CANNOTの旅行記~近畿編~
旅行に行きました
こんにちは。はじめまして。cannotです。先日高校時代の友人たち四人で近畿圏、主に京都・和歌山の観光とそれに付随していろんな鉄道に乗ってきました。ちんたらしてたら三か月くらい経ってしまいました。書く気ある?
非常に楽しかったんですけど、この経験を自分の記憶だけにとどめるのもなんだか勿体ないなと思うので、この機会にブログみたいなものを作ってまとめてみようかなと思います。
文章の書き方を勉強しているわけでもないので言葉遣いも変だったりしますが、暇つぶしにでもしていただければ。
一日目
第一走者:東海道線 1821E 普通 小田原行
藤沢07:11→小田原07:46
1日目の始動は比較的遅め。同行者たちは居住地がバラバラなので、1821Eで合流したり、遅くても小田原で集合ということになっていた。
しかし、旅程は崩壊してなんぼ。
この日、朝から京浜東北線の線路内人立ち入りのせいで東海道線は5分前後の遅れをもって運転していた。
本来はこの8分後に来る1521Eで向かう予定だったのだが、1821Eがいい感じに乗り継げたのでこちらで小田原へ向かった。
何とか全員が小田原へ到着し、次の目的地へと向かう。
第二走者:東海道新幹線 633A ひかり633号 新大阪行
小田原08:06→京都10:12
633Aは小田原を出ると名古屋、岐阜羽島、米原、京都と停車する。
乗車電はまさかのN700S。
実は筆者は人生で一度しか東海道新幹線に乗ったことがなく、これが二回目の乗車になったわけである。ちなみに初回は豊橋‐名古屋間。
自由席は1~5号車で、4号車や5号車の乗り場にはそれなりに人がいたものの、先頭1号車に行けばスカスカだった。この日は曇り(というか小雨)であったから車窓はあまり気にせず席に着いた。
第三走者:山陰本線・京都丹後鉄道 宮津線・宮福線 5083M 特急 はしだて3号 天橋立行
京都10:25→天橋立12:35
途中停車駅は二条、亀岡、園部、綾部、福知山、大江、宮津。また、途中の綾部まで特急 まいづる3号 東舞鶴行を併結している。
車内は大体6割程度の乗車率。そのうち半数程度が福知山までに下車し、終点の天橋立までは3割程度が残っていた。
一行はここで天橋立の観光に向かった。小雨が降っていて絶好の眺めとはならなかったが、さすが日本三景というような景色を見せてもらった。
この景色が見られる天橋立ビューランドの展望台に登るためにはモノレールかリフトがあるが、行きはモノレール、帰りは(私だけ)リフトで帰った。
雨も止んだタイミングであったので、リフトで降りながらあの砂州(砂嘴)をずっと見ていることができた。
第四走者:京都丹後鉄道 宮津線 5085D 特急 はしだて5号 久美浜行(久美浜から快速 豊岡行)
天橋立14:32→豊岡15:36
駅ホームや自動放送の案内は「久美浜行」だったのでこの見出しでも同様の表示にしているが、実際は久美浜-豊岡間を快速として運転する。従って、実際に乗車するために必要な特急券は「天橋立-久美浜」ということになる。
京都丹後鉄道では特急券の遠隔での販売は行っていない。ネット販売や電話等も無い。なので、はしだて3号で到着した後、窓口に少々並んで購入した。
使われている車両はKTR8000形、通称「丹後の海」。かつて「タンゴ・ディスカバリー」として使用されていた車両が、あの水戸岡鋭治氏によってリニューアルされて誕生した車両形式。
車内は水戸岡氏特有の木材をふんだんに使ったデザインで、豪華さを感じられるものになっている。
天橋立時点で悲しくも空席が目立ち、途中の夕日ヶ浦木津温泉での降車以外に目立った乗降はなかった。
この日は何度も言うように天気があまり良くなく、観光客が少ないのも仕方ないかもしれない。
第五走者:山陰本線 537K 普通 鳥取行
豊岡16:07→城崎温泉16:19
この日の最終目的地はこの城崎温泉。537Kは(多分)キハ47の二両編成。城崎温泉駅ではドアが勝手に開いてくれるので、ワンマンでも二両目に安心して乗れるね。
鉄オタ4人(内1名はどちらかと言えば旅行オタク)の旅行で16時台に移動完了って、ちょっと信じられないですよね。まさか明るいうちに電車に乗る必要無くなるとは。
え、537Kの乗客ですか?
