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ご当地発見伝①

江戸の肉食男子

肉はお薬?

「ここ滋賀」の店舗正面

東京都中央区日本橋に「ここ滋賀」という滋賀県のアンテナショップがあります。このお店で目立つのは、何といっても近江牛の関連商品です。
その歴史は古く、江戸時代に牛肉の味噌漬けが彦根藩(現在の滋賀県彦根市)から将軍家に献上されていました。
ん?江戸時代は牛だけじゃなく肉食は禁忌だったのでは?
確かに、身分を問わず肉食は禁止されていました。なので彦根藩は牛肉の味噌漬けを、「反本丸(へんぽんがん)」と称し、滋養がつく薬として将軍家や大名たちに贈っていたのです。

井伊家の役割と役得

彦根城天守

それでは、何故彦根藩は牛肉の加工品を製造できたのでしょうか?
彦根藩を治める井伊家は、代々将軍家から陣太鼓に使う牛皮を献上していたことから、牛を食用に加工することを特別に認められ、その後3大和牛と呼ばれる近江牛のルーツとなります。

赤穂浪士も食べていた

現在の墨田区両国にある吉良邸に赤穂浪士が討ち入ったのは、5代将軍綱吉の頃。綱吉といえば「生類憐れみの令」で有名ですが、そんな時代でも肉食は密かに行われていました。大石内蔵助が討ち入りの前、最高齢浪士の堀部弥兵衛(あの堀部安兵衛の義父)に“精をつけるように”と送ったのも干した牛肉だったと記録があります。
吉良の殿様からすれば良い迷惑ですね。

墨田区両国にある吉良邸跡の吉良上野介像

牛肉は歴史を動かす!?

時代が下って幕末の頃にも肉食は隠れて行われていました。
徳川御三家のひとつ水戸藩主徳川斉昭は特に牛肉が好きで、毎年彦根藩から送られてくる「反本丸」を楽しみにしていましたが、井伊直弼が当主になってからは献上が無くなり、それがきっかけで斉昭と直弼の関係が悪化し、後の桜田門外ノ変が起こったかもしれないと考えると、食い物の恨みは恐ろしいですね。

江戸城桜田門近く

肉はパワーの源!!

今も昔も、肉は力を発揮しなければならない時に頼れる最高のパワーフードですが、スタミナをつけ過ぎて暴走したり我慢してストレスを溜めるのも気をつけねば、ですね。
「ここ滋賀」の『近江牛 焼きカレーパン』は値段もボリュームも手頃ですので、是非一度ご賞味あれ!

「ここ滋賀」の近江牛焼きカレーパン