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「デジモン」の進化の段階から見る加点方式の考え方~「未熟」ではなく「成長期」~


「デジモン」が好きでした


昔、「デジモン」っていうのが流行って、僕もハマってた時代がありました。
 
モンスターの種類が豊富でね、そしてカッコイイ。
どっちかというとカワイイ系の「ポケモン」より、僕は「デジモン」の方が好きでした。

デジモンとは↓


モンスターを集める、進化させる、みたいな要素は「ポケモン」にも似ています。
 
たまごっちみたいなキーホルダー式のゲームから、プレステにも入ったし、カードゲームにもなりました。



この「デジモン」については、モンスターのデザインが好きだった、っていうのもありますが・・・・
 
僕が思う、「デジモン」の、ここがすごくいいな、っていうところのひとつに、「進化の段階の呼び方」があります。



デジモンの「進化」の段階の設定


大体のデジモンは、まず卵から産まれて、「幼年期」っていう段階からスタートします。
 
そこから、バトルができるようになる「成長期」を経て、しっかりと個性を発揮して戦えるようになった「成熟期」になります。
ここが大体、人間で言うところの10代~20代までな感じかな。
 
そして、そこからさらにパワーアップして、「完全体」という段階があります。
 
最終的には、「究極体」という段階に行き着きます。
(ここまで進化できるのは本当にひと握り)



この設定の、何が良いと思うかって・・・・



「成熟」していない状態のことを、「未熟」って呼ばないところ。
 
「成長期」って言い方をするところ。




これなんです。
 
「未熟」っていうと、「成熟」こそが正しい状態で、本当はそうならなくちゃいけなくて、今の状態を否定してしまうようなニュアンスが含まれます。
 
「未熟者」っていうのは、謙遜する時に自称することはあるでしょうけど、「成熟」からの減点方式の発想の言い方です。
 
だから、僕はその呼び方、好きじゃないのです。



でも「デジモン」の世界では、「成熟期」の前の段階を、「成長期」って呼ぶんです。
 
今まさに「成熟」に向かって成長中!っていうことを表す、加点方式の発想ですよね。


同じように・・・・
 
「完全体」のひとつ前が、「成熟期」なんです。
 
ここで、「不完全」って言わないところが、素晴らしい。



「成熟」して、それで十分なんですよね。
 
それでもなお、もっと自分を研ぎ澄ましていった先にある次のステージが、「完全」という言葉なだけ。
 
「完全」じゃなくても、十分に「成熟」している・・・・という発想が、素晴らしい。



またさらには、「完全体」で終わりにはならないというところも好きです。
 
「完全体」には、さらにその上に、「究極体」というステージがあります。
 
ほとんどのデジモンは「完全体」までしかいけないけれども、時々、主人公やボスクラスになると、「究極」に進化するデジモンもいるのです。


「完全」って言ってしまうと、そこで「終わり」な気がしてしまうじゃないですか。
もう成長の余地がない、みたいな。
 
そうじゃなく、本当に突き詰めまくっていったら、その先だってあるんだよ、と。
 
「デジモン」がリリースされた最初の頃は、「完全体」までしか段階が無かったのですが、途中で追加されたのが、この「究極体」でした。
 
 
この設定を追加で作ってくれた裏には、
「完全」の前は「不完全」ではなく「成熟」、
「成熟」の前は「未熟」ではなく「成長」、

そういうふうに名付けてくれたのと、同じ意識が働いているのじゃないかと思います。




この設定は、本当に素晴らしいなぁと思います。
 
ちなみに、そういう設定を作り続けるとゲームとしてはキリがなくなってしまうので、段階としては「究極体」で終わりですが・・・・
 
他にも、この段階に当てはまらない「ハイブリッド体」「アーマー体」などのような、他の進化の可能性も、設定として存在するのです。






この設定から「希望」を感じる理由


わりと日本の教育は特に、何かどこかの基準を「正」とし、そこに満たないものを「誤」として、否定する傾向があります。
 
そういう減点方式の物の見方は、人格や努力を踏みにじることがあるでしょう。


しかし、本当は、「成熟」していないことが悪いわけではないはずです。
 
それはただ、今、「成長」している最中だというだけなんです。
 
「完全」でないことが悪いわけではないのです。
 
ただ、もうすでに「成熟」はしているのだということなんですから。


さらには、「完全」に辿り着くのがゴールなわけでもないのです。
 
いつまでも僕らは成長を続けられる、その先に「究極」の姿が、まだまだあるんですから。



「たかが言葉ひとつ」と思う方もいるかもしれません。
 
「されど言葉ひとつ」だと、僕は思っています。
 
 
「成熟」に至っていない状態を、
減点方式で否定の意味をこめて「未熟」と呼ぶか、
加点方式で希望の意味をこめて「成長」と呼ぶか。
 
この言葉の使い方ひとつの裏には、人生観や世界観が詰まっています。

「彼は未熟だ」と言うか、
「彼は成長中だ」と言うか。
 
どちらの方が、より、自分も相手も、幸せを感じ取れる表現なのか。


そうしたことを意識して、言葉をしっかり選んでいくこと、その言葉の裏にある意味を選び取っていくことは、とても大切なことなんじゃないかなぁと思います。



そんなことを・・・・僕はずっと思いながら、デジモンで遊んでいました。
 
ここ数年は全然観てなかったんですけど、また新しいアニメが出たりして、今もなお、まだまだデジモンの種類は増え続けているらしいですね。

調べてみてびっくりしました。

デジモン図鑑



こうした子ども向けのアニメやゲーム、マンガの中にも、大切なことを教えてくれるものは多いですよね。
 
ストーリーの中では勿論ですけれども、今回のこの話のように、設定ひとつ取ったって、そこから大切な考え方を学び取ることができます。

こういうふうに見ていくと、色んなものが、もっともっとどんどん楽しくなり、そして、人生がもっともっとどんどん面白くなっていく感じがします。

ぜひぜひ、やってみてくださいな。



あーそれにしてもデジモンカッコイイ。



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