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本日、考えたこと

このところのニュースで、
パラリンピックでの選手の方々の活躍に心躍る時間もあるが、残念なことに何かと不穏なニュースが目について気持ちが沈む

良いニュースと悪いニュースとが入り交じって
ともすれば嫌なニュースは見なかったことにしたくなるけれども、一番気持ちが揺れるのは
やはりアフガニスタンの様子

時期が時期だけに
新聞でも9.11の記事が目につく

あのときのブッシュ大統領とは
メッセージの強さが異なるものの
今のバイデン大統領も
その上に重なって見えてしまう

これは
対応策が他にないということなのだろうか?

最終的に武力ありき、の姿勢は
相互理解とは背中向きの姿勢に感じる

しかし、いつも地球のどこかで
絶えず戦争や小競り合いが起きていることを考えれば、そんなに簡単に解決できるものではないのも重々理解できるのだ

ただ、
『罪を犯すことが罪なのではなく
罪を認めないことが罪なのである』

と、既に大昔の古事記にも記されているように😄
そこへの理解がなく
ただ、時を流してしまっただけでは
同じような罪は繰り返される

お互いに解り合うことは大切で難しい
親子や夫婦であっても、
100%理解し合うことは困難で、
説得したり、お願いしたり、提案したり
時には口喧嘩して、仲直りしながら
はじめて解ることの何と多いことか!

虚心坦懐にして耳を傾ける作業は
大きな相手に対しても
同じように大切なことなのではないかと思うが、、、。


ところで、しあわせとは何だろうか❓️

しあわせの価値観は
生きている環境や個人の心持ちによっても違う

わたしから見て、しんどそうに感じても
本人にとってはそうでないこともある

しあわせって何なのだろうか

イコール生き甲斐となるものを指すものだろうか


そんなことを考えながら午後散歩していたら
花屋の前でホウキグサを見つけた

ホウキグサを見た瞬間
父が生きていた頃、
夏に帰省すると必ず幼い息子と花火をしてくれた
ことを思い出した

父が手に持つ線香花火から飛び散る火花の様は
このホウキグサに似ている

父の周りで、息子がキャアキャア言いながら
夫に火をつけてもらった花火を振り回している

危ない危ない!という母の声

そんな光景がはっきりと脳裏に浮かんで
歩きながら笑みがこぼれた

しあわせを感じるなー

もう少し歩いていくと
最近、近隣の二校が統合して、新しく建てられた小学校の校舎の前を通った

自分の小学校時代を思い出す
放課後のグラウンドで遊んだこと

今ではその校舎は移転しており、
かつての校舎の敷地は住宅街になっているのだが
どこにどんな遊具があったかや
砂場の砂の手触り、ブランコの持ち手の錆び、
手洗い場の蛇口を回すときの感触、

いくら年月が過ぎていようと
何もかもはっきりと思い出すことが出来る

そして、友達の笑い声も一緒に覚えている。

心が暖かくなるなー


あれ?もしかしてしあわせとは、
こういう思い出を持っていること?

しばし考える…

いや、それだけではない気がするな、と思い直す

もしかしたら
自分のやりたいことが出来て満足できる、
という環境がしあわせなんじゃないだろうか?

食べたいものを食べたいときに食べられるとき
ぐっすり眠りたいときにとことん眠って良いとき
前々から行きたかったところにやっと行けるとき
読みたい本をゆっくり読む時間があるとき
似たようなのは沢山あるけれどこれが欲しかった!というものを手に入れたときetc.…

そんな時は誰しも心健やかなのではないだろうか

うーむ、、、

だけど、個人の心が決めることだから
本当のところはやっぱりよくわからない

しかし、一つだけしっかりと感じたことがある

それは、わたしはしあわせだ、ということ

特別に何か素晴らしいものに囲まれているわけではないが(それは全くない)
それでも心が健やかだ

歳が大きくなってあちこちが痛くなっていても
しあわせと思える

まずは身近な家族に感謝


カブールから脱出を試みたものの、
うまくいかなかったという親子のインタビューを読んだ

贈れるものなら
彼の地にも平穏無事な日常を贈りたい

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