改めて思ったこと
故星野道夫さんが書いた『ナヌークの贈りもの』という子供向けの本がある
まだ独身の頃にたまたま購入したものだったが
はじめて読んだとき
美しい写真と共に
その言葉のやさしさと厳しさに
敬虔な気持ちになったことを覚えている
そのあと、星野さんの随筆を何冊か購入したが、面白くてあっという間に読んでしまった
どれもが同じように
言葉の重みと深さというものが感じられ
こころが静かになる感覚があった
随筆というのはその人の心の持ち方や
そのように有りたいという方向が垣間見得て
勉強になる
今回は甥っ子夫婦の一人娘のおーちゃんが
絵本をみるのが大好きだそうだから
きっと喜ぶだろうと思い立ち
他の絵本と一緒にナヌークの本も送ることにして
準備をしていた際に読み返してみたのだった
今読み返しても同じ気持ちになった
星野さんがつむぐ言葉は、どの本を開いても
自然への畏敬の念と共に
それらに対する優しさが伝わってくる
アラスカをはじめとした極北について
読んだり見たりする時
わたしはいつも星野さんを思い浮かべる
北極熊の親子
アラスカの短い夏と厳しい冬への移ろい
それら、星野さんの写真集に多くみられる
被写体の影響かもしれない
それはそうとナヌークに話を戻すと
ナヌーク(シロクマ)は氷の世界の王者だ
本の中でナヌークは少年に向かって言う
『わたしたちはアザラシを食べ、アザラシは魚たちを追い、魚たちは海の中の小さな生き物を口に含む。 生まれかわっていく、いのちたち』
『おまえのおじいさんの最後の息を受けとった風が、生まれたばかりのオオカミに、最初の息をあたえたのだ。 生まれかわっていく、いのちたち』
『われわれは、みな、大地の一部。
おまえがいのちのために祈ったとき、
おまえはナヌークになり、
ナヌークは人間になる。
いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、
どちらでもよいのだ』
と。
何か別の本の中で、星野さんが
『いのちを頂く』ということについて
『僕がムース(ヘラジカ)を食べるとき、僕はムースになっていく』
と、表現していた
日頃のわたしは、
自分が口にするものが
どこからどうやって来たものか
能動的に調べたりすることは滅多になく、○○産、と書いてあればそうかと思うし、
こちらより更に美味しい、とあれば、
そうなんだと思う
そこで終わっている
育てる人がいてこそ
手間をかける工夫や労力があってこそ
何よりいのちを与えてくれる生物がいてこそ
生態系が循環できている
改めて考えながら頂くと自然と感謝の念を抱く
随分前のこと、
旅先で、小羊の解体から見学し、
その子羊を料理のメインとして
いくつかの調理法から選んで食すことが出来る、という体験をしたことがあった
なかなか体験する機会がないことだから、、、
という理由で友人と参加したのであったが
あれはさすがに食欲が出なかった
子羊が解体前に連れてこられたとき
他の羊たちが、しばらく止まって
その子羊の行方を追うようにこちらを向いていた
そのうち羊の群れはゆっくりと去って
何事もなかったようにいってしまったのだったが
一体なにを見たのか
結局、わたしも友人も気分が悪くなって
殆ど食べられなかったのだが
今思うと申し訳なさで一杯になる
せっかく命を差し出してくれたのに
捨ててしまったのだ
せめて、これから先は
自分の血となり肉となるものに
責任を持ちたいものだと思う今日この頃