FUSiON~モノローグ~
0. プロローグ
地元に住む友達と通話をしていた時、まるで遊びにでも誘われるように、なんとなく進んだこの話が、僕らの挑戦の始まりだった。
去年の春に大学生になった僕は、宇宙系の活動を始めようと思い、友人と衛星設計コンテスト(※※ 日本機械学会、日本宇宙フォーラムなど8つの学会が開催する教育コンペティション)に出たり、他大学の主催する宇宙ビジネスのハッカソンに出場するようになった。
このあたりの話は長くなるので、いつか別稿で出来ればと思う。
このFUSiONのプロジェクトは、衛星設計コンテストに出場したメンバーで新しいことをやろうとしたときに思いついたものなのだ。
1. 始まりは、災い転じて・・・
僕たちのチームは元々、高校時代の同級生でコンテストに出場したことが始まりにある。上京した僕にとって高校時代の友人は地元、宮城という遠隔地にいるメンバーだったので広い意味で、僕にとってのオンライン開発はここから始まったことになる。
とはいっても、この頃は「オンライン開発を推進しよう!」といった崇高な思いがあったわけでもなく、最初に出場したコンテストの応募締め切りが5月上旬で、コロナ流行の影響でオンラインが中心で世の中が回っていたため、大学の友人や先輩とのつながりがなかったので、一緒になにかに取り組める人材とのアテ、がそこまでなかったのである。
コンテストも落ち着き、チームのあたらしい目標を見つけようという時期に僕は、東京大学 中須賀真一先生の講演でCanSatの話を聞いた。
その講演で聞いた内容を、僕はチームで雑談をしている時に話した。
僕らのチームは地元宮城と、上京した東京のメンバーと、遠く離れたメンバーで構成されているので、当時はCanSatを作ろうなんて気はさらさら無く、おしゃべりの話題程度として扱っていたつもりだったが、僕の話を聞いた仲間からのリアクションはそうではなかった。
「そんなにおもしろそうなら、CanSatやろうよ」
正直、この言葉を聞いた時の僕は、どう突っ込めばいいか分からなかった。
モノづくりというのは非常にダイレクトなface-to-faceの関係が大事になってくる。プログラマは電子回路の横にいないとエラーが起きても直せないし、回路が決まらないと機体の構造が定まらない。電子工作はあらゆる要素が複雑に絡み合っているのだ。
そしてそれを知っているのはそのチームで電子工作などでモノづくりの経験があった僕だった。
チーム全員が対面で集まれる環境でなければ、到底開発なんかできない。それを知らずに、何を言っているんだ。チームメンバーが分散しているのに開発なんて出来るわけがない。そう思った。
しかし、僕の仲間は、僕に向かってこう言った。
「お前は今さっき、あんなに熱く、楽しそうにCanSatのことを語っていたじゃないか。それに、JAXAや宇宙ベンチャー企業、実績を残している多くの宇宙専門家はこの競技で結果を出しているんだろう?それなのに取り組まない理由がどこにある。お前がここまで語ってくれたCanSatってやつを、俺もやってみたい」
僕の仲間は自分の好奇心に対して正直な奴だった。
その彼に背中を押されて(引っ張られて)、僕自身も新しい目標として、CanSatをやってみようと、考えが変わっていった。
そして、やると決まったら目指すは優勝。
しかし、他のチームのようにサークル先代の残した積み重ねがあるわけでもなければ、開発が出来る設備があるわけでもない。
何より、生活の変化などによりアクティブメンバーも減り、メンバーもいなければ指導者もいなかった。
そこで愚直ながらも考えたのが、全国各地から人を集めて「僕の考えた最強チーム」を作るという案だった。
その当時のアクティブメンバーは東北の友人と東京の僕の2人だけだったので、今更遠隔地のメンバーが増える事に抵抗も無く、コロナウイルスでオンライン授業が主流になり、今の時代の学生はオンラインツールも非常に使い慣れている。
この、「遠隔地にしか頼れる仲間がいなかった」「オンラインベースの生活が余儀なくされている」という逆境から少しづつ、
「オンラインでの開発のモデルケースになる」
というコンセプトが輪郭を帯び始めた。
こうして、「オンライン開発王に俺たちはなる」ようなノリで全国からメンバーを集め、拠点が分散しているという逆境の中で、それ自体が独自性となった僕たちの挑戦が始まった。
(とても嬉しいことにこの活動は、「地方に拠点を置く製造業者」や「同じ地域に住んでいても大学の規制で対面活動が出来ない学生」にとっても興味の対象であり、注目していただけていたようだが、それを知るのは、もう少しあとになってからの事だ。)
to be continued...
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