“STRAY SHEEP”「米津玄師」につけられた傷
2020年8月9日、NYのタイムズスクエアで米津玄師アルバム“STRAY SHEEP”の映像が流れた。
7日には世界3億5千人が遊ぶゲーム、フォートナイトのバーチャルライブ。NY五番街のユニクロ店舗にアルバムジャケットのアートワークが掲げられ、アメリカ、カナダでのコラボTシャツの発売が発表された。5日にはサブスクリプション(定額課金)サービスでハチ時代を含めて全楽曲を解禁した。
畳み掛けるように、米津玄師が世界に打って出る戦略がみてとれた。
そして、戦略だけでなく、8月5日に発表された約3年ぶりのニューアルバム“STRAY SHEEP”は世界に通用する素晴らしさを持つとともに、混乱する世界の「今」を表現しきった作品でもあった。
「遠くへ行け遠くへ行けと 僕の中で誰かが歌う」〝ピースサイン“
この歌詞のとおり、本当に米津さんは「遠く」まで、行けたのだ。行ってしまったのだ。
自分はNYには行ったこともないし、今後も行くこともないと思う。
私は米津さんのことが好きで、拙い考察をよくしていた。だが米津玄師の物語は大きな物語過ぎて、もう、自分では捉えきれない。
もう、考察することはできないかもしれない。
そう思った時、思い出したことがあった。
それは、米津玄師2020TOUR/HYPEの広島でのMC。
「俺とみんなは友達にはなれない。でもだからこそ、友達以上の関係を作ることができる。もっと俺に歩みよって欲しい。俺から歩みよっても意味がないんだ。もっともっと、俺に歩みよってほしい。」
「俺に歩みよってほしい。」
これを、私は米津さんのように冷静で美しい心を持つという風に受け取っていた。
でも、そうではないのかもしれない。それだけの意味ではないのかもしれない。
進化を遂げるように変わっていく米津さんについてゆくのは、自分自身も進化を遂げるように変わっていく必要がある。自分自身が強く、そして米津さんの作品のバックボーンを理解できるだけの知性を身につけなくてはいけない。
これが、米津さんがライブで言っていた「俺に歩みよってほしい。」と言うことなのかもしれない。私はふがいない人間で、人に嫌われることが多かった。それは自分の言ったことが誤解されることが多く、誤解されたとしても「相手がそう思いたいのなら、しょうがない」とあきらめてきたからだ。けれど、そう我慢し続けたことによって、自分自身に醜い澱のようなものが纏わりついた気がする。でも、米津さんの音楽や言葉を聴いていると、その澱が洗い流され、本来の自分に戻れるような気がするのだ。私が自分自身を強くするには、人の誤解をあきらめないこと。理解しあえるまで言葉を尽くす人間に変わってゆこうと思う。そして、いままで、好きな本や映画にしかふれてこなかったけれど、自分が苦手する世界にも触れ、自分の内面も広げてゆこうと思う。
私は米津さんよりも大分年上にもかかわらず、人生でこれを成し遂げたということがない。なにも成し遂げることがないまま人生を、終える気がしていた。それに比べて米津さんは、知性と才能と冷静さで、素晴らしい作品を制作し、世界に通用する大きな存在となっても、いじめとおぼしき情景が描かれた作品〝優しい人”をその只中にいる人を傷つけてしまうのではないか、とアルバムに入れるのを躊躇する細やかな心を持ち続けている。
私はある意味、米津さんに傷つけられたと思う。米津さんの素晴らしさと自分のふがいなさを比べて。
でも、それは嫌な傷ではないのだ。
図らずも米津さんが、音楽ナタリーでのインタビューで語っていたことと一致する。
「宝石はすごくいいモチーフだなと昔から感じていたんです。宝石は偶発的に石として生まれて、人間の手で発掘されて、いろんな研磨やカットを経て美しい形にたどり着く。それって要は原石を傷つけることだと思うんです。それで美しく形を整えるということは、本質的には傷を付けることに近いと思っていて。同じように人間も生まれた瞬間は球体で、そこから家庭環境や友達付き合い、いろんな外からの刺激によって傷が付いていく。丸だった形が変化して、摩耗したり研磨されたりして、たくさんの傷が付いて、形が角ばって、それによって光が反射する宝石になっていくんじゃないかと。そんなふうに思うんです。」
自分を「宝石」と呼ぶのは烏滸がましいけど、自分が光るための傷。
米津さんにつけられた傷は、今まで私が負ったどの傷とも違う、特別で甘やかな「お気に入りの傷」なのだ。