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『MIU404』最終回”感電”が聴こえなかった。
米津玄師さんのファンである私は『MIU404』のドラマ自体も好きでしたがラストに流れる主題歌、米津さんの〝感電”もドラマを観る大きな要因の一つでした。
毎週〝感電”が流れるのが楽しみで、下手をするとドラマの内容よりも〝感電”の印象が強くなってしまうこともあったくらいでした。
それが、最終回の時だけ、〝感電”が聴こえませんでした。勿論実際は流れていて、録画したものを観た時はしっかり聴こえたのですが。
それだけ、〝感電”がドラマに溶け込んでいたのでしょう。
そして、〝感電”が聴こえないほどドラマの世界に引き込まれてしまっていました。このドラマを後々観る人に伝えたいことがあります。オリンピックの中止が想定されたかのような最終回でしたがドラマの撮影が始まった頃は、オリンピックは開催予定だったこと。第4話の美村里江さん演じる青池透子の「私なんて手取り14万で働いているのに」はコロナ禍のなか最前線で働く看護師の手取りが14万という報道の前に、第5話に出てくる「GO TO 強盗」という設定は「Go To トラベルキャンペーン」を政府が打ち出す前にいずれも書かれたものだということをです。奇跡のように現実にフィットしたドラマだったのです。
これは私の妄想なのですが、ラストはバッドエンドでも粋だったかな、、、と。
ドラマを観ている最中は、星野源さん演じる志摩一未が死に、綾野剛さん演じる伊吹藍が久住を撃ってしまうというシーンが夢で心底ほっとしたのですが。
でも、『アンナチュラル』との対比を考えると夢の方がドラマのラストに相応しかったのではないでしょうか。
『アンナチュラル』は人の死がテーマなため、一話一話が重く暗い内容でした。ですが、恋人を殺され、犯人を殺そうと誓っていた井浦新さん演じる中堂系は、それを実行に移さずに済みました。さまざまな出逢いのお蔭で。最後には主題歌〝Lemon”の歌のように〝救い”があったのです。
これに比べて、『MIU404』は軽やかなテンポのドラマなのですが、最後は〝救われない”というのも、現実は救われることばかりではないので、ありだったのではないかとも思います。
もしかして当初の「夢」バージョンのラストも想定されていたのではないのでしょうか。
「夢」のなかでは、「中止」となったオリンピックが開催されています。
オリンピックの浮ついたお祭り騒ぎの最中だったら、バッドエンドも意味のあるものだった気がするのです。
しかし、今の新型コロナウイルスCOVID-19による日本だけでなく世界の混乱の中ではバッドエンドは観ている私たちが耐えられなかった気がします。
混乱し、不安な世界にはハッピィエンドが有難かったです。これは、以前noteにも書き、「音楽文」にも載せていただいたのですが(皆さん、”感電”お済みですか?米津玄師“感電)、ドラマ初回で伊吹が、言った
「よかったな 誰かを殺す前に捕まって。」
「機捜ていいな。誰かが最悪の事態になる前に止められる。」
という台詞がドラマのテーマにつながるのではないかと思っていました。やはり最終回には、伊吹のこの台詞に答えるように相棒の志摩が
「最悪の事態になる前に俺たちが止めた。」
そして、夢の世界でしたが、二人とも正義を体現する警察官でありながら、憎しみにかられて思わず人を殺しそうになってしまう狂気も描かれました。そして「俺は、お前たちの物語にはならない」と言った菅田将暉さん演じる久住。犯人だけれども、
私は「「悪人」という人間がいるのではなく、どの人間の中にも「悪人」と「善人」がせめぎ合っていて、何かのきっかけで悪人の部分が多くなり表出してしまう、それが犯罪で、誰しもそちら側に行ってしまう可能性がある。それを止められるのは何なのかをドラマの最後に伝えてくれる気がします。」と書いたのですが、この答えは、私が個人的に一番響いた台詞、第10話の伊吹藍が桔梗隊長の息子ゆたか君に言った台詞に隠されている気がします。
「正義って、すっげー弱いのかもしれない」。
自分がちょうど、同じようなことを考えていたので、この言葉には驚かされました。
仕事でも、人間関係でも「正しいこと」ってありますよね、本に書いてあるような。私はなぜ職場や世の中で、それが通らないのだろうとずっと不思議でした。「正しいこと」よりも、恫喝するような人間、力のある人に取り入るような人間の意向で決定が下されてしまうことが多い。
だけど、最近気づいたことがありました。
ずるいこと、卑怯なことをしようとする人は、自分がやろうとしていることがずるい、卑怯ということをよくよく承知していて、本当に知恵を絞って、事に当たるんですよね。それに比べて、正しいことをしようとする人間は、自分は正しいということに胡坐をかいてしまっていて、知恵を絞ってないのではないかということに。
「正義って、すっげー弱いのかもしれない」
きっと、それは真実で、でも、だからこそ正義を通したかったら、自分は正しいのだという気持ちに胡坐をかかずに、完全犯罪を実行するような周到さで正義を行わなければ、負けてしまうのだと。
「正しいこと」は弱い。それでも、「正ししいこと」を諦めない。それが、このドラマのテーマだったのではないでしょうか。
これは、〝感電”の歌詞の「永遠」ー不変なものーという言葉に置き換えられている気がします。
「きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日を 探し回るのも 悪くはないでしょう」
ここの歌詞は、どこかにある「永遠」ー正しいことーを「明後日」-見当違いの場所ーだとしても、探し続けよう、二人で、ずっと。私には、そういう意味にとれるのです。
ドラマが終わった後も、「正しいこと」を伊吹と志摩と、そして米津玄師が、どこかで探し続けてくれている気がしてなりません。