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今日、ハタチになりました。
初めまして、
私ごとですが、今日2024年6月13日にハタチになりました。
ということで、本を読まない私ですが文章を書いてみようと思います。
このnote.は高島花音(たかしまかのん)という20歳になりたての少女が書いています。よろしくお願いします💭
記念すべき初回は、私の簡単すぎる自己紹介とバックグラウンド、今日までの20年間と今後の抱負をお話ししようと思います。結構勇気を出して書いているので温かい目で見ていただけると嬉しいです。長くなりますがお付き合いいただけると幸いです。
自己紹介🌸
高島花音
2004年6月13日生まれ、A型、好きな食べ物は白米と粉物です。
English nameはCanon Takashimaです。父が海外ではKよりもCの方が、海外でも有名なCanonがあるので良いのではないか、と言ったくれたことをきっかけにCanonという表記にしています。
私の20年間
私は2004年6月13日に福岡県福岡市で生まれました。生まれた当初から髪の毛がふさふさ生えていたそうです。幼稚園はいずみ幼稚園というところに通い、毎日イエス・キリスト様にお祈りを捧げたり、上裸でランニングしたり、故事成語やことわざを覚えさせられたり、今は全くしないようなことをしていました。絶対的、1番厳しくされた3年間でしたね。自信を持って断言できます。笑。当時から先生や近所のおばちゃんと話すのが好きで職員室によく通うような子でした。まさに今のオリジンと言えるところですかね。今もびびるくらいよく喋ります。一人でも喋れます。
第1のターニングポイント
幼稚園卒園前に人生の第1のターニングポイントがありました。それは、両親が離婚し、新たな場所へ引越したことです。もし、あの頃両親が離婚せず、親友と同じ小学校に通っていたらまた別の人生だったのかな、と今でも思います。はじめは友達0からのスタートだったのですが、入学式ですぐ友達ができました。人見知りをしない性格もこの当時からあったみたいです。しかし、友達と良い関係を築くのはあまり得意ではなかったです。何故でしょうね。あのときの私はだいぶでしゃばり、良いように言うと正義感が強すぎる子でした。周囲の友達は上手い生き方をしていたな、と今思います。今を思いっきり楽しむ感じでしょうか。言語化は苦手です、、父は幼いころから表に立つ仕事をしているので、そういった面でも大変だったことは何度かありました。
第2のターニングポイント
そんな中、小学6年生で第2のターニングポイントがありました。それは恩師である「山下先生」という先生のクラスになったことです。その先生との出会いは今までの人生のなかで大きなものであり、私の人生を明るくしてくれるものでした。その先生の口癖は、気合があればなんでもできる!と、やって後悔よりもやらない後悔の方が大きいぞ!でした。そう言って、学校行事を誰よりも本気に楽しむクラスの土台を作ってました。皆さんにイメージしてもらいやすく言うと、小学校の松岡修造でした。その2つの言葉は、今の人生で最も大切にしている言葉です。2つの言葉を大切にし始めてから、私もうまく生きれるようになったと思います。
中学校に入学してから、1年間は楽しむことに集中しすぎましたね。私の周囲の友達はみんな元気すぎて、色んな大人に迷惑をかけました。2年目は、芸能事務所(covergirl entertainment)に所属し始め大人と関わるようになったり、仕事を始めたたりと将来を意識することが増えました。ここで面白いのが、毎年参加していた英語のスピーチコンテストで、将来の夢はモデルになることと、起業すること、お嫁さんになること、と断言していました。案外着実に叶っているなと思います。芸能事務所に入ったきっかけは、とても私の歩き方がカッコ悪く、父に事務所でレッスンを受けることを勧められたことでした。初めて先生や先輩の歩きを見た時から、カッコ良い綺麗な女性の像は「covergirl entertainmentの先輩モデル」であることは変わりません。その事務所のレッスンでは歩き方以外にも身の振る舞い方、カメラの前での意識など生きていく上で知っておいた方が良いことをたくさん学びました。この経験は誰もがしているわけではないと思うのですごくラッキーだったなと思います。今回のハタチの前撮りも当時お世話になっていたカメラマンさんに撮っていただきました。とてもよく撮っていただいたので、皆さんにも見ていただきたいです。笑。そんなこんなで、中学2年生から芸能活動と勉強をなんだかんだ両立させてきました。私は本当に勉強が苦手だったので、少し高校受験が優位になるかなと思い生徒会長も務めたのですが、そんなことなかったです。塾でしっかり勉強してました。今思うと、この時期が1番勉強してました。しかし、私の余裕のなさから周囲の友達に対して凄く当たりが強かったな、とも思います。私の地元は、その市内から出る生徒がそもそも私しかおらず、勉強しなくてもどうにかなる友人と、勉強をたくさんしないと行きたい高校に行けない私。今考えると当たりが強くなるのも仕方がないのかな、と思いますが、私はそのときの、勉強に夢中で周りに当たりが強くなってしまって友達が遠ざかるような状況には2度と戻りたくないです。結果、受験も第二志望だった高校に進学しました。そして、この経験から高校では勉強よりも、3年間しかないJKの時間を思いっきり楽しもうと心に誓いました。
