かのこのにっき_2015-01_03

#かのこのにっき

@15-0107

正月休み明け初めてのゴミの日。プラスティック系ゴミの日。何年前からだったか記憶は過去の彼方だが、ゴミを「分別」して出すというルールができてから気がついたことがある。プラスティック系のゴミが多すぎる。けれど収集は週イチが定番。
年末からのが溜まっている。溜まりまくっているのに寝坊して、出し損ねた!あぁあああーー!出し損ねたー!(>_<)

ところで。溜まったゴミ、で思い出したことがある。かつて引きこもってまともにご飯も食べていなかった(ような気がする)あの近くも遠い日々。
部屋の片隅に、けっこうな大きさのダンボールが置いてあった。その中には、なぜかインスタントコーヒーの空き瓶がビッシリと、しかも乱雑に詰まっており、長らくそのまま放置されていた。というか、自分でソレやってたの。無意識のうちに。なぜ捨てようとしなかったのか、いまなら理由がわかる。

ゴミ屋敷の住人が何かと話題になることがあるが、そういう人の気持ちが、わたしにはなんとなく分かる。
隙間があると不安なのだ。自分が孤独であることを、住空間の隙間が突きつけてくる。いやいや「冷静に考えれば」そんなことはないはずなのだが、空白がより一層、自分が孤独であることを強調してくるのだ。
これはあくまで一例。「その時のわたし」は、そうであったという話。

他にも「物」があふれていた。本・雑誌、着てるのか着ないのかわからない衣類、細々した雑貨物(この類が多い!)等々。引越しのたびに、押入れから数年間も開けずままの箱が出てくることがあったが、片づけ始めると物をじっくり見てしまうので、そのまま移転先へ。ということが多々あった。

そんなわたしが数年前、まぁイロイロあって九州の実家に一時引き上げると決めたとき、配送費を節約するために荷物を減らそうと、史上最大の“断捨離”的なことを初めてやってみた。

本を大量に売った。しごと絡みの専門書系も一部出したのが功を奏したか、けっこうな金額になった。当時、金銭的にもキツかったわたしには棚から牡丹餅的な?
小説の類もけっこう売りに出した。わたしにとって「本」というのは、財産のひとつだった。だから小説の類も文庫本ではなく、ハードカバーで買うのが奇妙なこだわりで。うん、いま思うとなぜそんなにこだわっていたのか、まったく分からないw

流れで他の食器とか日用品も、友人にわけたり、フリマで出したりして地味に地味に減らしていけるようになった。物が減っても、少なくとも2年間は困った記憶が無い! この発見は大きい。「無くても困らない」という感覚。

それからのわたしは、モノを買う金もねぇんだよ〜というのもあるけれど、身軽であることを好むようになった。心なしか以前より気持ちも軽くなってきてるような、気がする。なにより、身軽だと、いつでも逃げ出せるんですよ〜。

※しばらくアプリ経由でエントリを強いられそうなので、3〜4日分ではなく、1〜2日分をチマチマとアップしてみることにしました。


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