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人ですか?それともゾンビですか?


自分を幸せにできるのは


自分を幸せにできるのは、自分だけ。
 
幸せは、「なる」ものではなく、自分が感じるものですから。
 
同じように、自分を不幸にできるのも自分だけ。
 
自分で自分を、不幸な人間と決めつければ不幸になります。


すべて、自分でコントロールできることです。
 
「自分を生きる」とは、そういうことですよね。


こういった考え方は、今やもう、画期的でも何でもなく、
「当たり前」に広く受け入れられ始めています。



他人からどんな仕打ちを受けたって、
それで「傷つくかどうか」は自分で選べるし、
傷ついたから「怒るかどうか」も選べるし、
「幸か不幸か」も選べるわけです。
 
自分が「生きよう」「幸せを感じよう」とする限り、
他人によって不幸にされることは、できません。



自分が、今不遇な環境下にあることは、
客観的に、因果関係上は、
他人が強く関係しているかもしれません。
 
けれども、そこに、
「自分自身の意思が介在していない」
なんてことは、あるわけないじゃないですか。
 
極端な話、「通り魔に襲われた」って、
その道を通ることを選択した、
「自分自身の運の悪さ」っていうのは、
あると言えるわけです。


いや、別にそう考えろって言いたいわけじゃないですよ。
理屈はそうでも、つらいものはつらい。
 
だから、無理して、
「しんどい目にあったのにそれを幸せだと思うべき」
とは言いません。
 
 
それを強制はしませんし、
そもそも自分だってできません(笑)





人のせいにしてばかりいると心が死ぬ=ゾンビの誕生


けれどもやっぱり、考えれば考えるほど、
「幸せは自分が決められる」っていうのは、
真実なんだと思うのです。
 
どうにも疑いようのないんですもの。


「どんなに劣悪な環境でも幸せと思えれば幸せ」
っていうのは、それ自体は真実です。
 
それを、実際にできる心の強さがあるかないかは別として、ですが。

実際、他人から見たらどんなに不幸に見えても、
本人は全然自分の境遇を嘆くことなく、
幸せそうに生きているという事例はいくらでもあります。



そうである以上・・・・
 
自分が「不幸」だと決めつけるのは、自分です。
自分を傷つけているのは、自分なのです。
 
全部が全部、自作自演のひとり舞台に過ぎないのですから。


苦しさ、しんどさから、
自分の不幸を他人のせいにしたがる人は、
実際のところ、とても多いと思います。
 
「あいつに傷つけられた」って、
他人に罪をなすりつけて、
自分の心を守る行動は、多くの人がやってしまいがちです。
 
まぁ、それはそうですよね。
別にそれが悪いわけじゃありません。



しかし、自分の環境を、
そこで感じる自分自身の幸せを、
他人の言動に委ねている限り、
そりゃ、幸せになんてなれないわけです。
 
本当に幸せになろうと思ったら、
自分自身で、「幸せである自分」を、
選ばなくちゃならないんですから。



そういうふうに考えていくと・・・・
 
人のせいにばっかりして、
当たり散らしている人っていうのは、
自分を生きていない、
生きているように見えるだけで、
心が死んでるリビングデッド。
 
すなわち、ゾンビじゃないですか?(笑)





「おれがこうなのはあいつのせいだ」
 
「私はあの人に消えない傷をつけられた」
 
 
そういうことを言ってる人っていうのは、
ゾンビが「あ゛~~あ゛~~」って言ってるのと、
同じなんじゃないかって、僕は思うのです。
 
思いついたら部屋で一人笑えてしまいましたよ。




事象そのものは、「何が起きるか」コントロールできなくても、
その捉え方は、いくらでもコントロールがききます。
すべて、自分の思い通りにできるのです。
 
他人に不幸にされることなど、
他人に傷つけられることなど、
実際には存在しません。
 
もし、他人のせいにしてしまうことがあるなら、
それはゾンビ化しているってことだと思います。
 
「自分」を生きず、他人軸で生きてしまってるということです。

ははははははははは。




ゾンビがうようよいる世界でどう生きるか


この世界には、きっとゾンビが沢山います。
 
ちょっとしたバイオハザードが起きているのです。
 
でも、「自分の周りはゾンビだらけだな」って感じたら、
そういう道を往くことを決めたのも、自分自身です。
 
ゾンビを蹴散らすなり、避けていくなり、
そういうことがしたくてゾンビの真っただ中に降り立ったんでしょう。
 
ゾンビのいない場所で暮らす方法だって、あるんですから。
ゾンビに会いたくないなら、そういう暮らしを選べばいいのです。





そんな世界にあって、僕は、よく自分にも問い掛けます。


「僕は、生きているだろうか?」と。


他人へ衝動的に怒りが湧くことは、そりゃ、ありますよ。
それは感情の問題ですもの、ありますよ、全然あります。
 
でも、僕の人生の幸や不幸の決定的な要素を、
他人に委ねたりはしません。
 
ゾンビになって、暗黒の人生を歩みたくはないです。
僕は人間でいたいのです。




ちなみに、ゲームや映画の設定と同じように、
「ゾンビに噛まれてもゾンビになる」ので、
気を付けなくちゃいけません。
 
自分が自分であることを思い出しながら、
時にゾンビ化してしまっても、
自分自身を思い出し、ゾンビから人間に戻りながら、
「生きて」いきたいと願います。







ゾンビになんか構っていられません。
だってあいつら、無限に出てくるんですよ笑
 
周りにゾンビがいることに文句を言っているヒマは、
自分が自分らしく生きようと思ったら、無いはずです。


ちなみに、ゲームのゾンビと少し違うのは、
リアルのゾンビは、「人間に戻ることだってできる」ってことです。

それを踏まえ、
 
ゾンビを蹴散らしていくゲームを選ぶか、
ゾンビを人間に戻していくゲームを選ぶか、
ゾンビを避けまくるゲームを選ぶか、
ゾンビの出てこないゲームを選ぶか、
 
人生ゲームは自分の好きに選んだらいいと思います。





あー、今の時代は、ゾンビの話をするより、
巨人って言った方がわかりやすいんですかね?


気を付けろ。
 
他人のせいにするというのは、
他人の人生を呪うということ。
 
すなわち巨人が人間を食うのと一緒です。
 
そんなことしていると、駆逐されますよ笑
 
 
 

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