生きてるってサイコー!なミュージシャン社長を、生きるとは絶望であると説く暇人無職が分析してみた
ミュージシャン社長は今日も生きている
君はミュージシャン社長ミヤマテツオを知っているか?
前置き
どうも!どういたしまして!
今回は一風変わったひさびさの本気他己紹介をさせていただきます。
なので毎日書いてるこのnoteのいつもの出だしや案内はございません。
どうせそんなもの誰も見とらんでしょうが←
他己紹介ターゲットはミュージシャン社長のミヤマテツオです!
「ひでちゃん!ちょっとミュージシャンミヤマテツオのnote書いてくれへん?」
いきなり頼まれたわけだけれど、どういう用途なのか全くわからないのでどんな意図や用途があるのかを聞いた。
ポートフォリオの一つとして使うのか、HPに掲載するのか、ただ読みたいだけなのか、、使い方によって書き方もアプローチも変わる。
はぁ、、まぁそれは構わないのだが、、とはいえ依頼で書くということでいつもより少し形式ばって書かせてもらおうかなと思ってる。
なるほど、、しかし残念ながら僕にできる事はここにリンクを貼るぐらいだ。
サクッと要件は終わらせておこう。
まず11月の生誕祭はこちら!!
Facebookなんか使ってねーよ!って人のための概要も貼っておく。
めちゃめちゃ乾杯するやん!!🍻
(それぞれ単品でも買えるぞ!)
さて、用件を終わらせたので長々と文章でも書こう。ミュージシャンミヤマテツオについて、、そうだなぁ、、いきなりぶっちゃけるとミュージシャンミヤマテツオは全くミュージシャンとしては食べれていない。
ライブに誰も来ない時もあるし物販も売れない事もある。
ではミュージシャンミヤマテツオはどうやって食っているのか?
実は"ミュージシャンミヤマテツオ"は"経営者三山哲緒"でもある。
矢沢永吉とYAZAWAの違いのようなものと思ってもらえれば問題ない。
(経営者三山哲緒が知りたい方はこちら)
(MIYAMAの全てが知りたい人はこちら)
あ、ちなみに僕が何者かというとプロのライターでもなければ著名人でもなければインフルエンサーでもない。限りなく無職に近い暇人。「暇士」と名乗っている。
まぁこのnoteを見る人の過半数は、多少の予備知識はあると思うが、それなりに思想が強いオッさんである。
そしてその思想はミュージシャンミヤマテツオとも、経営者三山哲緒とも似ても似つかない。
僕は生きてるってサイコー!とは思っちゃいないし、経営者思考よりもどちらかといえば労働者寄りの思考だ。(無職のくせに!)
だからこそ面白いのかもしれない。
そんな僕から見たミュージシャンミヤマテツオをそろそろ始めていこう。
ミヤマテツオVSキタムラヒデアキ
まずは肝心の曲の紹介に行く前にXに過去投稿されている三山語録でバチバチといかせてもらおう。
焦る必要はない。
アラフィフのオッさんの音楽を何の知識もなく聴きたい人などいない。
(実はプロデビュー手前までいった逸話もあるのだが、令和の時代にプロもアマチュアもないのでそんな話はカットだ。直接本人に聞いて欲しい。)
出会い
最初の出会いは僕の運営していた飲食店へのお客さんとして来店してくださっている。
経営者友達と一緒に来店してくれたわけだけど、その時のミヤマテツオの僕の印象は「変な人やなぁ」で、僕からのミヤマテツオの印象は特にない(笑)
それからとある大きなコミュニティの飲み会で再会し、少しずつ対話を重ねていき、少しずつ、そしていつの間にか今に至る。
めちゃくちゃウマが合う!とか
考え方がバッチリ合う!とか
そんな事は今でもそんなにないように思う。
なんか、なんとなく、ええ感じ。
お互いそんな生き方はとてもできないし、わかりあえないけれども認め合っている。
といったところだろうか?
