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憧れる俳句

前回、クイズを出しました。

次の中で私が一番好きな句好きな句はど~れ?
その句を詠んだのはだ~れ?
① さみだれをあつめて早し最上川
② さみだれや大河を前に家二軒
③ さみだれやライブライブとはしゃぐ鯉

いやはや、私に関心のない人にとってはどうでもいいクイズであり、私に関心がある人にとっても「教科書からのパクリやん」と突っ込みを入れたくなるクイズでしょう。にもかかわらず、答えて下さったふろやま書房さん、ありがとうございます。

ふろやま書房 2018/05/07 08:16 削除 スキ 1
実は3番な気もしますが誰の句だろう。もしかしたらcandycandyさん自身の句かも。 蕪村の句好きです。

惜しい!最初の一文がハズレ。私が一番好きなのは③ではなくて②の「さみだれや大河を前に家二軒」です。「蕪村の句好きです」とのことですから、趣味は合いましたね。ちなみに、言わずもがなですが、①は芭蕉の句、②は蕪村の句、③は私の句です。

ところで、どうして私は②の句が好きなのでしょう。

#2  憧れる俳句

この三つの句を分析してみましょう。なお、全くの我流でいたしますので、「ええ加減なこと書かんとき」とか「芭蕉や蕪村の句とお前の句を並べるなんてありえへんで」とかご意見がございましたら、なるべく優しくコメント欄にお寄せ下さいね。

では、まず3つの句の共通点から。共通点なんてあるのかなと思いきや、あります、あります。それは、どの句も目に映るものを一所懸命観察して詠んだ句に違いないということです。①の芭蕉の句は動体視力を駆使して雨の一粒一粒を追わなければ生まれなかったでしょうし、②の蕪村の句は一定の時間雨の中で佇んで川面の水位を観察しなければ生まれなかったでしょう。また、③の私の句は実際に首を上下に動かさなければ生まれませんでした。

次に3つの句の相違点です。これが順位を決めるポイントになりましたので、少し丁寧に書きます。これら3つの句の相違点は、目に映るものに対する感嘆がどの位置から湧いてどの方向に流れるかだと思うのです。①の芭蕉の句は、俳人から湧いて雨と川に向かって流れ、そのまま風景に溶けていきます。一方、②の蕪村の句は、俳人から湧いて雨と川に向かって流れ、それが家にぶつかって俳人に跳ね返ってきます。また、③の私の句は、見ているのは俳人ですが、感嘆は池の中の鯉から雨音と波紋に向かって流れ、そのまま水中でブクブク言っているだけです。

私は、何も考えずに書くと③のような句ばかり詠んでしまいます。何と言いますか、見ているものに入り込んでしまう癖があるのです。それはそれで悪くない特徴であり、そのおかげで時に面白い句が生まれることもあります。でも、そればっかりだと弱いと思いませんか?だって、いくら鯉の目線で詠んだって、それを読むのは人間でしょう。②のように、俳人や読者に跳ね返ってくる句の方が強いですよね。

だから②のような句に憧れるのです。この三つの句の中で私が一番好きなのは②の蕪村の句です。私もいつかこういう句を詠めたら気持ちいいだろうなぁと思います。

今日はここまで。つづきは5/13にアップします。いつも私のnoteを詠んでくださる方、たまたまこのnoteに立ち寄ってくださった方、長文にお付き合いくださりありがとうございました。このエッセイのマガジンを作りましたので、フォローしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

マガジン『俳句ing』: https://note.mu/candycandy/m/m7bc6bfaeabc6

【追記】
このエッセイは、本文に登場するふろやま書房さん4/25付のエッセイを読んだことがきっかけで書き始めました。俳句が好きな方、ぴょーんと飛んでみてください。このエッセイのコメント欄でふろやま書房さんと私のおしゃべりをご覧いただけますよ。それからヨシカワさんもご自身の好きな句を紹介していらっしゃいますよ(^_-)-☆