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2020年のよろこびと、それを見ようとしない私
"目が覚める。左手を枕元に伸ばす。細いそれを手に掴み、脇に挟む。1,2,3...…ピピピと鳴って、36.6。身が起きて、布団畳んで胃を満たし、PC開いてあなたと話す。日が照って、夜が来て、布団を敷いて、ごろんとなって明日が来る。
2020年なんて、総じてこんな感じの日が300日くらいあった印象だ。
……"
うるさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!!
どうせ自分が2023年になってこんなことを言い出すことは初めから目に見えていた。ここまで書いたものを見返して悪い意味で溜息が出る。
こんなこともあるかと思って、2020年の私は「とるにたらない」物事を溜めておくことにした。
多くの人にとって悲劇的だった1年の間で、私は何を笑い、何を喜び、何を尊んできたのか。
今3年ぶりに、私に訊いてみようと思う。
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これは、2020年(+2021年も数回)の私が嬉しいことがあったとき、その出来事を紙切れに書いて溜めておいた瓶。
意外と、中身は入っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1684034644071-wpNwf1FBOv.jpg?width=1200)
何を書いたのかは思い出せないけど、これを書いていたときの気持ちはよく覚えている。
「忘れるな」と思っていた。
確かにここにあるよろこびを、悲劇のシナリオの辻褄合わせのために隠すな。思い出せ。忘れるな。
その声は今、間違いなく2023年の私にはっきりと向けられている。
という訳で、3年ぶりにすべて読み返した。
全55枚の中で、多かったトピックはこのあたり。
・外食(なぜか特にサイゼで幸せを感じていた)
・家での食事(料理した、いい酒を買った)
・付き合っている人や友達、家族とたくさん話せる時間を過ごした
・写真の授業で先生に作品を評価してもらえた
・インターン先での活動(動画制作、中高生と話すなど)
・卒制など作品制作に関われた
・天気がいい
中でも印象的だったもの①
「些細さ、くだらなさにウケている」
![](https://assets.st-note.com/img/1684067653916-LLBhb9NU8e.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1684067868641-22IjhYiklR.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1684067909878-GNj8fiFAl2.jpg?width=1200)
混ぜてもらったオンライン演劇のプロジェクトで稽古をしていた時でしたね~
基本的に誰かと濃く関わった時のことをよろこびとして残しているケースがほとんどだったが、時々こうしてかつての日常を思い返すようなくだらなさを噛みしめ、敢えて残そうとしている。
印象的だったもの②
「将来のことなどをよく考えていたらしい」
![](https://assets.st-note.com/img/1684068206191-YwbnzUoQwm.jpg?width=1200)
2021年の3月~7月半ばまで就活をしていたこともあり、その直前期にあたる2020年はよく将来のことを考えて落ち込み、2021年は就活を憎悪してやけサイゼに行くなどしているようだった。
この頃動画編集などできることが増えたので、クリエイターとしての自我を確立させたくて「創造性」とか無理して言っている。
ちなみに最近個人事業主として開業したのだが、この頃から同じようなことを言い続けていることが分かり、ちょっと驚きだった。
印象的だったもの③
これ
![](https://assets.st-note.com/img/1684068606505-lnkvHljmlv.jpg?width=1200)
私はちょっとしたトラウマがあり、体調や健康のことに関しては人一倍心配性で、心労のせいか2020年〜2021年の間は月に一度のペースで原因不明の微熱を出すようになっていた。そして微熱が出る度に、自分の陽性を疑って心臓が潰れそうになっていた。
そんな時でも、心を許した人と外で食事を共にすると、当然楽しい。
そういう時間を全て忘れたような気になって、「不安」という実態のないものに心身ともにやられている自分のくだらなさに情けなくなったのを、これを読み返して思い出した。
2020年のよろこびを無視しようとする自分は、2020年の時点ですでに生まれていたのだ。
その裏には、外に出せば一種のあるあるのように扱われてしまう「コロナ禍の学生である自分の悲しみ」を生々しく切り出したい、誰かに心の底から認めてほしい、そのために悲しい自分であり続けたいという、絶対に満たされない渇きがある。
あれから時間が経ち、少しずつあの時の気持ちは過去のものに薄れつつある。
だからこそ「あの時しんどかったよね」「でもこんな楽しいこともあったんだよね」という話を、心から無邪気にできる時が近づいているのだと思う。成仏が近いと言ってもいい。
あの時に感じたことを、なかったことにはしない。
その上で、これからも続いていく日々のことも、一緒にまるごと抱えて生きていく。
そのために私たちは時折、こうして集って語る日があってもいいのだと思う。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:#いまコロナ禍の大学生は語る|青木門斗|note
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また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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