僕はこれを理解はできないが納得はできる状態だと定義づけている
そんなもんだから音楽の趣味もまるで違う。
まさにめちゃくちゃ好みが合う!とかではなくて、なんか、なんとなく、わからなくはない。
といったニュアンス。
はっきり言って友達付き合いをしてなければ、そして同じバンドをやらなければ、そんなに僕はミヤマテツオの楽曲を聴く事はなかっただろう。
そんなやつでも大好きになるパフォーマンスをするミヤマテツオはやはりミュージシャンなのだ。素人のできる技ではない。
ツイートから見るミヤマテツオ
やりたいことに溢れているのがミヤマテツオ
その為には華やかなステージとは裏腹に地味な毎日を送っているらしい。
逆にやりたくないことをやらないのが僕。
やらないといけないことをできるだけ作らない。
つまらない男であるw
とはいえ"夢を叶えたい誰か"へのアドバイスの際にはミヤマテツオの言葉をパクって愛用している。いつもありがとうございます←
ちゃ、、ちゃんと僕の言葉ではなくミヤマテツオの言葉として伝えてますよw
「やりたいことのためにはやりたくないこともやれ!!」(キリッ)
ヤりたいことだらけのミヤマテツオには必要ないものがある。
真理だ。
逆に真実や真理が大好物の僕。
わかる!マジでロクなことはないw
真理で生きるから絶望するのだ。
真実や真理を知れば知るほどロクなもんではないので本当にみんな好き勝手に想いのまま生きるのが良いと実は僕も思ってる。僕は好き勝手に想いのまま真実や真理にハマっているわけで、つまりは奇しくもミヤマテツオの言う通り本当の想いで生きている。
さて、これを書く僕の事、書かれるミヤマテツオの事がほんの少しわかってもらえたところで、、いよいよミュージシャンミヤマテツオを掘っていこう。
楽曲に関してアレコレと書いてはいるが全て僕の解釈なので正解ではない。
あなたの思うように聞いて思うように感じれば良い。
1st 人生にイロドリを
ミヤマテツオを象徴とする楽曲で、ミヤマテツオ名義の初アルバムのタイトルでもある。
やはり最初の代表曲というのはアーティストにとって1番の核となるもの。
ミヤマテツオにとってもそうなのだとおもう。6枚ものアルバムを出していても、この曲が色褪せる事はない。
ミヤマテツオの人付き合いはここに集約されていて、僕もこのスタンスがとても好きだ。
経営者というある種の不自由、、
ミュージシャンという自由、、
経営はそのままじゃダメに決まってる。
ミュージシャンミヤマテツオは経営者の三山哲緒をぶっ壊そうとしているのかもしれない。
小難しい話をすると僕たちは社会で生きている。「個」で生きていけるわけがない。
どんな人も誰かに支えられ、誰かを支えて生きている。そんなロジックを温かくポップな音楽で気持ちよく教えてくれる
貴方の想いと僕の想い、はたまた誰かの想いが違っていようがなんだろうが、その想いが純粋で人を傷つける意図がないのであれば、、
"ホントの想いなら"誰かを救う。
自分の想いが届かない、相容れないところは誰かが美しい色をつけてくれる。
自分が良かれと思った事で誰かが泣くのなら、その涙はまた別の誰かが癒してくれる。
それが世界のイロドリであり人間のイロドリなんだ。
バンビのうた
"バンビのうた"でもこう歌う。
ミヤマテツオと僕の共通点は表現の仕方は違えども悩んでも仕方ない事で悩まない事なのかもしれない。それは生まれてきた事の意味なんて何もねぇ。せっかく生まれたんだから楽しもう。
どうせ死ぬんだから(笑)という想いに繋がっていく。手段や表現は違えど似たところに着地している。
僕たち二人とも好きな言葉に「まぁええがな」がある。
ちっとも「まぁええがな」で終わらせてないところもあるのだけれど、、
「まぁええがな」
そう思う部分と思わない部分がお互い違う。
