あなたは、何にとりついていますか
「とりつくしま」という本が映画になることを知って、インナージャーニーが主題歌を担当することを知って、陽だまりの夢を初めて全て聴いて、亡き祖父のことを思い出した。
温かく見守ってくれた祖父のこと
母方の祖父は、優しくて、少し世話焼きが過ぎてしまう良い人だった。
怒られた記憶は殆ど無くて、唯一ちゃんと怒られたなと覚えているのは、小学生の頃、アイドルもののアニメにハマっていたとき。
裏庭で外の電源に延長コードを繋いで音楽プレーヤーから音楽を流して、ともだちとダンスの練習をしていたら、うっかり延長コードに躓いた拍子に電源のカバーを壊してしまった。怒られるのが怖くて黙っていたけど、すぐに見つかって、もう使わせない!!って怒られた。でも、もっと怒っていたのは祖母の方で、いつも優しい祖父母たちにきつく絞られて泣いた私に、祖父は優しく接してくれた。
何も習い事がない日は、たまに一緒に散歩をして、畑の手伝いもした。一緒に出かけると、なんでも買ってくれた。本屋で何を買おうか迷っていると、待ちきれなくなった祖父が、「全部買ってやるから早くしろ!」って言って1万円札を握らせてくることが多かった。
世話焼きなのは、小さい頃からずっと変わらなかった。
小学生の時、母が働いていた頃は、朝家に来て私と姉を学校に送り出してから、ついでに家の中の掃除をして、散らかった私の部屋を片付けてゴミを捨てて(当時は部屋に入って欲しくなかったので、2階に上がったことが分かったらめちゃくちゃ怒ってたけど、今はそれも優しさのひとつだったんだな、と思ってる)、家周りの草むしりをしてから自分の家に帰る。学校が終わって祖父母の家に帰ると、私の塾用カバンを私の家から持ってきてくれていて、16時すぎに隣市の塾まで送ってもらっていた。
祖父は自治会の仕事が好きで、小学校の防災訓練で煙体験をしに行ったら、祖父が消防団の格好をして、説明のために立っていてとても驚いた。クラスメイトにハンカチを持っているか呼びかけながら、「菜花ハンカチ持ってるか、これ貸してやろうか」ってポケットから軍手を差し出してきた時は、気にかけてくれる嬉しさとクラスメイトの前だったことや差し出されたものが軍手である恥ずかしさで、少しキツめに当たってしまった。
勉強中に差し入れを買ってきてくれることもよくあった。
祖父母宅の2階の部屋で勉強していたら、いきなり引き戸を開けて、「畑のついでにコンビニに行くけど、買ってくるものはあるか」と聞くから、レモンティー、と答えると、ミルクティーとチップスターを買って帰ってきた。ミルクティー好きじゃないんだけどな、と言いながらどちらも受け取って、勉強の続きをしていたら、20分後、再び引き戸が開いて、レモンティーを渡してきた。わざわざ店員さんにレモンティーはどれかを聞いて、買い直しに行ってきてくれたらしかった。それからと言うものの、私が勉強していると、頼んでいないのに必ずレモンティーとチップスターをセットで買ってきた。しかも、チップスターは大きいサイズ。1度、買って欲しいと頼んだことがあったから、好きだって思ったんだろうな。
祖父のがんが見つかったのは、私が高校1年生の3月頃。まだまだ世間のコロナに対する意識が高かった頃だったから、入院前に旅行も行けず、入院してからも、感染対策で面会できなかった。家に帰ってきたのは5月に入ってから。帰ってくる前日、「もうすぐインナージャーニーのワンマンライブだ、楽しみだな」と呟いた時。母に、「末期の祖父が家に帰ってくるのに、もしライブに行ってコロナに感染して、祖父に移したらどうするんだ、責任取れるのか」と言われた。
私にとって、インナージャーニーの初めてのワンマンライブは正直、祖父の命と同じくらい重要だった。2019年に好きになってから、受験やコロナの流行で、ライブに行かせてもらえなかったから。でも、ライブはこれから何回でも行けるかもしれなくても、人の命はひとつしかない。何度も考えて、泣きながら、既に払ってしまっていたチケット代は母から私に返金するという約束のもと、ライブを諦めた。
祖父が亡くなったのは、ライブの前日だった。
感染症持ち込まないためにライブ諦めたんだから、ライブの日過ぎるまで生きて欲しかった、出来ることなら、ずっと生きていて欲しかった。そんな気持ちでいっぱいだった。亡くなったからといってライブに行く気持ちになる訳もなく、祖母や母の手伝いをして一日を過ごした。
祖父の死について、ひとつだけ、とても後悔していることがある。
祖父が自分の家に帰ってから亡くなった日まで、母は祖父母宅に寝泊まりしていた。
亡くなった日の朝、母が私と姉に朝食を渡すために1度家に帰ってきた。祖父母宅に戻ろうとする母を呼び止めて、多分どうでもいいような話をした。当時、部活動の部長を任されたにも関わらず部活動の運営が上手くいかなかったり、犬を飼い始めたばかりで色々忙しかったりと、話したいことが沢山あった。本音を言えば、いつも話を聞いてくれていた母と話す時間が減って寂しかったのだと思う。
母が祖父母宅に戻って数分後に電話が来て、慌てて姉を叩き起して自転車を飛ばして祖父母宅へ向かった。私たちが到着すると既に祖父は息を引き取っていて、母が今まで見たことがない程に泣いていた。
祖父は、母が戻る数分前に亡くなった。祖父は祖母に、母の居場所を尋ねて、私と姉に朝食を届けに行っていることが分かったあと、眠るように亡くなったらしい。何か自分に伝えたいことがあったのではないか、と母は後悔していた。
だけどあの時、母を引き止めたのは私だった。どうでもいい話をするために引き止めたあの時間が無ければ、母は、祖父の死に目に会えていたのではないか。ずっと、そのことが頭から離れなかった。
「とりつくしま」の予告で、亡くなった方が、大切な人の身の回りの何かにとりつく話だと知って、陽だまりの夢を全て聴いてみたいと思った。
昨日、陽だまりの夢が配信されて、何回も聴いて、何回も泣いた。
後悔していた気持ちを、優しく抱きしめてくれる曲だと思った。
"ありがとうもさようならも言えずに
君のすぐ近く、近くにいるのに"
このことばで、涙が止まらなくなった。
祖父は心配性で、世話焼きで、優しいから、どこかで私たちのことを見ているんじゃないか。
旅行に行くとき、遠出するとき、遺影を連れて行っていたけど、もしかして、他の何かにとりついてる??だとしたら、写真だけ持って行って、置いていってごめんね。
あと、時々家にいるとおじいのにおいがするのは気のせいなのかな、どこかにいるなら、出てきて、話しようよ。
"いつまでも君のこと想ってる
いつまでも君のこと願ってる"
いつでも、夢に出てきてくれていいんだよ。
いつでも帰ってきて。
今でもずっと、おじいのことだいすきだよ。
映画を観ても、音楽を聴いても、きっと泣いてしまうけど、祖父が近くで見てくれているだろうという気持ちで、これからも生きていこうと思う。
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