7/16。お疲れ様です。CANDY MANです。
雨が続いていて、梅雨の再来な気がして憂鬱に拍車をかける。そんなときはお気に入りのアルバムを聴いてテンションを1mmでも前に向ける。
ご存知の通り、ポルノグラフィティを愛してやまない私なので、好きなアルバムも彼らのアルバムが一部列挙されるのだが、特に「Thumpχ」というアルバムが好きだ。どこかで書いたかもしれないが、UKロックなテイストから民族系な曲まで、よくここまで共存しているな、と驚く名アルバム。
その中でも「東京ランドスケープ」という曲がお気に入り。
「曇り空は〜」という歌い出しがぴったりな鬱屈して、もどかしさや怒りも感じる曲。イントロからAメロは落ち着いた感じだが、Bメロから突然激しくなり、Aメロになるとまた静かになる。初めてライブで聴いた時、その切り替えにビクッとした。いきなり大きな音出すなよ、と。
ふと気になり、Wikipediaでこの曲について調べてみると、
東京で生きる人たちへ向けた哀援歌 from wiki
と記載があった。
哀援歌とは....何のことでしょうか。
ということで今日のテーマは「哀援歌」です。
普通は「応援歌」という言い方をする(ふと疑問に思ったのだが、「応援」という言葉、「援」は「助ける」という意味だろうが、「応」は「応える」だから「返答する」という意味なので「助けに応える」という意味になるのか?これは助ける側というより助けられる側のことを言っているのか?と考えてたら渋谷から品川まで来てしまった)。
「悲しい」と「哀しい」という言葉がある。どちらも「かなしい」と読む。
どちらも辛く切なくなるような気持ちを表すのだが、「哀しい」の「哀」は「あわれ」と読むので他人に対しての、もしくは他人との関わりの中で生まれる悲しさが「哀しい」が使われるらしい。あと「哀しい」の方がどちらかというとポエティック。
哀援という言葉は調べてみても意味が出てこない。造語か。
相手に対して哀れに思い助けるという意味なのだろうか。ちなみにこの言葉を新元号に予想しているサイトを見つけた。絶対ならんやろ。
この言葉、とても気に入ってしまった。いいじゃない。
応援歌というものが昔から苦手だ。
キラキラしていて、こそばゆくて照れてしまう。もう少し悲しみに寄り添ったテンション感の応援歌があったらな、と思っていた。捻くれてる。
相手に対して悲しみの気持ちを持って助ける。手を差し伸べる。
同情という言葉も近しい意味だろう。でも辛い時はキラキラした言葉で「ガンバレ*\(^o^)/*」と言われて応援されるより、ちょっとくらい同情される方が良い。個人的に。
ということでそんな曲を作れるよう、曇り空にため息をつきながら部屋に篭ってます。まだまだ自分を褒めてあげようという気にはならないようです。
以上。
今日の一曲 PORNOGRAFFITTI『EXIT』
こんな曲もあるんですよ。知ってます?
哀援歌というテーマで今日は書いたけど、これも自分にとっては「哀援歌」になるのかも。
歌詞を見るに恋愛の曲を歌っているのだろうけど、うまくいかないもどかしさを混雑した地下鉄での情景に表した名曲だと思う。「これ以上ここに止まってはいけない」というフレーズがトイレの落書きに書いてあるという歌詞も切ないし、でもそういう落書きにも心動かされるときがある。