「まぁええがな力」を測るスカウターがあったとしたら間違いなく僕の方が勝つ自信はある←
しかしそれは守るべきものの多さや、ヤりたい事の多さ、欲望や熱量の差だ。
僕の「まぁええがな」は「どうでもええがな」に近い。仕事で関わると最悪である。
(もちろん使い分けてはいる)
ミヤマテツオほど色んな想いを背負って「まぁええがな」を掲げられるのはカッコ良すぎる。
他に1stアルバムでは個人的に「ウタカタノ夜」が好きだ。元気の出る曲というよりは珍しくロックでアンニュイな曲かもしれない。
良かったら目次からもとべる後半のサブスクリンクなどからチェックして聴いてみてほしい♬
2nd 君想フ故ニ我アリ
2ndアルバムタイトルナンバーはまさかのゴリゴリの哲学名言の改変。
デカルトという哲学者の言葉
「我思う故に我あり」
元の言葉「我思う故に、、」も歌詞中にでてくるけれど、全ての物事は疑いがあり確証が持てないのだが自分が何かを思っているのは確実なので、我が思う故に我が存在することだけは確証があることだ!という、、自分自身の存在を証明する哲学だ。
それを"君思う故に我あり"にしたのは相当に遊び心とセンスが溢れている。
これは果たして
「君が僕を思うからこそ僕がある!」
なのか
「君のことを思うからこそ僕がある!」
なのだろうか
個人的にミヤマテツオはアンチ哲学な生き様をしてると思っている。
何の為に生きているだとか
人間とはなんこうあるべきだとか
グダグダ考えてんじゃねぇよ!
とでも言わんばかりなパフォーマンスなのに「神は死んだ、、」「ルサンチマン」などの哲学用語が登場するのもまた面白い。
もしかしたらこの頃は今よりも迷いがあった時期なのかもしれない。
謎の人物が作詞してる"曇りのちハレルヤ"は名バラードだし、ミヤマテツオ楽曲でトップクラスのアッパーチェーンのサンダーラヴもこのアルバム収録だ。
3rd ドリームキラー
僕がミヤマテツオで一番好きな曲がこの3rdアルバムタイトルでもある「ドリームキラー」
夢があるとかないとか、否定するやつはドリームキラーだとかそんな言葉が巷で蔓延しだして、肯定文化がもてはやされて、ウザってぇなって思ってて「夢なんて叶うわけねぇだろ」とか今でもたまに思ってしまう老害としてはタイトルだけで勃起確定だった。
大前提「夢」は素晴らしい。
でも夢のない人もいれば
夢を失くした人もいる。
そんな人にとって、、、特に夢を失くした人にとってこれほど励まされる楽曲はないのではないだろうか?
泣けるよね。
ライブではこの曲だけではなく、ミヤマテツオ独特の音源とは違う譜割り(メロディやリズム)で歌われる。
夢に敗れたり、夢を亡くしたり、夢を見失ったり、夢が見つからなかったり、、そんなことで生きるのをやめるやつは最低だ。
夢なんてどうでもいいんだ。
生きてるって事がサイコーなんだから。
夢ごときに縛られる世界は絶望だ。
4th 夕凪センチメンタル
このアルバムぐらいから音楽的にグッとクオリティがあがったように思う。今までのサウンドが悪いわけではなくて、荒削りな勢いが洗練されてきたってイメージ。
それはタイトルナンバーにしてもそうで、サビにうつるメロディの導線が非常に美しい。
ありきたりな言葉になってしまうけど、それでいてテクニカルでなめらかに、おとなしいメロディから最高潮の盛り上がりを紡いでいく。
説明できてるかな(笑)
歌詞的にもドリームキラーの続編のような、、あのドリームキラーの物語からも夢をまだ追い続ける事ができてる誰かの情景が浮かびますね。
バンド「ザ・ヒメジエンズ」から逆輸入された"hohoemi"は実はとある友達な事をテーマに作られた歌で、歌詞の世界観だけは一応僕が作った歌詞が元になってる、、らしいw
(原型をとどめていませんが!)
