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里伽子と弟

友達が図書館で『海がきこえる』のDVDを借りてきたので、一緒に観た。

最初に言ってしまうと、あまり面白くなかった。

小説を映画化したものらしく、まあ小説で読めば面白いのかな、という感じ。
72分では、どうも登場人物の心情について行けなかった。

でも、これを私が今観たのも何かの運命だと思った。

里伽子と弟が重なったから。

離れて暮らす父親に会いに東京に行く彼ら。

見てて痛いなと思うけど、分かるところもあるから可哀想だなとも思う。

そうだよね。
高校生には踏ん切りが付かない事だよね。
なんとなく幻想を抱いてしまうのも仕方ない!

でも、離れて行ったって事はその程度だって事。
その程度しか思われてないって事。まあ言い方悪いけどね。愛されてる事もよく分かるし!

でも普通、子どもから離れられる?
私は従姉弟でさえ何年も会わないなんて無理だよ。
自分の子どもだったら尚更でしょう。

しかもお金も払わないなんて、見放したも同然だからね。
それを今更何だよってんだ。

子どもとしては、今更とはいえ気を遣ってくれたり、もてなしたりしてくれるのはいい。
でもね、私たちを育ててくれた人たちよりも自分の方が優れてる的な事、あなたは一生言う権利無いからね。
そもそも高校生にそんな事言ったら混乱するに決まってるのに、構わず言うなんて彼に対しても配慮が無さ過ぎる。



私たちにとって大事なのは、見限る事と自分のポジションを決める事。

(私の場合はだけど、)父親から離れて暮らす期間が長いと、「父親とはこういうもの」「家族とはこういうもの」って幻想を抱きがち。でも現実は違うから混乱したり落ち込んだりする。だから「この人はこういう人なんだ。理解出来ないな。」って諦めて距離を置く方が賢い。

あとは、信じる人やものを基に自分のポジションを決める事。まあ、これに関しては自然にした事だから何とも言えないけど。
でも自分の軸が無いと、ちょっと唆されただけで、それまでの自分の生活が一気に悪いものに思えたり、自分の望むものが別のどこかにはあるように思えたりする。自分が何を信じて何を大切にしたいのか、それは常に考えないとね。

弟も理解してくれたみたいで良かった。


里伽子は東京で元彼の岡田に会い、見栄を張って彼に杜崎を紹介した。杜崎は2人の会話が馬鹿らしく思えて、その場を離れた。すると、里伽子も同じように思えてきたらしい、すぐに杜崎の元に戻って来た。

「だって岡田くん、自分の事しか話さないんだもの。」

そう話す里伽子は、杜崎の目には急に大人に映ったという。
あの瞬間彼女は父親の事も元彼の事も、ある程度諦めがついたのだろう。

映画では直接的な表現は無かったけど、私には分かったよ。こんな瞬間私にもあったから。


なんだかんだ、私は父親の事もすごく愛している。
でも、この愛情と諦めは別物で、到底許しもできない。

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