スポーツ産業でカオスをつくる 〜SAJ2023レビュー〜
はじめに
自分がコンテンツ企画のリードとして関わっていたSAJ2023の5本目のレビュー記事です。
5/20に開催したSAJ2023では全25セッションが行われました。6月30日までの期間限定でアーカイブも配信されています。
5回目となる今回は教育関連の話題や、新規性の高いテーマのセッションを紹介します。
今回紹介するのは下記6タイトルです。
・世界のSAN-ENへの挑戦
・スポーツの現場で女性が輝くためには。データを武器に、新しいビジョンを描こう。
・アナリストを目指す高校生・大学生はどのような学びと経験を積むべきか
・データサイエンス教育におけるスポーツデータの可能性を探る
・ChatGPTと深層学習が切り開くスポーツアナリティクスの新領域
・アーティスティックスポーツのデータ解剖
タイトルからもうかがえるように、いずれも新しい可能性を世に問うセッションとなっています。
これらのセッションはすべて実行委員が企画したセッションであり、その中でも各委員が強い思いを持って進めていたものです。
SAJのHPにも下記の記載がありますが、SAJではアナリティクスをスポーツ産業の仕組みを抜本的に変革する存在として考えており、現実に起こっている問題だけでなく、イノベーティブで新規性のある問いも重視しています。
このような成り立ちを考えると、今までのSAJは「フィールドマネジメント」「ビジネスマネジメント(主にファンマーケティング)」の事例の話だけで成り立っておらず、今回紹介するような新規性の高い話題があってこそ、イベントの独自性が担保されていると言えます。
もちろん、前回と前々回に紹介したような話題があってこそ「スポーツアナリティクス」のイベントであると認知されるのですが、それだけではないところにSAJの面白さがあります。
・「フィールドマネジメント」関連セッションのまとめ
・「ビジネスマネジメント(主にファンマーケティング)」関連セッションのまとめ
世界のSAN-ENへの挑戦
最初に紹介するのは三遠ネオフェニックスの目指す「世界のSAN-EN」の取り組みです。
三遠ネオフェニックスでは「強化・ 共育・地域」の3本柱を掲げ、三遠地域から世界を目指す取り組みを進めています。そのひとつのプロジェクトとしてハーバード大学と提携し、経済学部の教授でスポーツ経済も担当されているジャッド・クレイマー教授との取り組みを進めています。
ニューヨーク生まれのジャッド教授は子供の頃からメッツのファンで、当時阪神から入団した新庄剛志さんの大ファンだったことがきっかけとなり大学で日本語を学び始めたという経緯があるそうです。このセッションもすべて日本語で進められています。
元々日本には多く来られていたとのことですが、今年3月にも来日しており、JSAAのオープンセミナーでもお話されています。
セッションの中でも、強化領域でのアナリティクスの話だけでなく、来日されたジャッド教授が地域の方に直接プレゼンする場の話や、ブースターがハーバード大学を目にすることで世界的に評価の高い大学をより身近に感じてもらえることなどが紹介されており、地域のポテンシャルを引き出し、世界に挑むための施策としてこの取り組みを進められているのだと感じました。
スポーツの現場で女性が輝くためには。データを武器に、新しいビジョンを描こう。
こちらのセッションは担当されていた西原さんがレビューを書いていますので、ぜひその記事もどうぞ。
もともとのこの企画は、西原さんの「部活動の『女子マネージャー』は今後、大学運動部の「主務」の役割や「アナリスト」の機能をもっと担っていくのではないか?」という話がもとになっており、ステレオタイプな文脈で語られやすい女子マネージャーのイメージや今後の役割に対する問いを投げかけるものだったと認識しています。
自分も昨年の野球科学研究会で東邦高校の選手やマネージャーが研究発表をする場面を見ましたが、データやテクノロジーを活用した指導が多くなっている部活動の現場において、男女関わらず「支える側」の役割が大きく変化してきていると感じます。
実際のセッションとしては元々あった問いの種を超え、WEリーグやWリーグ、大学の取り組みの話をチェアとアナリストが語り合う場になっていて、とても新鮮な構図でした。
なお、このセッションは結果的に「女性活躍」という打ち出し方をしなくても「スポーツ産業におけるデータ活用とキャリア戦略」というようなテーマで成り立つ内容だったと思います。
ただ、企画時点でそのディレクションが出来たかと問われると個人的には難しかったと感じており、企画や意思決定側の女性割合をもっと増やすことも今後の課題だと改めて感じました。
中等教育、高等教育でのスポーツアナリティクスの扱い方
次に、教育をテーマにした2セッションを紹介します。
・アナリストを目指す高校生・大学生はどのような学びと経験を積むべきか
前者は「スポーツアナリストになる上で中等教育、高等教育でやるべきことを考える」であり、後者は「データを活用して社会で活躍できる人を育てる上でスポーツデータはどう使えるか」に主眼があるので、テーマ自体は違うのですが、関連する部分も多くあったと思います。
両セッションに共通して感じたのは「データを操作して伝える経験とスキルを学生時代に積んでおくと、社会で役に立つ」という点です。
ポイントはデータを操作することと伝えることをどちらも行うという点で、この経験がスポーツなり一般社会なり、単純でない世界をより良くするために、データを活用して落とし所を見出す作業の練習になると感じました。
一方で「クリティカルな問いを立てる能力は、大学院や社会に出てから深く学ぶ」で良いとも感じました。この2セッションは大学院を出ている人も多く登壇していますが、大学院での経験が役に立っているという話は共通していたと思います。
自分も振り返ってみると、なぜそれを取り組むべきか?と問いを深める能力が一番伸びたのは大学院時代だったと思います。中等教育や大学教育の範囲では、問いを創ることは必要ですが、深める体験は劣後でいいかなと感じました。
落合陽一さんはスポーツアナリティクスをどう捉えたのか?