世界
「世界」という曲はアップテンポでライブポテンシャルも高く、隠れた名曲だ。そんな世界のBメロでミヤマテツオは"生きること"を謳う。
生まれてきたから生きる。と。
僕もそう思う。
生まれてくる事を選ぶ事はできない。
こんな言い方は良くないかもしれないが、生まれてきたくて生まれてくる人なんて1人もいない。
生きる意味は生まれてきたからだ。
ある意味"仕方なく"だ。
ネガティヴに聞こえるかもしれないが生きる理由なんてそんなもんでいい。
人は良く「感謝を忘れてはいけない」と言う。
感謝するとは生きる事ではないだろうか?
人々が紡いできた歴史を感じながら「生きる」ことそのものが最大の感謝だ。
Y字路からのプロローグ
アルバム曲でありながらシングルカットもされている"Y字路からのプロローグ"これがまた名曲すぎる。
これは歌詞とメロディで言えば僕のミヤマテツオ史上ナンバーワンのフレーズでY字路からのプロローグのエンディングの歌詞だ。
人生ってたくさんの出会い、、そして別れがある。別れがあるというよりもそれは分かれ道で、僕はこっちに行きたい、でもキミは違う道を行きたい。そんな事が絶対にある。
お互いのことを思えば思うほど、やりたいことをやる。生きたい生き方を生きる。じゃあここからは違う道を歩まないといけないよね。
誰もがきっと自分の人生を自分で生きた方が良い。そんな信念があるからこそ分かれ道を選ぶ事ができる。
5th HOPE
ここまでのミヤマテツオと、ここからのミヤマテツオはまたフェーズが違う感じがする。
それはすなわち三山哲緒のフェーズが変わった事も意味している。
もともともっていた「生きる」という事にさらに重きを置くようになった。
タイトルナンバーの"HOPE"は言う。
このアルバムには絶望と希望がある。
オープニングで希望を歌いながらも次の曲はロックバンドのような歪みがきいたギターから始まる。タイトルは"キミに捧ぐ絶望"。HOPEと同じくシンプルな8ビートで進行していくので、この2曲は表裏一体の同じ歌のように感じる。
希望を欲するというのは絶望を知っているからだ。
絶望していないものが希望を欲しがる事はない。
V系みたいな歌詞なんだけどw
繰り返されるこの曲のエンディングでは、光り輝くための痛みをあえて与えてくれてるような印象を受ける。
光り輝くためには絶望が必要なのだ。
希望だけ追い求めるものは途中で光を見失う。絶望に溺れるものはそのまま沈んでいく。光を受け止めるためには絶望が、絶望に溺れないためには希望が、それぞれ必要でミヤマテツオはそれを必死に歌と行動で伝えようとしているのかもしれない。
6th 生きてるってサイコー
そんなわけでミヤマテツオは現在「生きてるってサイコー」おじさんとなって暴れまわってるようです。
凄く最近印象的な出来事があったんですよ。
とあるライブの打ち上げで、みんなで飲んでる時に「俺の歌って若い子にはどんな感じに聞こえるんやろ?」って10代半ばぐらいの子に聞いてたんですね。ちょっと僕もリアクション覚えてないぐらいにそんなに熱いリアクションではなくてww
友達が「若い子にはそんな刺さらなくない?」と追い討ちをかけてたんですが、僕もこれめちゃくちゃ同意で、なんていうか、、生きるのに疲れてきたぐらいの時や人に刺さると思うんですよ。
なんかダルいなぁ、、って思ってるけど言えないような人、それでも頑張ってる人。
24時間戦いたくないけど戦えますよー!って言っちゃってるような人。
なのですぐにダルい!ってガンガン言う僕とかはど真ん中ではないし、逆に余裕で無双できるような人にもそんなに刺さらないかもしれない。
そして、そういう理不尽やどうにもならないけどやらなきゃいけないような経験がない若い頃はもっと刺さらないと思う。
なので生誕祭は"おっさんおばはん"で埋め尽くそうではありませんか!!(ヤケクソ!)
このTシャツで参戦することで、漏れなく貴方も「生きてるってサイコー!!」になります。
(どうせなら3150円にしてくれたらええのに←
とか言ってるようではまだまだサイコー度が足りません!!)
