かのこのにっき_2015_03-04
*ご留意* 当ノートは、悲観やネガティブを呼ぶ内容ではありませんが、感情を刺激するばあいがあります。気落ちがザワついたら、無理をせずにページ移動してくださいませ。
@15-0314
昨夜は結局、泣くだけで終わった。「終わってないこと/終わらせてないこと」を目の当たりにして愕然とし、ただただ放心して終えてしまった。とにかく何をしてても涙が止まらない。これは完全に「病気」だと思う。
逃げているわけではないはずなのに。むしろ逃げずに諦めずに歩んできた自負があるのに。例の“籠城”してた部屋のとびらを開けた瞬間、まるで「あんたは、いつも、やらなくてはいけないことから逃げている」とでも言わんばかりに、目の前に山ほどのアレコレ残骸が現れた。
わたしの言動は、またしても「泣く」という行為だけで終わってしまった。他に方法を知らないのだ。あるいは、既にエネルギー枯渇でヘトヘトになっている。それはそれとしても、なんだかもうまったく成長しないヤツだ。
トホホホホホ。。
ここ数ヶ月、また嗚咽みたいな泣き方をすることがちょいちょいとあり、自分のことなのに疲れる。……うむ。自分で自分のことを「疲れる」とか言ってるんだから、わたしと関わる(関わろうとしてくれる)周囲の人は、もっと疲れるだろうなぁ。いつもごめんなさい。ぜんぜん反省してなくてごめんなさい。そして、また泣く(爆)。
そんな一夜が明けて。朝、変わらず、母は父をデイサービスへ送りに出たようだ。たった3ヶ月前まで住まっていたココは、変わりなく動いている、らしい。
母が不在のうちに階下で食事をしようと思うも、泣き腫らした眼も気持ちもグッタリしていて、気がついたら二度寝しており、目が覚めたら昼を過ぎていた。
タイミングを逃しまくった。
結局、夕方までグダグダとしてしまう。ココにひとまず戻った目的を遂行することなく、一日をダラリと過ごして終えた。過去2年眠っていたベッドは、皮肉なことにわたしの身体に馴染んでおり、一刻も早くこの馬鹿げた“修行”みたいな状態から抜け出したいと願いながら、どこかでかすかな安心感も持ってしまっている。
ココでこうして惰眠を貪っていても、誰も咎めてくる人はいない。これは幸なのか不幸なのか。
何度目かの目覚めのあと、布団の中でぼんやりとしていたら、妙な気分が起こった。
なんとも言葉では表しにくい、フワフワとした気分。わたしの未来は既に決まっていて、たとえ佳きことが起ころうとも、わたしの苦しみそのものは一生消えることはないのだと。つまり、わたしは死ぬまで変わらず、こんな風に生きていくしかないのだと。
急にポカポカと気分が良くなってきた。薄手の布団や毛布を重ねすぎて、その重みで暖かく感じるだけかと思ったが、どうやら違うらしい。
同時に。わたしと関わるあらゆる人たちが愛しくなった。わたしの前に姿をあらわす全ての人が、急にどうしようもなく愛しくなった。
今、わたしは泣いていないけれども、悦びの涙が、体の奥でポトンと一粒、落ちた。でっかい涙の粒。おそらく、今のわたしにとっては助けにはならない涙の粒。けれど、安心できる涙の粒。
いつも、ありがとう。
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