新体操選手だったころ
とある田舎で、子ども英語の先生をしています。
そろそろ新体操について書きましょう。
「生まれつき身体が柔らかかった」
ただそれだけです。
そこまで仲良いわけじゃなかった友だちに誘われた理由は。
好奇心はあったけれど、新しい世界に飛び込む勇気がなかった幼きわたしが、お姉ちゃんに続いて始めたピアノより、親のすすめだったスイミングより、なんとなくみんながいるから始めた硬筆よりも、
新体操にガッツリはまっていったのは、
なんでしょうね・・・
自分なりに美しい動きをしてみたり、
音楽を体で表現してみたり、
それまでふわふわと思い描いていた夢や妄想を実現できているような、
そんな感覚だったからなのかな~。
って今は思います。
もしかしたらクラシックバレエに出会っていたらそれだったかもしれないし、
ジャズダンスならそれだったかもしれないんだけど、
わたしのそれはたまたま、
新体操でした。
自分が動かす手具にウットリ。
大きなガラス窓にうつる自分の影の動きにウキウキ。
音楽と、自分の動きと呼吸がぴったり合うたびに、パーっ♡
結局、大学卒業まで12年間、競技を続けることになります。
岡山県は全国的にはレベルは低かったけど・・・
県内では常に個人でトップだったし、全国大会に何回も出ました。大学最後の年には全国学生選手権で種目別8位に入ったんですよ。
まー、どっぷり、ハマっていたわけです。
車で1時間ほどかかる体育館まで練習に行って(親が大変)
練習のない日は自主練と、
自分の演技や憧れの選手のビデオを観て研究。
お風呂上りは地獄の柔軟体操。
その頃のわたしの、ほとんどすべて。
英語は好きだったから、
高校くらいで、ホームステイに行きたい!って言えば、親は行かせてくれてたと思います。
でも、新体操の練習と試合を休むことは選ばなかった。
新体操選手、それがわたしのアイデンティティ。
身長が低いし、がっちり体型だし、
全然新体操向きではなかったわたしですが、
ジャンプ力(単に足で跳ぶのではなく、上体の引き上げとタイミングにテクあり)と
表現力に定評がありました。
音楽のかもし出す雰囲気をとらえて、合う動き、表情をする。
筋肉の緊張と脱力で、緩急のある動きをする。(上半身を柔らかく使うのがミソ)
そういう演技が得意でした。
「記録に残るよりも、記憶に残る選手でいたい」ってくさい台詞を
当時の日記に書いていましたよ。恥
大学を卒業して2年間は、ジュニアクラブのコーチをしていました。
やっぱり新体操は好き。
教えるのも好きでした。
だけど、裏方の目から見た新体操界はあまりにも特殊な女性たちの世界で
・・・これについては話せば長くなるけれど。。
とにかくわたしは、逃げました。
違う世界を見てみたかったとか、若いうちにやりたいことをやりたかったとか、それっぽい言葉はなんぼでも出てきますが、
結局は逃げて、
カナダへ行きました。
第2のアイデンティティである「英語好き」に舵を切ろうとしたのです。
悩める若人、自分探しの旅へ・・・!
つづく。