そんなの言わなくてもわかるでしょ?
まあ、0ではないくらい。
お宿の話
今回宿泊したのは「幸楽園」さん。城崎温泉といえばの外湯めぐりの中心地からはちょっと外れた場所にある。
言葉を選ばないで言うと、外装は結構古め、館内も結構古い感じの宿。ただ私たちがここにしたのは宿の作りがどうかということは一切関係なく…
ということで、この宿ではカニ1杯丸ごと食べるのが目的だったわけですね。
ちなみに左上のお肉は但馬牛。ちょっと宿泊プランをランクアップしてお肉まで付けてもらいました。
お料理は海鮮ものが多くてお魚大好き人間としては結構嬉しかったですね。中央上でなんかかぶさってるやつは鯛の煮付け。刺身も煮物もなんでもあります。
これがある程度食べ進めたらさらに味噌汁とご飯が出てきます。すごいね。
私は爆食いおじさんなので最初のやつ全部食べたあとご飯3杯食べましたけど、同行者はご飯1杯食べて結構キツそうでしたね。さらにうち1名は食べきれないのでカニの足くれました。
で、食事が終わったら温泉ですよね。
宿泊した幸楽園さんはどうやらそれほど広い浴場をお持ちでないようだったので、同行者達は外湯巡りを楽しんだらしいです。
私ですか?私は外湯1つだけ入って満足して宿に戻りました。私熱いお湯が好きじゃなくてですね…
ただ、唯一入った「さとの湯」さんは、どうやら今年の3月末で無期限休業に入ってしまうそうなので、いい体験はできたと思いますよ。
1日目はこんな感じ。行程に余裕があって結構良かったんじゃないですかね。
二日目
第六走者:山陰本線 165D 普通 浜坂行
城崎温泉10:26→餘部11:07
この旅行、基本的には同行者が行程をほとんど考えてくれたんですけど、餘部だけは唯一私が行きたいと意思表示をして行程に組み込まれました。
今の餘部橋梁は近代技術で強固なものになっているが、かつての橋梁はその見た目がすごい。実際に見た訳ではないものの、写真だけでその凄さを感じた。
この餘部橋梁で思い浮かぶのは、「餘部橋梁列車転落事故」。専門家ではないので詳しく書くことはしないが、旧橋梁時代に風にあおられた客車列車が橋梁から落下し、乗車中の社員数名と下にあった工場勤務の従業員数名が死亡あるいは重症を負った事故である。
この餘部の地域は3方を山に囲まれ、残りは日本海からの強烈な海風に晒される地形であった。実際、私たちが餘部に降り立って観光している際も常に強い風が吹き続けていた。この地域の地形的な過酷さを感じる瞬間であった。
なお、ここ餘部には「道の駅 あまるべ」があり、餘部橋梁に関連するグッズや香美町の特産品が購入出来る。
また、旧橋梁を解体した際に実際に生まれた部品を細かく切り出して文鎮等に使用できるような状態にして売っている。興味がある人は行ってみてほしい。
第七走者:山陰本線 531D 普通 鳥取行
餘部12:43→浜坂12:56
餘部の観光を終えた後、大阪方面が次の目的地であったが一行はここで鳥取方面に進行した。
餘部‐浜坂は途中駅が久谷のみ。わずか13分での到着だ。
乗客は前日の537Kと同じくらい。寂しいものです。
第八走者:山陰本線・播但線・山陽本線・東海道線 4D 特急 はまかぜ4号 大阪行
浜坂13:30→大阪17:05
香住から乗ってもよかったが、餘部からの普通列車のかみ合わせが悪かったので浜坂まで行ってから折り返した。
山陰本線区間では城崎温泉での乗車が目立った。播但線への起点になる和田山で城崎温泉と同程度の乗車があり、ここで七割程度が埋まった。
姫路で大半が下車し、残りは大阪まで乗車していた。
途中の姫路で進行方向を反転し、姫路からは神戸線を爆走。電化区間をディーゼルふかしてかっ飛ばしていくのは結構爽快だった。
大阪到着後は各自自由行動でで短い大阪観光を行った。
私がやったのはたこ焼き食べたくらいですが。
第九走者:東海道線 222C 普通 京都行
大阪19:40→新大阪19:44
特に言うことないです。
帰宅ラッシュに重なってたので、大きめの荷物四人で乗り込んで申し訳なかったです。
第十走者:東海道新幹線 760A こだま760号 三島行
新大阪19:51→京都20:05
これも特に言及するようなことは起こらなかったです。
たった14分で新幹線を降りる優越感を感じたくらいですかね?