高校は、福岡大学附属大濠高校という私立の高校に進学しました。入学式は新型コロナウイルスの影響で中止に、高校に通い出したのも5月の半ばからでした。今写真フォルダを見返してもマスク姿ばかり、高校3年生になってやっとマスクの下の顔を見た同級生もいました。そんな状況下でしたが、JKの間はたくさんJKらしいことをしました。放課後、プリクラ撮ったり、Tiktok撮ったり、体育祭の演舞で初代女団長になったり、バンドをしたり、たくさん恋して、失恋しました。入学当初はお手洗いで会うと少し怖かった同級生も卒業するころには同じ大学に進学して仲良くなったりもしました。凄く濃くて愛おしかったJKが好きすぎて、高校最後の弁論大会では全校生徒の前で「後悔しないように今の時間を楽しもう」的な内容の話を熱弁しました。また、私の高校はスポーツがとても強かったので、在校中にはバスケ部が日本一になったり、野球部が甲子園に出場したり、同級生がアジアカップで入賞してきたりと凄く刺激的な出来事が多かったです。甲子園の際には、現地に行って応援するだけでなく、試合の前日に京都観光もイレギュラーでできました。軽く言って最高の3年間でした。先生方も生徒の進路に対して、すごく寄り添ってくださる方々が多く、海外大学に進学する生徒も何人かいました。胸を張って「母校です!」と言いたくなるような高校です。
第3のターニングポイント
人生の第3のターニングポイントはオーストラリア・シドニーへの1ヶ月の留学です。時期は高校三年生になる前の3月です。当時は海外大に行きたくなって、担任の先生に相談したところ「高島、とりあえず行ってちゃちゃっと話せるようになりなよ。」と言われました。私の当時の担任の先生もなかなかワイルドですよね。それをきっかけに、英語の担当をしてくれた先生に放課後マンツーマンレッスンをしていただいたり、英語を話す練習を始めたりと留学準備を始めました。留学自体は、EFという語学学校を利用しました。
EFシドニー校で出会った友達は今でも仲が良く、スイスの友達が日本に遊びに来てくれたり、グループチャットで話したりと頻繁にコンタクトを取っています。日本人の友達はなんと最近友人のスタートアップでインターンを始めました。縁って本当に素敵ですよね。シドニー留学期間中に学んだことは、多文化共生の素晴らしさと、語学はツールだということの2つです。シドニーは正直に言うと、日本よりも生きやすく感じました。シドニーはアジア、ヨーロッパ、先住民など様々なバックグラウンドを持つ人々が住んでいるのですが、お互いが認め合っている雰囲気が凄いのです。どういうこと?と思われるかもしれないのですが、そう言う方は是非行ってみてください!互いが差別することなく、文化を愛し合う、共生する姿が私は大好きでした。その姿に刺激を受け、出身地である福岡でもその共生を体現したいと思うようになりました。
そんなとき、大名小学校跡地のFGNを訪れ、グローバルシェイパーズ・福岡ハブの皆さんのお話を聞く機会がありました。そこでお会いした方々は、各々のビジョンや実現したいことのためにビジネスや活動をする、カッコいい大人でした。私の多文化共生を体現したいという思いを話すと、その中の一人が「For Good」さんでクラウドファンディングすることを勧めてくれました。そのことをきっかけに、高校3年生の夏に「留学したくてもすぐにできない福岡の学生のための国際交流イベント」を開きました。当時の私は、クラウドファンディングの進め方も、そもそものイベントの開き方も知らなかったので、応援していただくのにはとても苦労しました。参加学生を集めるのは容易でしたが、福岡在住の留学生や外国人の知り合いがいなかったので道で声掛けしてました。今思うと、これが初めての不審者経験でした。そして、なんとかクラファンの目標金額を達成し、参加者も集め、イベントを成功させることができました。この経験を通して、挑戦の難しさと楽しさ、素敵な大人との出会いがありました。
大学は、大阪旅行のときに「関西万博2025」という文字を見つけて、せっかくなら大阪の大学に行こう、と思いで大阪の大学を受験しました。大阪の大学×留学しやすい大学、ということで関西外国語大学に進学しました。
第4のターニングポイント
