就活をしたらクローゼットにユニクロの服が増えた
22歳、赤坂の紀尾井町にオフィスがある外資系のメディアの会社で働いている。
とはいえ世の中がこんな状況なので、今まで一度も出社していない。明日健康診断があるからそのときついでに出社しようと思ってて、それが社会人になっての初出社だ。
わたしは2019年の2月、大学4年生だった頃からこの会社で働いている。当時はただのインターンだったけど、今年の1月にバタバタといろんなことがあって社員として働き続けることになった。卒業の2ヶ月前だった。
この会社に就職できることになったときは本当に嬉しかった。この会社のゆるいけどそれぞれが得意なことを楽しんでいる雰囲気が好きだったし、変人にも居場所があるところが通っていた高校を思い出させるんで居心地がよかった。
それにわたしは女性向けメディアの部署にいるんだけど、コスメとか美容が大好きだから好きを仕事にできるのってサイコーじゃん!という感じだった。上司も話しやすくて優しいし。
なにより、こんなわたしが「元気に」「自分らしく」働けるのなんて世界でここくらいだろう、と思ったのだ。
わたしはうつ病と発達障害の治療を受けている。そのせいだと思うけど人とのコミュニケーションが、というか人が苦手なのだ。なにを話すにも考えすぎてしまう。発達障害の人によくある悩みとして「できることとできないことの中間の、できるけどすごく疲れることが多い」というのがあるけど本当にその通りで、人と話すことはできるけど本当に疲れるのだ。
だから誰かと関係を構築するのがものすごく苦手で、今までの人生ずっと狭く深い人付き合いを好んできた。
そんな自分でも許される、というか「文章を書く」という仕事さえきちんとしていれば受け入れてもらえる今の会社にしかわたしの生きやすい仕事はないと思ったのだ。「自分らしく働く」ことは、たぶんいわゆる普通の人が思い浮かべるよりずっと困難だ。
そういうわけで、わたしは今の会社への就職を決めた。仲良くしていた社員のお姉さんが転職したのをきっかけにポストが一つ空き、おそるおそる上司にそこに入れますか、と聞いたら快くわたしを推薦してくれた(上司がこのときの行動を後悔していないことを願う)。役員さんや全然話したことのない他部署の偉い人との面接を経て、わたしはなんとか正社員になることができたのだった。
しかし、わたしは何もせず大学4年間を過ごしていたわけではない。多くの大学4年生と同じように、わたしは2019年の3月から6月にかけて就職活動をしていた。
就職活動は想像していたほど苦しくはなかったけど、決して楽しいものではなかった。
わたしは全部で10社くらいにしかエントリーシートを出さず(普通は何十社も出すらしいのでこれはかなり少ない方、根拠のない自信があったのである)4月に第一志望だった外資系のでっかいIT企業からお祈りをされたので常になんとなく焦りがあった。でも会社を絞った分、どこの会社もいいなと思っていたからどこかに入れればいいや、という余裕もあった。
ゴールデンウィークが明けてすぐに内定をもらったのがユニクロの親会社、ファーストリテイリングである。最終面接を受けることなく、人事の方や役員の方がわたしを推薦してくださったらしく内定をもらった。
ユニクロはとにかく眩しかった。面談とか説明会とかで会う人会う人が皆、カッコいい大人だった。自分の仕事のことを楽しそうに語れる大人よりカッコいい大人っているんだろうか。
もちろん社員の皆さんの人柄も素晴らしかった。内定後、人事部長の方はわたしの卑しい人間性を叱ってくれた。小島さんが優秀でクレバーな人なのはすごくわかってるけど、モノを売る仕事に就くならあんまりエリート意識みたいなのを持たない方がいいよ。
そういうわけでわたしはユニクロが好きだったし、内定をもらっていたから内定式にも行った。わたしは自分の黒髪が似合わないことにおそろしくコンプレックスがあって、普段は金髪で過ごしている。
内定式にはネイビーの髪で行った。まわりの内定者の、すれ違うみんなが褒めてくれた。社員の皆さんも何も言わなかった。「能力が伴っていれば外見の細かなことは些末な問題にすぎない」という姿勢も好きだった。
しかし、今の会社への入社が決まったのが1月。わたしはユニクロの内定を辞退しなければならなくなった。
ユニクロに入社すると、キャリアは数年間の店舗の業務からスタートする。店長として店舗経営を学ぶことで、すべての社員に経営者としてのノウハウを身につけてほしい、という社長の考えによるものだそうだ。
もちろんそれは素晴らしいことだと思うし大切なものだと思う。ただ、わたしにとってそれは苦痛を伴うものであることは想像に容易かった。
