261 水都大阪の渡船をはしごする旅①
大阪は水の都といわれます。古くから難波津(なにはのつ)として港が築かれ、その後も淀川を経て京へ向かう海の玄関口として栄えた大阪の町は、土砂の堆積や埋め立てで多くの部分が陸地となった今も多くの川や運河が縦に横に流れており水とは切っても切れない関係にあります。
そんな大阪には今も「渡船」という交通手段が残されています。大都市で渡船が残されている町というのはかなり珍しいのではないでしょうか。しかも生活路線として市民に定着している。東京にも千葉県市川市とを結ぶ矢切の渡しがありますが、半分観光船のような様相です。
( ↓ 矢切の渡しの搭乗記はこちら)
今回はそんな市民の大切な足である大阪の渡船をご紹介したいと思います。
大阪には8つの渡船がありますが、そのうち4つは木津川にあり、大正区(枠で囲まれた部分)と西成区とを結んでいます。
大正区は北端に大正駅があるほかは鉄道路線が全くありません。三角州を埋め立てて広がった区で周囲は川や運河に囲まれていますが、都心側の西成区との間を流れる木津川は水運が盛んで架橋が困難でした。そのため今も渡船が残され市民の大切な足として活躍しているのです。
木津川に川上側から青、赤、黄色、桃の4つの線を引きましたがこれが渡船の航路。順にご紹介していきます。
①落合上渡船場(赤)
前回大阪の秘境駅としてご紹介した、南海汐見橋線「木津川駅」。こちらが渡船場の最寄り駅となります。木津川、と川の名称を冠したこの駅、今でこそ駅前が舗装もされない寂れた駅ですが、かつては紀伊山地の木材が南海電車でここまで運ばれ、ここから船で木津川を経由して各地に搬送されていました。そういった理由もあって川の名前も「木津」。今の姿からは想像もできない大活躍した歴史があるのです。
木津川駅から渡船場まではこのような工業地域。今回の旅は全体的にこのような光景の中を歩くことになります。
落合上ノ渡と渡船をにおわせる名前の交差点で川方面に道を折れれば渡船場があります。
知らなければこの先に渡船場があるなんて思わないですよね。。。
こちらが落合上渡船場。徒歩と自転車で渡ることができます。4ヶ所の船どちらも乗船客は私一人ではなく、地元の方が乗っていました。自転車の方が多かったですね。
ここから下に降りたところにあるのが渡船場です。少し上流には木津川水門があります。高潮が来たときにこの門を閉じて大阪の町を守る重要な機能があります。実はここを訪ねたのは6月3日朝。前日は大阪も警報級の大雨が降りました。水嵩を心配しましたが特に普段と変わりはないようです。ちなみに昨日の大雨の際も通常運行したようです。
待合所こんな感じ。バスより立派ですね。船はおおむね15分間隔の運行。そして驚く勿れ、料金はかかりません。あくまで道路という位置づけだからのようです。大阪市、太っ腹。
向こうから船がやってきます。わずか数十秒の航行ですがこれがなければかなりの大回りが必要。重要な市民の足なのです。
わたしも乗って対岸まで。このときは自転車の御夫人と2人で乗車しました。椅子などはなく立っての乗船ですが数十秒なんで構いません。
土砂降りの後ということもあってか決してきれいではない水面ですが、船に乗るだけで日常的ではない、ああ、旅に出たなという気持ちを味わえます。なんででしょうね。
あっという間に対岸に到着。船員さんは待機所に戻っていきました。わたしは次の渡船場まで歩いていきます。
②落合下渡船場
大正区内の比較的広い道を南に下ると落合下渡船場があります。
この渡船場もちょっと奥にあるようです。
先日の大雨の日も欠航しなかった渡船ですが、さすがに台風などの日は結構もあり得ます。そんなときはここに×印が出て案内されるようです。
ちょうど私を迎えに(?)対岸から船が来るところでした。
こちらに乗ってまた西成区側に戻ります。
こちらの待合所は先ほどよりもベンチが新しく小ざっぱりしています。渡船場によってまちまちというのも比較で来ておもしろいものです。
落合上渡船と下渡船は大阪汽船という民間会社が運行を委託されているそうです。あとの2つに乗って思いましたが、ひいき目に見ても、こちらの方があいさつや動きの一つ一つが丁寧な気がしました。公務員の方も頑張ってほしいものです。
さて、対岸について次の渡船…はあの橋の下!なかなか遠いです。
というわけで中途半端ですが今回はここまで。次回は橋の下を通る渡船の姿をお見せしたいと思います。
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