第4のターニングポイントは、IVS2023での素敵な方々との出会いです。きっかけは、知り合いがIVSを理由に京都に来ていて、久しぶりにお会いしたいです、とメッセージしたところIVSのお話を伺いました。IVSが何かや開催されていることも知らなかったのですが、バイト終わりのアフターパーティから参加させていただきました。そこで出会った方々とは夜な夜なWell beingについて語りました。年齢・職業関係なく幸せを語る。とっても幸せな夜でした。そのなかで私が「凄く素敵ですね」という言葉を発したとき、一人の方が、「素敵ですね、ってめっちゃ良い言葉だね。」と言ってくださいました。「素敵」という言葉は「素晴らしい」よりも相手の目線になって上から目線にならずに目上の方にも使える言葉のようで、自然に相手に対して好印象を抱くときに発するのではないか、ということをおっしゃっていただきました。普段意識せず使っていた言葉を自分の予想以上に素敵な表現として受け取ってくださって凄く嬉しかったのをよく覚えています。IVS後にcancreという「Z世代がZ世代の好みのSNSを作成する」という事業を始めたのですが、その方は今でも良くお話していて、お仕事のお話もよくいただいています。
また、別の方からはU23-summitという、慶應SFCのすずかんゼミが主催しているイベントのお話をしてくださいました。そのお話をきっかけに、実際にイベントに参加し同世代の自分のビジョン達成のために頑張る方々とたくさん出会うことができました。そのうちの一人が、Arata NakatujiというForbes under 30 and 30 2023に選出された早稲田大学の学生です。彼は「好きを自分を表現するSNSアプリ artics」のFounderでした。Arataさんは、Day 1から世界を目指す。アメリカで若いうちに挑戦して、FacebookのようなBigなアプリを日本人として作りたい。そして、エンタメ産業の抱える課題を解決し21世紀のルネサンス起こす。と言っていました。その話を聞いて、こういう人が世界を変えるんだな、と本気で思いました。そして、「何かできることないですか」と聞いたところ、経済産業省とCIC Japan Desk、BostonのMass challengeが共同主催していた”BRIDGE TO MASS CHALLENGE JAPAN 2023 (B2MC)”の参加にあたり適任がいない、という状況についてお話しされました。正直、その話をされるまでアメリカに行く、という選択肢が全くなかったので戸惑いました。次の日、友人に相談すると、その話を私にする時点でかのんの心の中では決まってるんでしょ、と背中を押してもらいました。というトントン拍子ですぐにArataさんにお返事をして、また次の日にはArataさんとartics COOのNelson、MarketerのAmiにZoom面接をしていただきました。その結果、1週間後にBostonにいました。自分でなかなかCrazyだなと思います。私もarticsも。笑
第5のターニングポイント
第5のターニングポイントは、articsとの出会いです。正確にいうと、Arataさんをはじめとするarticsのメンバーの出会いと、articsでの活動です。BostonでのB2MCプログラムでは、初めてのことがたくさんありました。英語でのPitch、Harvard University, Boston Universityをはじめとする大学・専門学校でのヒアリング、All Englishでのネットワーキングイベント、ブース出展。特にヒアリングは、2週間の間にプログラムと並行しながら100人以上の学生に声をかけました。海外で不審者になる初めての経験でした。今でもこの期間のことを思い出すと何も怖くなくなります。また、一緒にプログラムに参加したメンバーのNelsonとAmiからは多くのことを学びました。Nelsonは営業魂の鬼で、can'tは絶対に使いません。いかに物事を可能にするかを考える天才です。初めてのアメリカで隣にいた人がNelsonで心から良かったなと思います。Amiは凄く努力家でセンスの塊です。彼女は英語が堪能で私が全く理解できていないような会話も完璧で、同じく不可能を絶対に生み出しません。この2人はできる、作り出す天才です。
そして、このプログラムでもう1人凄い女性に出会いました。彼女は、ハンガリーの大学の医学部生でアイデアベースの事業で1人Bostonに来ていました。私自身も行動力がある方だと思っていましたが、彼女に出会って初めて本物の行動力を見ました。尊敬の塊です。何かのプログラムやイベントに参加することは、内容以上に素敵な出会いがあるのが1番の魅力かなと思います。プログラムを終え、帰国してからもarticsのメンバーとして様々なイベントに出展するようになり、それと同時に大阪から東京に行く機会が増えました。その時から、東京のスタートアップイベントに参加し始め、友人も増え、大学に通うよりも東京のイベントに参加したり、articsとして活動した方が学びが多く感じ始めました。そうすると、大学にいかなくなってしまい全てが曖昧になってしまいました。そんな中途半端な状況が嫌で、思いっきり自分の興味を持つことを深掘りしたいと思い休学と東京で暮らすことに決めました。それが、休学を決めた理由です。
