![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/26085599/rectangle_large_type_2_c7bf8d5db4b12f6f226b8f505186a09a.jpg?width=1200)
“海獣の子供”は何処へゆく
昨年、公開されたアニメ映画『海獣の子供』(主題歌 米津玄師 『海の幽霊』)とドキュメンタリータッチの映画『トゥレップ「海獣の子供」を探して』。
この2作品とも、夏にぜひとも観ていただきたい映画ですが、やや難しい。
令和元年8月12日(月)【対談イベント:“海獣の子供”は何処へゆく】渡辺歩監督(『海獣の子供』)×山岡信貴監督(『トゥレップ「海獣の子供」を探して』)が京都 出町座で開催されました。私は運よく参加することが叶いましたので、ここにその内容を載せておきます。作品理解の一助になれば、幸いです。
写真はいいが、録画・録音はだめ。
わ=渡辺監督 山=山岡監督
山「いらんこと言ってしまうので」(という意味のこと)
わ「表現の不自由もありますしね」
山「米津玄師さんのこと。米津さんの歌詞に助けられている。(歌詞の)言葉にできない」
わ「プロモーション的にも(助られている)。彼が愛読していた。わからないのはなんでだろう。わからなくていいんだ!思ったよりもヒットした。何年後かに、これを観た子の中に残ってくれればいい。」
山「誰に聞いても教えてくれないんだけど、久石(譲)というビックネームがあったのに、よく(米津さんが)入れたな。これは誰に聞いてもはっきり教えてくれない。久石さんは自分が作った曲以外の主題歌はない。」
わ「原作の力。映画だけでは引っかからなかった。影響を与えられた(原作に)米津さんが恩返しをしたい。映画を(米津さんの歌が)超えちゃうんじゃないか。久石さんが許してくれるか。様々な力と、〇〇(聞き取れず)の力で可能になった。久石さんも時間がかかった(引き受けてくれるまでという意味か曲が出来上がるまでという意味か不明)。宮崎さんへの操もあった。久石さんは、『最初からわからないよ。でも、何か引っかかるよ』(と言っていた)。米津さんも(曲が)ギリギリだった。」
山「別の歌が入っているのも観た。(米津さんの曲だと)読後感七割増し。」
わ「(米津さんが)原作への愛を込めた、僕も持っているが、同じように。リップサービス、ファンサービスでなく。えつ!米津玄師?冗談かと思った。曲が意味を持ちすぎるのが心配。五十嵐先生が『原作より踏み込んでいる。漫画だから踏み込まなかった。わかってて踏み込んだ?いつのまにか?』キャラクターの循環。言い切ってしまっていいか。ルカがどう生きていくか。映画の責任として新学期には学校に行かなきゃいけないルカの。生命についての長い部分。(五十嵐先生が)『一人(五十嵐先生は一人で漫画を描いているので)では踏み込めないけど、集団心理で踏み込んだのか?』」
山「わかんないっているわりには、説明している。」
わ「説明しないと、絵描けないし。スタッフを巻き込まないといけない。わかる人にはわかるというよりも、全体の積み重ねでわかる。やろうとしてやめたこと。あふれでた水は子供たちがたくさん出てきて、太古の生物が出る。これはさすがにできん。五十嵐さんは観たいと言った。時間的に無理だった。」
山「(トウレップの学者さん達)人選について。二木さんはもともと名前が挙がっていた。田島先生はなかなか受けてもらえなかった。(プロデューサーの)田中さんは「あの人は、もう、いい」(と言っていた)。でもあの先生が良かった。」
わ「(海獣の子供)『2001年宇宙の旅』を引き合いに出す人多い。フランスでも言われた。後付けで見るとタイトルの仮の音楽ストラスにした。あんまり言われるから(『2001年宇宙の旅』を)観てみた。良かった。最後に赤ちゃん出てくる。」
山「わからないところは似ている。(後は)そんなに似てない。」
わ「テーマがでかすぎ。何かすごいものを見たけど、言葉にできない。(それが)言葉やん。」
山「日常に戻れるか。2001年は帰れない。彼女の受け止めは?」
わ「受け止めきれてない。二人(海と空)にすごいことをやってもらったことはわかる。自分が受け取るに値する人間かどうかもわからない。トゥレップ(の学者さん達のように)ルカもああなるかも。命をかけて夢想。人生かけても。米津さんの言葉にならないことを百も承知でみんなで考える。それがトゥレップ」
山「わからないことはわからない」
わ「トゥレップ。製作期間は?」
山「計算できない。3月4月で6月に公開。断ってた。テレビの特番でせいや。(映画にしたら)おもしろいけど、じゃ(誰か)やってみいや。(プロデューサーの)田中さんがぜひとも(と頼んだ)。言葉にしようとするのが人間。素で80分しゃべって面白い人集めた。みんな恍惚とした表情をしている。フィクションじゃないとまとまらない。田中さん(プロデューサー)は完全ドキュメンタリーでと言っていた。公開の一週間前にできた。マスコミ試写もできず、パンフレットもできず。(海獣の子供の)ウィル君の声を聴いて器用な子だな。男と女の役だし、この子にしよう。自分の中で腑におちた。非常に勘がいい。ちゃんとやる。最後のシーン、もう一度やらせてください。(と言った)勘がいい。明るい。繊細。」
山「(マーシャル諸島で現地の人に)物語を読んでもらって、それを撮ろうかとも思ったが(ドキュメンタリーの監督として)それをやっちゃ、おしまいだなと。マーシャル諸島、誰のどんな話が聞けるかわからない。ガチでいろんなおじいちゃんで探して、その人の紹介、断られたり、でも知り合いが大学の人、その伝手、それが一日目(だった)、一日目で目途がついた。中沢新一のシンデレラの話がマーシャル諸島で採取した汚い女の子の話と繋がった(補足:学者の中沢新一さんが「シンデレラは偽装されているけれど、古い物語が隠されている」という話をしました。それだけで詳しくは話していません。マーシャル諸島の所は映画の終盤なのですが、そこで語られた話が「海の海藻とかがついていて汚い女の子がいて、島の人たちは見ないようにしていた。ある時、女の子が海で汚いものが全てとれて美しくなった。それを見た島の男の人はあまりの美しさに目がつぶれた」という話。これが、シンデレラ(灰かぶり)の話の類話という意味)。」
山「自分が変わったところある?」
わ「ドラえもんから始まっている。ドラえもんはのび太がいつ死ぬかわかっている。進化ではない。我思うゆえに我ありでない。過去より現在がいいというのは違う。未来の種は今、安定しているもののなかにはない。多様性を認めるといった時点で、共生=共死。私が無くなる。ピラミッド作っている時の私と違う。私が増幅したあげく、隕石とか。」
以上です。
最後の方、帰りの時間が迫っていて、あまり聞けず最後がよくわからなくなりました。
あと、どの時点で言ったかわからなくなった部分があるので、ここで書きます。
わ「『海獣の子供』は女性誌の取材が多かった。プロデューサーも女性。女性の映画」とのことでした。