第十一走者:特急 WEST EXPRESS 銀河 新宮行
京都21:15→新宮09:37
今回の目玉その2。
もう入線時から四人とも大興奮でしたね。
今回は4人のうちの一人が、高校の後輩と協力してe5489に張り付いたおかげでクシェットが4枚取れた。
しかし、ここで1つ問題が生じた。
クシェットは、昔の寝台車のような形で一区画4席あるが、うち1席を他の方に取られてしまっていた。
流石に1人だけ別はしんどすぎるし、やってきた1人の方もスーパーアウェーでしんどいだろうと予想し、「席の交換をお願いしたら承諾してくれるだろう」という推測でいた。
京都で席交換をお願いしたところ、快く承諾してくださった。
検札時に車掌に伝え、車掌にも了承を頂けたので無事に4人で同じ区画を使えることになった。オタクは優しいからね。あの時の方には本当に感謝しています。
紀南コースは京都を出発し、東海道線を走行。大阪手前で地下ホームに入り、そこから環状線を抜けて天王寺へ。
天王寺からは阪和線を南下し和歌山駅へ。
この和歌山駅では、長めの停車時間の間に改札外へ出てラーメンを食べることができる。正確に言えば、持ち帰り用のラーメンを受け取って、車内や駅構内で食べることができる。
このラーメンは事前に申し込みが必要な点に注意。
後で同行者の話を聞くと、2階はあまり寝心地が良いとは言えず、あまり寝られなかったらしい。私は1階で寝ていたが、和歌山を出発してから次に記憶があったのは串本到着の10分前だったと思う。十分に休息は取れた。
串本では申込者へ弁当の配布も行われた。
全体的にサービスは手厚くかなり満足度は高かった。
三日目
観光の話
新宮駅で銀河を下車した後、南紀号で帰る予定だったが乗車予定の南紀8号は新宮駅17:31発。新宮駅周辺だけで8時間近く潰すのはさすがに無理がある。
そう簡単に来れる場所じゃないのでどこも見ごたえはあるわけだが…観光地も豊富なので時間が許す限り那智勝浦を楽しんでいくことにした。
一行はまず新宮駅近くにある熊野速玉大社へ。
新宮駅から徒歩でも向かえるが、せっかくなのであのバスに一瞬だけ乗ってみた。(このバスの全行程の1/1000くらい?)
速玉大社もかなり有名な観光地ではあると思うが、朝10時ではまだ南紀1号は到着していないので静かな雰囲気だった。
さて、那智勝浦町と言えばなんだろう。
そうですね、那智の滝ですよね。
ということで、一行は那智の滝へ向かうため紀伊勝浦駅へとバスで向かった。きのくに線?ば、バス停の方が近かったから…
乗車したバスはICカードが使えないバスだった。ただしPayPayは使えるようになっていた。
紀伊勝浦駅へ私たちを送り込んだバスはそのまま那智の滝がある那智山行のバスへと変化。駅前でお得なバスの乗車券を買い、いざ山へ。
という感じ。
那智勝浦は知名度の割に到達するのに時間がかかるスポット。観光バスも1台くらいしか居なかった。(これは平日だったのも影響しているとは思うが。)
居心地のよい場所であったが、この日は4人ともかなり寝不足気味。飯も食べてないし前日から全く風呂に入っていない。
大門坂を下り、途中のヘアピンカーブにあるバス停から紀伊勝浦駅行のバスに乗って駅前へ。
駅到着後、お腹がすいて仕方がない4人はいい感じの飯屋を探して観光センターに突撃。火曜日が定休日の店も多く観光センターの方にご迷惑をおかけしたものの、おかげで美味しいマグロ丼にありつけた。
かなり高いのはそうですがすごく美味しいですからね。この値段なだけはありますよ。
第十二走者:紀勢本線・伊勢鉄道・関西本線 3008D 特急 南紀8号 名古屋行
紀伊勝浦17:11→名古屋20:49
さて、食事も済ませた一行はどうしても風呂に入りたい。日帰り温泉を探したところ、ホテル浦島という老舗ホテルが日帰り温泉をやっているとの事だったので突撃。
