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幸せについて

今日は友達と会った。
フィンランドで一緒に留学していた、しかも同じ寮で毎日のように会っていた友達と。
帰国してからのこと、恋愛のこと、家族のこと、三人で色々と話した。

帰り際、「自分はノンセクシュアルなんじゃないかと最近考えている」なんて話をしたら、意外にも二人とも「分かる!」と乗ってきてくれた。
以前、別の友達にこの話をした時は、「はぁ…?」みたいな反応をされたので、今回の反応には少し驚いた。二人も私と同じように、フィンランドでジェンダーの多様性や可能性に触れたから、分かるんだと思う。

同性の友達といても楽しいし、合う約束があったら楽しみだし、男女どちらに対しても性的欲求が無い以上、これと恋愛感情との間に違いはあるのか?と。

幸せの形だって人それぞれで、一見利用されているだけのような人だって、本人がそれに満足していたらいいのではないかと思う。後から考えて、後悔することにはなるかもしれないけれど。

でも、そもそも幸せや充実って、その時々で感じられるものではないから、「今、私サイコーに幸せ!」なんて思える日は一生来ないんだと思う。日々、苦しいことや悔しいことなんかは掃いて捨てるほどあるのに。

実際今の私だって、昔抱いていた夢を大体叶えている。東京で一人暮らし、インドについて勉強して、英語もある程度話せるようになった。ライブハウスでバイトして、念願の留学もした。幸せなはずである。

それでも、今の私は、やらねばならないことの〆切が近いとか、それなのに明日もバイトがあってその時間が取れないとか、そんなことばっかり考えてしまって、辛いだけの人生を生きている気になっている。

「充実した日々になるよう努力します」なんていうきまり文句をよく使うが、その度に自分で「そんな日々来るわけねえだろ」というツッコミを入れる。

ただ、誰にも(もしくは私だけかもしれないが、少なくとも私には一生)幸せなんてものは実感できないのだとしたら、「(過去の)幸せの実感」は未来の自分に預けて、今ある現実を生きていくしかないのだと覚悟ができる。頑張ろう。

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