コトバの力を考えてみた
最近、色々な人と話している中で、コミュニケーション力が話題に上る機会が多く、その時にコミュニケーション力が低い人の環境やメンタリティーが原因なんじゃないかという着地になりがちで、それって自らはその人より良い環境やメンタリティーという優劣が答えになってしまっているから、相手と対等な立ち位置で考えて無いんじゃないかなと違和感を覚えた。
ひとり言以外で使うコトバって、必ず相手とのやり取りで使われるわけで、そのコトバの力を持っているか持っていないか、身についているかいないかが、コミュニケーション力に直結するんじゃないかと思っていて。LINEやメッセンジャーでのやり取りが当たり前になっている今だからこそ、コトバの力をもう一度考えてみたいなと。
まず、ここで言う「コトバ」というのは、「国語力」ではないという事、国語が苦手だから、文章力が無いからというのは考えなくても良くて、相手に伝える気持ちが重要なのが「コトバ力」だと思う。今気づいたけど、「コトバ力」の「力」は漢字でチカラと打っているんだけど字面だけを見ると「コトバカ(ことばか)」に見えて面白い。話をもとに戻す。コトバの力は相手に物事や気持ちを伝える力だとすると、知っている言葉が少ない、いわゆるボキャブラリーが少ないというのもコトバの力には関係ない。
相手に対して、こちらが伝えたい事が伝わる事、これがコトバの力。LINEやメッセンジャーでは身振り手振りも見えない、リアルタイムでの相槌も無いかもしれない、その状態でも送信した内容が相手に誤解されずにこちらの伝えたい事が伝わっているのかがまずは重要、これはメッセージを受け取った側になった時も理解ができなかったもしくは、相手が伝えたい事はこの認識で合っているのかなと思ったら「こういうことが伝えたかったの?認識合ってる?」と聞き返すのも、受け取った際のコトバの力になる。
よくあるのが、メッセージを送った側も伝えたつもりになっていて、メッセージを受け取った側も認識できたつもりになっている状態で、メッセージのやり取りをしている時、会話が続いて行くと「ん?なに言ってるの?」となるケース、これは送った側も伝わらないメッセージを送っていて、受け取った側も誤解している状態。
こうなると本来2,3回のやり取りで終わっていた連絡が、5回も10回もやり取りしなくては伝わらなくなってしまって、時間も掛かってしまって非効率。送った側はなんで理解してくれないんだろうと思い、受け取った側はなんでちゃんと伝えてくれないんだろう。となり、お互いに印象が悪くなる。
最近では小中学生のLINE上でのいじめ被害の話も出てくるが、基本的には親や学校の先生が、コトバの力を教えられなくなっているのに起因していると思っていて、親も仕事上のやり取りでメッセージのやり取りのコトバの大切さを痛感していれば、子供と一緒に考えてみたら良いんだと思う。今のほとんどの学校の先生は教科を教えるプロなだけであって、子供教育、子供育成という意味では期待できないから。
逆に、コトバの力を理解している人は、SNSやメッセンジャー等を活用する事で十分にビジネスにもできるというのが面白く、コトバの力がお金になるということは、やはりコトバの力を持っている人が少ないからお金になるわけで。コトバの力で伝えるスキルが身につくと次にステップ表現に変わってくるのかな。