
推しのイベントに落選した、日本生きろ。
2/1。ギタリストのCANDYMANです。
先週の私は、不機嫌だった。
先日、敬愛してやまないポルノグラフィティ 新藤晴一さんがゲスト参加される、写真集発売記念イベントが開催された。
そして、2025年1月30日(木)に三越劇場にて開催する発売記念イベントの購入者限定受付もスタートしました!
— ポルノグラフィティ 公式 (@pg_koushiki) December 25, 2024
■受付期間
2024/12/25(水)10:00~2025/1/14(火)23:59
本作に封入された申し込み用紙よりご応募下さい!#ESECAN #新藤晴一
なんと直筆サインの入った写真が貰えるという今後二度とないイベントだった。それに落選したのだ。推しのイベントに落選した。「抽選結果のお知らせ」の件名メールが苦手になった。
当落発表日、当選した人には恨み節が口から出そうになったり、落選者を見ては慰めの言葉を空に投げかけた。当選の喜びと落選の悲しみの海を少しの間漂っていたところ、当選者で「当選すべき人が当選した」ということをのたまう方がいた。そのときふと考えたんだ。「当選すべき人」とは誰なのだろうか、と。
ということで今日のテーマは「推しのイベントに落ちた、日本生きろ」です。
例えばファンクラブ歴が長い人。ファンクラブの会員番号の〇〜〇〇まで当選で、なら分かりやすい。でもあまりにも不公平。いつかそういうイベントがあっても良いなとは思うけど、批難は出る。
例えば抽選券をたくさん持っている人。今回はおそらくこちら。写真集を買うと1枚抽選券がもらえるので単純にたくさん買い当選率が上がった。その意味だけでは当選すべき人だ。
もしこれが大学入試ならどうだ。チケット応募するときにファン歴を入力し、多少の筆記テストとイベントへの想いの論述問題が出たとしたら、当選するだろうという自信はある。勿論そんなことはなく、完全な運任せなもの。それをさも当然のように言われたらムッとする。
こんな海に身を任せている場合じゃねぇと無駄な漂流ごっこをやめ、現実という陸地に上がってきた。そういえば昔、保育園落ちて日本を憂いたつぶやきが流行語大賞にノミネートされてたなぁと思い出した。あれとは切迫感は全く違うのに、憂う気持ちは同じなどと勘違いしている。それと同時に、心のどこかに「何か似たようなこと言ったな」という記憶が出てきた。
思い出した。昔、ELLEGARDENが活動再開する最初のライブに当選した、数曲しか知らない兄に「もっと昔からのファンの人が当選すべきだ」と言って喧嘩になった。誰にでも権利があって平等なんだということを身を持って思い知った。
改めてポルノの曲を聴きながらこのnoteを書いているが、圧倒的に愛が溢れて止まらない。イベントが外れただけで嫌いにはなれない。まだまだあるはずだから。「たかだか当選が外れただけ。ただの確率論。きっと次は当たるさ」と見えない同志と自分に声をかけて、イベントに参加した人のレポートを有り難く読み、少しでも行った気になるいじらしい俺。
推しのイベントに落ちた、日本生きろ。
おまけ
イベントをやる日本橋三越では、イベントに関連する展示会を行っており、そちらには参加した。


三越という場所に行ったことがない私は、ついでに色んなフロアを見て回ったが、どれも「何かついでに買ってこうかなぁ」などと思えるものは全く無く、何となくふと見た時計が、マンション一部屋を買えるくらいの値段で、静かなフロアに「うわぁ」と謎の声を出し逃げてきました。
以上。
今日の一曲 the pillows「ストレンジカメレオン」
他の曲だったけど、解散の報を聞いて。8年くらい前に、大先輩のライブのO.Aに出させて頂いたときに、打ち上げでいらしてた。酔ってらしてご機嫌な雰囲気でしたが、話しかけたら敬語で話してくれて、とても優しいロックスターでした。