休学前の2023年3月にはarticsとして、アメリカ・テキサス州オースティンで行われたテクノロジーと音楽の祭典である「SXSW 2024(サウスバイサウスウェスト)」に出展してきました。この期間はまさかの生理(超重い)と重なったのもあり、いろいろと大変でした。なぜなら、現地に着く前に自分の体重よりもはるかに重い総重量70キロ超えの荷物、イベント期間中に使う3000枚のポスターを運んだのと、トランジット場所だったLAで急にカードが使えなくなり飛行機を逃したという大型イベントを乗り越えてのイベント出展だったからです。本当に勘弁して欲しかったですね。命あるだけ幸せですが、大変でした。イベント期間中は、海外向けSNS,リールの作成、出展ブースでの営業、ヒアリング、ユーザー営業をしました。全てが濃かったのでさすがにまた別の機会にこのイベントについては、お話しようと思います。
このイベントが終わった後、親友が小学6年生のころにホームステイしていたお家がテキサスにあったので、連絡して12日間滞在させていただきました。そしてまたまたCrazyなのが、お家にお邪魔した日からその家族の友人の結婚式に出席したり、次の日からColorado州に車で旅行しに行ったりと濃い12日間を過ごしました。これも、良い経験すぎたのでまた改めてお話ししようと思います。中でも未来につながるお話しを1つさせてください。
テキサスに滞在中にH martというアジアンスーパーを訪れました。そのスーパーには、韓国製品が8割、日本製品・中国製品がそれぞれ1割ずつありました。私は韓国の食品、エンタメ含め文化も大好きですし、リスペクトしていますが、少し悔しい気持ちになりました。日本製品は質も味もコスパも良いものばかりなのに、海外の人にまだまだ知られていない。対して、海外の人の中には、日本に訪れるのが夢だと言ってくださる方々がいるという現実。このもどかしいどうしようもない気持ち、、、!!
今の私の思い描く未来
![](https://assets.st-note.com/img/1718306972259-EJhsA7270k.jpg?width=1200)
私は、日本の良いものが海外の人に知られていない現状にもどかしさを感じると同時に、私が発信して海外と日本製品の架け橋になりたいと思っています。その先に私が思い描くのは、Super Coolな日本です。私の思うSuper Coolな日本とは、経済的にも発展し、文化を絶やさず、日本の美で海外に発信することです。(まだまだ解像度低いので、是非壁打ちや議論をさせてください。)私は日本のつくる文化やエンタメ作品、食が大好きです。しかし、近年の日本は円安が続き、経済格差が広がる傾向にあり、非常に良くない状況だと感じます。どんなに文化が素敵であっても、経済的に潤わないと本当に幸せな国と言えるのでしょうか。私は飲食店でアルバイトもしているのですが、最近は特に収益をインバウンドに頼っているように感じてしまいます。私はそれが凄く悲しいです。SNS事業を実際に動かし、最近では飲食店の内政を整えるお手伝いをさせていただく機会があるのですが、インバウンドに頼っている割に英語での発信はまだまだできていないお店がほとんどなのが現状です。日本の経済を少しでも良くし、日本文化を発信する中で私ができることを考えました。私は自身でSNSを始めたときから、自分の好きなものを人に発信するのが好きでした。また、父が現在行政として日本を良くしようとしていることもあり、日本や地元の福岡に対して貢献したい気持ちが幼い頃からあります。それらのことから、私が得意で且つできることはなんだろう、と考えた末、Japanese Ryokanを海外に作りたい、と思うようになりました。
私の考えるJapanese Ryokanでしたいのは、日本のおもてなしの体験の提供と日本製品の卸売です。着物を着てお出迎えをし、日本の美味しい和食を味わっていただく。そして気に入った製品はお買い上げいただいたり、実際に卸売の契約まで結ぶことができる。そんな場所にしたいと考えています。正直なところ、まだまだこの計画は自分のなかでも詰めれておらず、トライアンドエラーを繰り返す段階なのですが、残りの休学期間は思いっきりトライします。エラーも繰り返したのち、日本をSuper Coolにするために別の手段を選択することもあるかもしれませんが、応援していただけると大変嬉しいです。この活動をInstagramをはじめとするすべてのSNSで発信しているので以下のリンクより、もしよければ見守っていただけると嬉しいです。
最後に
ここまで、お付き合いくださった皆様。本当にありがとうございました。以上が私の今までの20年間と未来のお話でした🌸生まれて初めて8000字以上の文字を綴りました。note.は今後私なりに更新していこうと思うので、是非また投稿した際には読んでいただけると嬉しいです。
20歳、ハタチの高島花音もよろしくお願い致します!!💫では!また会う日まで〜〜!