さて、次はまさに現役の大学院生が最先端の話題を自ら企画し、登壇したセッションです。
このセッションでは筑波大学の落合陽一准教授に現役の学生アナリストとのweb対談の形で進めました。
内田郁真さんとスコット・アトムさん。お2人はサッカーのアナリストであり、大学院で情報工学を学んでいます。スポーツに人工知能を活用する専門家なので、ぜひこの2人のアカウントをフォロー頂くことをおすすめします。
今回、実際に指導している学生と話す落合さんの様子を見られたのは新鮮でした。半分くらいは人工知能を活用したスポーツアナリティクスビジネスの話をしているので、学術的な話に閉じていないことも見どころです。
個人的な感想としては「コーチング学、トレーニング学の専門家が同じくらいの情報工学の専門性を持った状態で、この議論に混ざったらどうなるのか?」が気になりました。
サムネイルで表示させたいので上記のツイートをリンクしますが、原本はこちらの日本スポーツ協会のページをご覧ください。
トークセッションの中でも話題になっていますが、技術発展によって監督、コーチ、選手がアナリストの機能も担いやすくなるという未来が想像できます。
その未来の中では、上記のパフォーマンス構造論のうちトレーニングアセスメント論から計画論の範囲、すなわち身体を使って練習や試合で実践をする以外の言語を使って組み立てていた事前準備、事後評価の部分はある程度自動化されます。
別セッションの話になりますが「常勝軍団を目指す横浜DeNAベイスターズのデータ活用の現状と展望」で紹介されていたトレバー・バウアーのトレーニングのサイクルはまさにアセスメントから計画の部分に関して、データを取得して指標をチェックすることで短縮している例だと考えています。
今回の落合さんのお話も「チューリングマシン」の話、計算機ができたことで計算手のどの部分が置き換わり、どの部分が新しい仕事として出てきたか?の話から始まっていますが、まさにいまコーチングやトレーニングの領域ではChatGPTを始めとした生成系AIにどの部分が置き換わっていき、一方で新しい仕事が生まれてくるのか?の転換期にあると言えます。
今後コーチング学、トレーニング学の専門性の一部に情報工学の内容が入ってくるはずなので、ぜひ選手、指導者、トレーナーの方こそ今回の内容は見ていただきたいです。
データはフィギュアスケートをどこまで映すか?
最後に紹介するセッションは「アーティスティックスポーツのデータ解剖 ――データはフィギュアスケートをどこまで映すか?」という、國學院大學 助教の町田樹さんと桐蔭横浜大学特任講師の廣澤聖士さんによるセッションです。
有料会員向けですが、毎日新聞の記事にもなっているのでよろしければどうぞ。
セッションではフィギュアスケートのデータ化について、動作的な意味でのパフォーマンスの記述方法やアクセルジャンプの出来栄え点の特徴などゲーム構造に関するお2人の研究成果を紹介し、その成果をどのように活かすか議論しています。データの活用をパフォーマンスの向上だけでなく、フィギュアスケーターが継続的に活動を行う上で重要な事業的側面にも焦点を当ててお話しています。
また、フィギュアスケートの芸術性をデータ化して評価することの難しさに関して、芸術やアートは作品の媒介とした作者と鑑賞者のコミュニケーションであり、作品、作者、鑑賞者の3つの関係性全体を意味するという点に触れてお話しています。
アーカイブを販売しているので、詳しくはぜひ映像をご覧いただければと思います。また、町田さんの研究の詳細やスポーツとアートに関する議論に関しては、下記の書籍もご覧になるとよいかと思います。
ちょっと飛躍する話なのですが、このセッションを聞いて、M-1グランプリ、THE SECONDなどお笑い界のスポーツ化、コンペティション化の話もアーティスティックスポーツの研究フレームで捉えることができるのではないか?という感覚を持ちました。
フィギュアスケートはアーティスティックな側面も評価に影響するスポーツの側面が主である一方で、お笑いはライブパフォーマンスを含めた作品、作者、鑑賞者の3つ関係性で成り立つアーティスティックなエンタテインメントの側面が主と言えるはずです。
もしこの「主」の違いが、業界の文化形成や新規のファンマーケティングを促進させる上で壁となっているのであれば、領域を超えたコミュニケーションがイノベーションのきっかけになるのではないか?と感じました。
昨年にはNumberでもM−1グランプリ特集があるなど、スポーツ専門誌でもお笑いに焦点が当たる時代です。お2人と松本人志さんのトークセッションを聞いてみたくなりました。
SAJはイベントを媒介として参加者や登壇者のコミュニケーションを創発するカオスな仕掛け
以上、5回に分けてSAJ2023のレビューを行いました。
スポーツアナリティクスという言葉はまとっているものの、冒頭にも記載した通りで9回行われてきたSAJは最後のセッションのレビューでも表現されていたアートの側面がイベントの独自性を担保していると感じています。
すなわち、SAJというイベントがメディアとなり、参加者や登壇者、スポンサーなどの様々な関係者が、時にはイベントと全く関係なかった人も巻き込みながらコミュニケーションを生み、カオスを創り、次の取り組みにつなげる場になっていると思います。
ただし、こちらのスポーツアナリティクスのここ10年の歴史でも書きましたが、東京オリンピック・パラリンピックやビッグデータの盛り上がりという時代の流れに沿っていたからこそ成り立っていた、という側面は否定できません。
向こう10年、20年とこのイベントや業界がどのような場を欲していくのか、これからの動きにも注目して頂き、ぜひご意見をいただければと思います。