note の存在とエモさ

「突然ですが、note始めます」

「?」

INNOSENT in FORMALでギターを弾いてます、CANDY MANです。

突然ですが、noteを始めました。

上の文はマネジャーに報告したときの返答。

影響を受けやすい私は、人気Youtuber「東海オンエア」のリーダー、てつやさんのエッセイ「天才の根源」を読んでから、「俺も何か書きたい」そう思ったのがきっかけ。

既に頭の中ではマガジンハウスさんからエッセイが発売され店頭で売り切れ続出まで妄想していたところだったが。

しかし万里の長城も一歩から。諦めず頂上まで登っていきたいと思う。そして登り始めるために1週間経ったとさ。

さて、noteを始めるにあたってnoteとは何ぞやと、頭の悪い大学生の卒論みたいな書き出しから始まるが、調べてるとどうやらブログとは違い『「エモさ」を重視するツール』とのこと。

「エモい」というのは"Emotional"(感情的な)を日本語らしくしたものとここでは定義するが、例えば音楽を聴いたり、映画を見たり、友人と夕日を見たりなど心動かされることだ。アホっぽい言葉だが、意外と大事で、何に「エモさ」を感じるかということが人となりになるようなものだ。

それをここ「note」で表現していくのだからまぁ難しい。

私が「エモい」と感じる瞬間は音楽を聴いている時が多いのだが、特に「半音」に弱い。

例えば最近聞いて「エモ」と思ったのは 「PK shampoo」という関西アル中バンドの「神崎川」という曲だ。また対バンしてください。

もちろん歌詞、ギターの音色やフレーズ、アル中の歌声などエモ要素はあるのだが、今回は「半音」というところにスポットを当てたい。
この曲を聴いて恐らく皆が「エモ」と感じるのは00:42あたり、「缶チューハイと」の「チュー」部分だと思う。
これは音楽理論的に「セカンダリードミナント」と呼ばれる技法であり(違ったらすみません、出直します)太古からのエモ要素である。

この曲のキー(ハ長調とか)がG#で、本来はCm7のコードが使われるが、C7にすることでエモさを表現している。2つのコードを比べると、Cmコードの構成音が「ド、ミ♭、ソ、シ♭」だが、C7が「ド、ミ、ソ、シ♭」で「ミ」が半音高い。この半音がキモ。これによって次のコードのFmに解決が〜とか話になるとわけわからなくなるのでまぁ「エモいんだな」と思ってくれれば良しです。俺もよく知らんし。

また、この半音で分かりやすいところだとKing Gnu「白日」。

ラストサビが本来のキー(D♭)から半音階上のキー(D)に上がる(いわゆる転調)と途端に「エモ」くなる。今までの予想した流れから急に変わり「エモ」となる。

長くなったが、私にとって音楽のエモ要素の1つとして流れをぶった切る「半音」は欠かせないのだ。

では日常でのエモさは何だろうか。

例えば街を歩いているときにふと風のにおいをかいで「あの頃のにおいだ」と思い出し「エモ」くなる。テレビを見ていて昔の恋人とよく聴いていた音楽が流れ出し「エモ」くなる。サーカスを観に行って「映画の世界じゃ空中ブランコ乗ってたなぁ」と思い出して「エモ」くなる。

「日常」の流れにふいに「非日常」が出てくることで「エモ」となる。例えば20歳の大学生が10年来の旧友と出会うことは、20歳という今の流れに「非日常」が出てくる。20歳の今が10年経つと「非日常」に変わり、エモ要素となる。

音楽も同じ。普通だったらCm7を使うのにC7という意表をつく流れに「エモ」さを感じる。明日観るライブがいつかの大切な「エモ」になる

そんないつかのあなたの「エモ」さの1つとして我々のライブがあれば幸い。

2021/02/20 (Sat) Shibuya WWW
NNOSENT One man Live How to spend the live
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2033562

万里の長城の頂上はまだ先です。

CANDY MAN


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