愁える
休日などにボンヤリと
空っぽになってくつろいでいると
無意識に色々なことが頭に浮かんでくる
たとえば昨日はこんなことを!
もしも次の瞬間に、人間だけがこの世からスッと
消えてしまうようなことが起きたら
いま目の前に有る家具や食器、本やアルバム…
これらのものはこのまま放置されて、
そのうち、崩れたり壊れたりして風化していくのだろうな、、、と、
土埃がもっさりと堆積した光景を想像した
考古学者が住居遺跡を発掘して
その時代に想いを馳せることがあるように
やがて新しい人類が我が家の痕跡を発掘したとき
何て思うのか
残されたもので
家族構成だとか、性別だとか
趣味なんか推察したりするのだろうな
どんな生活があったのかも各々語られるのだろう
もしも、
自分がどこかでその様子を覗き見ることが出来るのであれば、それはそれでワクワクする部分があるもののやはり空しさの方が大きい
数年前、写真が沢山載っているチェルノブイリ関連の本を読んだことがあった
廃虚と化した集合住宅
草が茫々と生えた遊園地
そこに
かつて人々の活気ある生活があったとは
到底思えなくて、荒れた風景がとても空しかった
普通は、計画どおりに引っ越すならば
生活用具など残らないはずの家屋に
そのまま全てが残っている風景
ある瞬間までの生活が
まるごと大きな忘れ物みたいに
時間が止まったままで残っている
その当事者のかたにとっては
失ったものの方が大きすぎて
代弁できる言葉が私には見つからない
自宅のリビングを見渡して
そんな光景を想像するだけで哀しくなった
こんな風にあれこれ
心配したり考えたりするのは
息子ができてからのような気がする
それまでは多分、自分がいなくなった後の事など考えたこともなかった
でも今は違う
自分がいなくなっても
子供たち(孫、曾孫…関わりのある人すべて)が
この世界で生きていく限り
平和な世の中であってほしいから
出来ることは努力しておきたい、
というのがある
人生の折り返し地点を過ぎて
だんだんと自分のゆく先の前方が見えて
出来ることと出来ないこととが分かってきたから
思うのかもしれない
最近も、日本だけでなく世界中において
辛く不安なニュースが続いている
いつか、身近に出会う問題もあるだろうと思う
その時のために
常に関心を寄せておきたいと思うのではあるが、
だからといってユーモアは忘れずにいたいと思う
フランクル博士も著書のなかで
アウシュヴィッツという困難な中で生き抜くことができたのはユーモアのおかげだと話されている
また、少々話は逸れるが困難な時といえば
わたしは『心に太陽を持て』という詩が大好きである
(国語の教科書に載っていたと記憶している)
言葉って素晴らしい
行き詰まったときには
ユーモアと言葉のエネルギーが大事なんだと思う
どんな状況でも
どんな人にとってもきっと。
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