それでもここでは若者に訴求してみよう、、
(そもそもこのnoteのこんなところまで若者は辿り着いてはいないと思いますが、、)
やはり若者にはROCKです!!
人生観なんぞ語ってる場合ではありません!!
最新アルバムにケチをつけるわけではありませんが、若者に向けてということで、生きてるだけでサイコーにはならねぇ!もっとサイコーにサイコになるためにも、ヤりてぇことをヤりまくろうぜ!!嫌なもんは嫌だ!!というワガママテツオもアピールしておきます。
ちなみに僕も嫌なものはイヤ!!というエネルギーならミヤマテツオにも負けてません!!
ぼくのかんがえたさいきょうのミヤマテツオのフルアルバムとライブ
さてミヤマテツオの全アルバムをできるだけ手短に紹介してみたんだけど、僕だけのミヤマテツオフルアルバムを曲順も考えて作ってみた。
(内の文字は個人的に好きな順位)
ヒメジエンズのバンド活動が激しかった頃の音源が1番思い入れがあって多くランクインしてるってのはあるかな。自分達で演奏したやつとかね。
改めて聴きながら最近の曲も演奏してみたいなと思った^_^
皆さんのミヤマテツオランキングはどんな感じでしょ?是非色々聴いてみてくださいね!
サブスク&YouTube MV
YouTubeではライブ映像なんかもチェックできて、音源とはまた違ったパワフルでエモーショナルなパフォーマンスが観れますよ!!
ミヤマテツオ✖️三山哲緒
楽曲の紹介だけでなく最後にミュージシャンミヤマテツオのライブエピソード的なものだったり三山哲緒の会社の事も少し書いてみようと思う。
ミヤマテツオの歌は本気なのだ。
この男は本気で歌を歌う。
いや、ミュージシャンってみんな本気で歌うくない?
いや、そうなのだ、そうなのだが、ミヤマテツオは本気度がそのへんのアマチュアミュージシャンとは一線を画している。
上手い下手が全てじゃない。だなんてありふれた陳腐な事を言うのも野暮なんだけれど、まさしくその通りで、決して下手くそではないけれど上手いだけのミュージシャン、歌の上手なボーカリストは山ほどいる。
歌の上手い人に惹かれる人も確かにいるだろう。だが僕の見解だけで言わせて貰えば歌の上手いだけの弾き語りほど退屈なものはない。
僕なんかは特にバンドサウンドが趣味だから上手い歌を聴かされても興味が持てないのだ。
(これは趣味嗜好が皆さんそれぞれあると思います。僕の話です)
ミヤマテツオは上手い歌を聴かせてくれるんじゃない。本気の歌を聴かせてくれる。
本気の歌、、それは具体的にどういうことか?
わかりやすいエピソードとしては観客が例え一人でも本気で歌うのだ。
これが出来る人はそういない。
声を張り上げ声を枯らし汗だくになり、歌詞を飛ばし、コードを間違い、それでも本気の想いを歌に乗せる。
僕はそのへんのアマチュアミュージシャンでミヤマテツオより本気で歌う人を知らない。
だからミヤマテツオのライブでは涙を流す人がたびたびいる。
中には刺さりすぎて聴くのが辛いと言う人もいる。
凄いことだよね。
もう一つ、ミヤマテツオに衝撃を受けた特徴的な事がある。
ミヤマテツオはライブ中に観客が何をしててもお咎めがない。気にしない。
酒を飲んだり食事したりはもちろん(箱さえ良ければ)お喋りをしてても外に出ても構わない。
「お客さんは好きにしたら良い。俺は全力で歌うだけだ」というスタンス
お客さんにしたら最高に過ごしやすいのかもしれないが、他のアーティストにしたらたまったものではないのではないか?
