米津玄師の『右眼』
そういえば、そうだった。
2年前、私が25年ぶりに参加したライブ「脊椎がオパールになる頃」の福井公演1日目に行った理由の一つ。
その当時、ずっと行くことのなかったライブに、それも若者が多いと思われる米津玄師のライブにアラフィフの私が参加しようと思った理由の大部分を占めていたのは
「米津さんの『右眼』が見たい!」
というものだった。
MVやごく稀なテレビ出演時にしっかりと前髪でガードされて見えない米津さんの『右眼』。
米津さんの切れ長で澄んだ眼が好きなため『右眼』も見たい。ライブなら激しく動くだろうから前髪が乱れて見ることができるだろう。そう思っていた。
席が米津さんの右真横だったので、
「見られるかも!?」
と期待したものの、席はステージから遠く、前髪のガードは固く『右眼』を見ることは叶わなかった。
けれど、今、2年前あれほど切望した『右眼』を見たいと思うことが全くなくなった。
きっと、恋人や友達、身近な仕事仲間の人は『右眼』を見ていることだろう。
ある意味、米津さんの『右眼』は、米津さんのプライベートではないだろうか。
それは、米津さんが心を開いている人達だけが見られればいいのだ。
「余白があるから最良の関係でいられるのは、友人にしろ恋人にしろそういうもので、僕と僕が作ったものを手にとってくれる人との関係もそうだ。だからあなたたちとは友達にも恋人同士にもなることはできないが、最良の関係として強く理解しあえたら幸せだなあと思っている。」
これは、2012年6月4日の米津さんのツイートだ。
「僕が作ったもの」で繋がる私は、米津さんがあえて晒してないものを無理に見なくてもいい。
素晴らしく最高な「僕が作ったもの」。
それに触れることができる。
それだけで、『眼福』で『耳福』なのだ。