このホテル、日中時間帯にはフェリー輸送をしている。
ここの温泉の特徴は硫黄系の泉質。受付時の注意事項で貴金属類に注意と言われた通り、浴場では大涌谷みたいな匂いが充満していた。
私ともう1人は温泉にあまりこだわりはなく、20分程度で上がった。いや、上がらざるを得なかった。
⏰16:30⏰
私「いやー、あと40分で特急出るしそろそろ上がるか」
友「?、あと1時間あるでしょ?」
私「紀伊勝浦発は17:11では?」
友「…」
私「えっ?」
友「あいつら(温泉が好きな残り2人)は17:31発だと思ってるよ」
私「バッカモーン!そいつは新宮駅の発車時刻だ!」
元々新宮駅周辺で時間を潰す計画だったため、南紀号の発車時刻も新宮駅基準で考えていた。
とりあえずcannotが紀伊勝浦駅で荷物を預けたコインロッカーの鍵を持っていたので、2人で先に駅に戻って後から追いついて来た2人ができる限りスムーズに乗れるようにしよう。
南紀8号に乗り遅れると、この日中に神奈川県へ帰れないので本当にまずい。
LINEにメッセージを残して、4人分の紀伊勝浦-新宮の乗車券を買いにMVへ向かったら…
「紀勢線の強風による速度規制のため、折り返し列車は現在30分遅れで運転しています」
もう1人と顔を見合せて大笑い。
というわけで何とか当日中に帰れる目処が立った…ように見えた。
紀勢線に強風の速度規制がかかるということは、南紀8号も当然影響を受ける。
定刻通りであれば名古屋駅に20:49着。乗継予定の新幹線はひかり668号東京行(名古屋21:39発)だが、南紀号の到着時点で小田原に停車する新幹線はこれが最終という罠。
実際はこれに余裕で乗り継げたので良かったが、もしこのひかり号に間に合わなかった場合、どういう扱いになるんでしょうね。実際、車内では車掌が、のぞみ等の指定席の乗り継ぎの有無を乗客に聞いて回っていた。
HC85形は導入されて間もないこともあり内装はすごく綺麗。座席の乗り心地も良いし自動放送もクリアに聞こえるし、トイレもキレイ。
途中駅では特に、熊野市、多気、津からの乗車が多く、名古屋到着直前には指定席号車の窓側はほぼ全部埋まっていたと思う。名古屋には13分遅れで到着した。
私達は乗り換え時間が十分にあったが、おそらく新幹線の指定席に間に合わなかった人も多かっただろう。
ちなみにHC85系には、「指定席の振替は有人改札に行け(意訳)」の自動放送までついていた。さすがは最新の車両だ。
第十三走者:東海道新幹線 668A ひかり668号 東京行
名古屋21:39→小田原22:53
完全に帰路についただけなので、とりわけ深く言及する内容でもないだろう。自由席利用だったが、浜松、静岡での下車が多かった。
先程も言及したが、南紀8号が定刻で到着した時点で、その日小田原に止まる最終の新幹線である。小田原の下車もかなり多かった。
第十四走者:東海道線 730M 普通 品川行
小田原23:10→藤沢23:42
いよいよ最後の電車。
そして、東海道線の上りとしても品川行の終車。
このあと国府津行の終車が来るが、国府津以東へはこの電車に乗らなければおしまいである。
藤沢は23:43の発車だが、下りの終電が24:45平塚行であることを考えると東京への一極集中を感じる上り終電の早さ。
眠気に負けないよう踏ん張りながら無事に藤沢で下車し、あっという間の3日間の旅行は幕を閉じた。
終わりに
毎年高校の同級生たちとこんな旅行をしているわけですが、果たしてこれはいつまで続けられるんでしょうかね、皆目見当がつきません。
旅行記書くの結構楽しいなと思ったんで、他の旅行についてものんびり書き進めていこうかなと思います。
暇つぶしにもなるし、自己満足できるし、しぶろくを書く練習にもなるんで。