のスケールを一段と大きくしています。祈りの芽 (田川海耕/岡田知理)
地元の友人とのタッグで曲を作りました。新作初演をします。詳しくはこちらのノートをご覧ください。
千羽鶴 (横山鼎/大島ミチル)
被爆50年の祈念に長崎市が長崎出身の大島ミチルに依頼して制作した楽曲です。毎年8月9日の平和祈念式典で演奏されているほか、長崎市では毎月9日の11時2分にこの曲が防災無線で流れます。
コンサートの趣旨に照らして、平和や祈りにまつわる曲を選曲・制作しました。
ピアニストは東京から、近藤大夢くんをお呼びしました。すでに先月、一度来崎してもらいましたが、その日の練習にいたメンバーは彼の音楽に圧巻でした。こんちゃんの人気は長崎でも健在です。
チケットは1枚1,000円で当日券もあるということですから、長崎にお住まいの方、ぜひ足をお運びください!
いろんなメンバーが集まったの。
さて、今回の特設合唱団は、私が今までに企画したどの団体よりも色んな立場・背景をもった人が集ったように感じています。
まず、年代は、高校1年生が最年少で、現役大学生、私と同世代の友人、私の1まわり、2まわり上の先輩まで参加してくださっています。
地域でみるとと、長崎市圏域にとどまらず、佐世保方面からもたくさん参加してくれます。他に、福岡、広島、東京からの参加者もいます。
合唱との付き合いでいうと、この舞台が合唱の初ステージという方もいれば、何十年と細々と歌い続けている方、中高の部活動ぶりに合唱をやるという人もいます。
主宰者(私)との関係性を見てみると、部活動の同級生・先輩・後輩、部活動とは関係のない旧友、部活動のOBOG合唱団の先輩方、東京で知り合った友人、友人の勤務校の生徒さん、妹とその友人たち、地元の大学のはじめましての方……などと非常に幅が広いと思います。
こうして約30名の方に集まっていただきました。ありがたい限りです。
強調したいのはこの多様性それ自体というより、むしろ、このメンバーでどんな化学反応が起きるのかという期待です。すでに新しいつながりや、この合唱団を立ち上げなければ生まれなかったであろうコミュニケーションがたくさん発生しています。
そうした空間から生み出される音楽は、きっと、多くの示唆をもたらしてくれることでしょう。主宰者としてはぜひ豊かな音楽空間が本番をピークに達成されるよう、残りの期間、いろんな仕掛けを撒いていきたいと思っています。
「祈り」「芽」に込めた想い🌱
企画を立ち上げるときにはいつも、ほぼ形にならないメモやふわふわとした言葉だけで構成されたコンセプトを頭に思い描いたり紙に書いたりするのですが、今回は割とまとまりのあるメモが残っていました。
今回のチーム名に込めた私の想いが読み取れると思ったので、そのまま紹介します。(記事のために書き直す手間を省いたとも言います)
団の名前がどうこう以上に、実践の具体的内容に重点を置いていて、実践の中身がまさに「祈りの芽」そのものである、と位置付けたかったようです。
この思惑は実現できているのでしょうか。答え合わせは本番で、いや、もしかしたら数か月後、数年後、各参加者の心にどういう心象風景が残っているのか、という性質のものかもしれません。
このようなことは測りようがないことです。でも、だからと言って、より良いものに対する追究を放棄する理由にはなりません。僅かながらの知識と経験をフル活用し、少しでも納得感と説得力のある音楽を求めたいと思います。
一人一人が歌に想いを込めて
記事のタイトルにもしたこの見出しは、新曲『祈りの芽』に出てくる一節です。
この企画に色んな人が集まっていることは先ほどから強調している通りで、またこの現場で多くの出会いや会話が引き起こされていることも既に書いた通りです。
もはや、私はこのチームの全貌を把握できていないと思います。それだけたくさんのつながりや関係性があり、この小さな企画の中でも複雑で多様な人間模様がえがかれているのです。
そうした空間で大切なことはなんだろうと思うと、この見出しの一節を引用したくなるのです。
集団として統一・統制を守ること、それは一見安心するように見えて、小さな「火の粉」が「ぶつかり燃えさかる」きっかけになってしまうかもしれません。このようにしてできあがったものは「つく」られたものとしては無理があり、崩壊の可能性をはらんだ「つく」りもの、とでもいえるでしょうか。
やはり、自らの意志(それは必ずしも明白で確たるものである必要はないと私は思います)を自らが尊重し、同じように、隣人の意志をも尊重すること。その上で互いに共鳴する地点を見つけ合うこと。それこそが本物の「それぞれの道をつくる」ということなのだと思っています。「つくる」って簡単な言葉だけどとっても奥が深いことだと思います。
「一人一人が歌に想いを込め」ることができれば、企画の現場で起きている「それぞれの道」の多様性が具現化して、音楽として芽吹くのではないかと思います。主宰者である私の役目は、一人一人がその想いを思いのまま発露できる空間になるよう全体を促すことだと感じています。
また指揮者としては、それらの想いを交通整理して、「この気持ちみんなに届くなら」の状況を会場で実現させることが重要だと考えます。自分たちの脳内で想いだけが先走り気持ち良くなっているだけではもったいないですから、しっかり客席の「あなた」と想いを共有できるよう、音楽にまつわる技術を駆使していくわけです。
ここまで書いてきたことの集合体こそが、ずばり、「祈りの芽を育てよう」の正体なのだと思います。