Where will "ZERO" take me?
7/10。こんばんは、INNOSENT in FORMAL CANDY MANです。
私が愛してやまない、THE PINBALLSが活動休止すると発表してはや1週間。
何か書こうか、と思って書き始めては消して、書き始めては消しての繰り返し。夜中に書いたラブレターみたいに勢いで一度書いたが、何故か「猫カフェに行きたい」という謎オチになっててびっくり。速攻削除。
なので猫カフェオチにならないように、冷静に書いてみようと思う。
この記事を世に放って2ヶ月とちょっとだ。何故このような記事を書かなければならないのか。"i love◯◯forever@〜"のアドレスに変更して「俺の嫁」とか言いながら次の季節には「別れました」とかいうアホな中学生みたい。
違う、そんなことを言いたいのではない。
映画の世界から出てきて、THE PINBALLS(以下ピンズ)を知った。うちのすみすから「ヤバイロックバンドを見つけた」と教えてもらったのがこれ。
古川さん、若い頃のピース綾部さんみたい。
まさに「稲妻に打たれたような」感覚。ガレージロックはTMGEが最高峰だと思ってた自分の価値観が大きく変わったのだ。というか今聴いてもかっこよすぎ。オレコン2021年年間ランキング堂々一位だわ。
そこから紆余曲折あり、今。自分が大好きなバンドと同じ事務所に所属になるなんて、なかなか夢のある話。
タワーでCDをセコセコ買ったり、ライブにチケット買って足を運んで、物販に並んでグッズを買ってた。
「CD買わなくても言ってくれればあげるのに〜最高!」といつも褒めてくれるピンズ唯一の良心古川さんと、「物販終わっちゃうけどCD買わないの?」といつも急かしてくるピンズ唯一の邪心森下さんに挟まれる。まさに天使と悪魔。
でもステージで戦っている彼らは本当にかっこいい。まるでヒーローみたいだ。挫けそうになっても彼らのライブを観に行けば、また歩み出せる。
ただただ俺にとってのヒーローが、その姿をステージで見られなくなることが、本当に悲しい。
よくバンドが活動休止したり、解散すると「終わりがあるから美しい」とか、「バンドは生物だから、今見ておいた方がいい」などSNSで見かけるが、そんな言葉は何の慰めにもならない。何事もそうだろ。
誰のせいにすればいいのだろうか。動くことも留まることも許されない情勢?毒にも薬にもならないものが持て囃され過ぎているシーン?それとも香水?
考えても分からない。責めてもしょうがないか。
色々なバンドが活動を止めたり、終止符を打ったりしたことを見てきた。どんなバンドが活動を止めてきても、ピンズだけは止まらないと思っていた。それが間違いだった。
彼らだって、人間だ。人生をどう生きようが、彼らの勝手だ。
ただ、自分勝手な思いをぶつけていいのであれば、どんなスピードでも構わないから、動いているその姿をステージでずっと見ていたかった。
ライブに行くたびに「今日はway of 春風やるかな」と楽しみにしていたが、それが出来なくなる可能性があると思うと、虚しいね。
15年という長い年月。年端もゆかぬ子供が立派な大人になるという年月。
今はその時間に最大限の敬意を払い、また音を奏でてくれることを信じて彼らの音楽を沢山聞き還元するしか、俺は出来ない。
新しく出るアルバム、タイトルは「ZERO TAKES」。
ZEROは「何もない」という意味がある。また、例えば物を測る時の始まりの基準として使われる。
彼らが残したものは"ZERO"ではない。第一章が終了、第二章がこれから始まる、という意味の"ZERO"だと勝手に思っている。大丈夫、ハイスタだってエルレだってナンバガだってイエモンだって、また歩み始めたんだ。
イノセンが千葉LOOKでピンズと初めて対バンした時、アンコールでway of 春風をやってくれた。タイトルコールの時、「どっか行ってしまいたくなったら行ってもいい、でも必ずまたここに戻ってこようぜ」と言って曲がはじまった。
また戻ってくるんだよな、きっと。
Where will "ZERO" take me?
”ZERO”はどこへ連れてってくれるんだろう?
猫カフェに行きたい。
以上。
今日の一曲
THE PINBALLS 「20世紀のメロディ」
愛してる。20世紀のメロディ。