僕なんかはお喋りとかは気になってしまう。
ちゃんと聴こうぜ、せめて興味がなくても邪魔になるようなことはやめてくれよ、、と思ってしまう。音楽の前では全てが自由なのだ!という楽しみ方が半端ない。その証拠にライブ中に寝ることすらある。
その壮大な自由は確固たる理念の元にある。
会社は仕事中に寝るわけにはいかない。
会社のHPが本当に素敵なのだ。
会社の理念の中にも「人生にイロドリを」が存在する。
SUNZ GROUPはたくさんの事業を抱えている。
とんとん拍子に進む事業もあれば、アイデアベースから全く動かない事業もある。動けない事業もある。やりたいことはやればいい!なんて言いながら全くできていない自分を嫌でも思い知らされる日々かもしれない。
全てを大切にしたいが、時には誰かを傷つけてしまう事もある。それは避けられない事だなんて頭や文章で割り切ってしまう事は簡単で、そして多くの人が共感もしてくれるだろう。
だけど傷つけた事実は消えない。
傷つけられた人にとってそれは正当化して良いものではない。考えて行動して考えて行動して、僕はもちろんその動きの全てを見てるわけではないが、その時その時ですれ違ってしまう人もいた事を見てきている。
僕は中途半端でテキトーを極めようとしてるので、色んな人の言い分や意見を聞く事がある。
なので自信を持って、この生き方こそが正しいんだ!と力強く背中を押すことはできない。
僕のスタンスとしては僕の人生は自分で決めていて、そこから先のその向こう側へは一緒には行けません。だけども必ずこの場所ではずっとあなたを待っています。僕はここにいます。というスタンスだ。
これは三山のてっちゃんに限らず多くの人にこのスタンスで接している。それをわかってくれる人と深くお付き合いができてる。
いきなりだが会社のmission vision value を貼り付けてみよう。(これ何のnote?)
「誰にだって輝ける場所がある!」
と言ったところで、その全てがSUNZ GROUPの中に揃ってるわけじゃない。そんな人は外の世界に輝ける場所がきっとあるはずだから腐らずに頑張って欲しいというメッセージだと思って欲しい。
しかしより多くの人に輝ける場所を用意したいと三山哲緒は思っている。その為には結果や成果が必要だ。そのためには適切な人材でなければならないという矛盾。目指す未来のために目先では悩ましい選択を強いられる事がある。
(そんな葛藤も音楽活動にはぶつけられている)
「毎日がハレの日」
そんなわけねぇじゃんw
そんな事はわかってる。
曇りのち晴れるねん。
そしたら曇ってた過去も晴れになる。
そしたら毎日がハレになるやん。
こういうのは言葉の捉え方が人によって違う。
僕みたいに綺麗な言葉を素直に受け取るのが困難な社不もいる。
でも結局突き詰めたら「ええ感じ」なんじゃないだろうか。
愛=ええ感じ
僕はそう解釈してる。
ええ感じに人生にイロドリを。
その色が白でも黒でもイロドリに違いない。
僕はSUNZ GROUPとしては難しいと思いますがw友達としてはこうしてめちゃくちゃ仲良くさせていただいてます(^^)
それもまたイロドリです。
きっとアナタもミヤマテツオ/三山哲緒にイロドリを与える1人です。
長々と時には自分の話も織り交ぜてミヤマテツオと三山哲緒を書いてきましたが、何が1番言いたいかって言うと、、人と人はわかりあえないし混ざり合えないけど交じり合えるって事です。
僕とてっちゃんもご縁がなければ間違いなく交じり合ってはいません。なんなら出会い方が違えばお互い微妙に好きじゃないと思います←
今でも分かり合えてなんていないし混ざってもない(バンドや飲食店の立ち上げや改修とかまで一緒にやったのにw) でも濃厚に交じり合ってはいる。
この形こそが理想の一つの形ではないのかなと手前味噌ながら思ったりもしています。
それをみんなともやれんじゃねぇのか?って。
(もちろんわかりあえてどこまでも一緒にやっていける仲間!とかもサイコーに違いはない)
さて、、ダラダラと書き殴ってたら1万文字を越えてしまった。こんなとてつもない長文を最後まで読んだからには、、、