今の会社に入っても苦しいことはあるだろう。しかし、それは乗り越えるべき苦しいことで(いわゆる試練)あって、ユニクロの店舗業務に入ったら、別に乗り越えなくてもいい苦しいこと(シンプルに特性に合わない、ただの不運)が降ってくる可能性が高いと思ったのだ。
そうなったのは1月の半ば。ユニクロの配属発表の10日ほど前だった。当時のわたしのメンタルはえげつないものだった。
10月の内定式の後に内定を辞退する人は決して少なくはない。わたしのようなケースもなくはないが、公務員試験に受かったとか、大学院に行くことにしたとか、卒業できなくなったとか。
わたしの周りにもそういう人は数人いて、その人たちはその状況をTwitterでネタにしていた。本社に連行されたとか電話で詰められたとかめちゃめちゃ怒られたとか。わたしは内定辞退のストレスで生理不順を起こした。
しかし、いつまで経ってもやらねばならないことに変わりはない。そして遅くなればなるほど迷惑をおかけすることはわかっている。配属発表の1週間前、わたしはユニクロの人事の方にこれまでの経緯と残念だけど内定を辞退させていただきたい、という旨のメールをした。
「一度電話でお話しさせていただいてもよろしいですか?」と返事のメールの最後に書いてあった。
わたしは恐怖で震え上がった。本社に来いと言われるのだろうか。めちゃくちゃに詰められるのだろうか。約束の日の朝9時、わたしはきれいめなブラウスを着て、スタバでスマホをじっと見ながら着信を待っていた。切腹する前の武士のような心持だった。
「どうして内定を辞退することにしたの?」
予想通りの質問が来たので、わたしは用意していたように答えた。といっても、正直に話すのが一番だろうと思ったので正直に経緯を話した。本当にしたい仕事ができる会社に入れることになったこととか、自分の特性のこととか。
「今回お電話したのは、もう配属地だけじゃなく社宅とかも決めてるからです」
そうだよなあ、めちゃくちゃ迷惑だったよな。もうなんとでも詰めてくれ。
「だから、きちんと考えて決めたのか知りたかったの。後からやっぱり入りたいですって言われても困るし。でも、小島さんはしっかり自分の意思で決断できたんだね。それがわかったので尊重します」
思いもよらない答えに、わたしは驚くより先に泣きそうになってしまった。
「ありがとうございます。あの、ユニクロさんのこと本当に良い会社だと思ってるんです。ただわたしにはどんなに頑張ってもできないことがあるのかな、って思ったのと、自分らしく働きたいと思ったので。でもいろんな社員の方とお話しできてよかったし、本当に良いご縁をいただいたと思ってます」
「そう言っていただけて何よりです。小島さんと面談をした社員にも今の言葉を伝えておくね。お互い頑張りましょう」
電話が終わって、わたしはやっと頼んだカフェラテを味わうことができた。
就活を経てわかったこと、とか、自分の就活体験を偉そうに語れるほどわたしはなにかを得たわけじゃないし、それを自慢げに語る大学4年生が嫌いだった。
でも、就活を経て確かにわかったことはほんのいくつかあって、そのうちのひとつは「就活生に優しい会社は良い会社だ」ということだ。
就活生と採用をする会社とでは立場に差がある。だから就活生はなんとか会社側に合わせていくのである。唐突にかかってくる電話にどんなときでも出たり「サイレントお祈り(不合格の連絡をしないこと)」もまたかよ、で片付けたり、時間を無駄にされても(寛容であることとルーズであることを履き違えている社会人は意外と多いんだな、とわかった就活であった、それとも就活生の時間なら無駄にしても良いと思っているんだろうか)失礼な態度を取られてもニコニコしたり。
だからこそ、就活生である自分たちにフラットに接してくれたり誠実に接してくれる会社が素晴らしく思えるのだ。不合格の通知のメールでもフォローするような一文があったり、面接のフィードバックをくれたり、就活生も会社を選ぶ立場であるという前提で接してくれたり。就活生を大切にしてくれる会社はお客様や社員を大切にする会社だと思う。
だからわたしはユニクロが好きになった。期待に応えられず一緒に働けなかったぶん、商品を買うことで感謝を伝えたいと思うようになった。そう見てみるとユニクロやGUの商品はとても良い。安くて質が良いだけじゃなくトレンドをきちんとおさえている。古着が好きなのだが、古着系のコーディネートの中にもユニクロのシンプルなアイテムを投入するだけで一気にまとまりが出る(銀座の大きいユニクロはとても楽しいので服が好きな人にはぜひ行ってみてほしい)。
UVカットのパーカーも米津玄師コラボのUTも愛用しているし、秋服も大変かわいいので買いに行くのを楽しみにしている。今日はGUのケイタマルヤマコラボのワンピースを着ている。就活から1年と少しが経った普通の週末。