
「挑戦した彼女と、何もしなかった人たち」
彼女は、挑戦をした。
しかし、それは失敗に終わった。
彼女は、もう一度挑戦しようとした。
周りの人間は、口々に心配の言葉を述べ、遠回しに彼女を止めた。
それでも彼女は、挑戦をした。
そして、それも失敗した。
周りの人間は、みな、
「そら、見たことか、だから言ったじゃないか」と、
得意気のようだった。
三度、彼女は、挑戦を試みた。
周りの人間は、今度ははっきりとした口調で、彼女を止めた。
バカにする者さえ、いた。
どうして懲りないんだ、また同じ失敗を繰り返すのかと、非難ごうごうだった。
それでもなお、彼女は、挑戦をした。
結局、それも失敗に終わった。
彼女は、何度も、何度も失敗をした。
しかし、諦めなかった。
その挑戦が、彼女にとって大切なことであり、
彼女の魂にとって、意味のあることだと信じていたから。
挑戦をするたびに、彼女の周りには、
彼女を笑う声が溢れ、そして消えていった。
そのうち、笑うことすら通り越して、
彼女の周りの人間は、何も言わなくなった。
ある日、とうとう彼女は、挑戦を成功させた。
ついに、成功させたのだ。
しかし、彼女の周りに、彼女を讃える声はなかった。
彼女の周りの人間たちは、
彼女の最終的な成功よりも、
それまでの数々の失敗にフォーカスをしていた。
「いくら成功っていっても、それまでに何度失敗したことか」と、
彼女を笑うのを、改めなかった。
なお。
彼女の周りの人間たちは、無謀な挑戦は一切しなかった。
何ひとつ成功をおさめない代わりに、何ひとつ失敗も犯さなかった。
彼女の周りの人間たちは、何ひとつ、何も動かさなかったのだ。
長い長い時が流れた。
彼女も、彼女の周りの人間たちも、もうこの世界にいなかった。
しかし、今の世界に生きる人間たちは、
遥か昔に彼女が成し遂げた成功の、その上に生きていた。
彼女の挑戦、そして成功が無ければ、
今日の世界は存在し得なかった。
今、彼女を笑う者はひとりもいない。
彼女を直接的に知る者も誰もいないが、
誰もがみな、彼女の成功によって生み出された世界に生き、彼女に感謝をしていた。
かつての彼女の周りにいた人間たちについては、
何かを思うものは、今は誰もいない。
彼女の周りにいた人間たちは、
今日の世界に何の影響も及ぼしていなかった。
彼女の周りにいた人間たちは、
何も挑戦せず、何も生み出さなかったからだ。
何も失敗しない代わりに、何も成功しなかった。
一方で、彼女は、たくさんの失敗を犯した。
彼女の周りにいた人間たちは、
彼女の失敗を見て、彼女を責め、彼女を笑った。
しかし、彼女の周りにいた人間たちは、
その代わりに何も生み出さなかったのだ。
彼女は、挑戦をした。
たくさんの失敗を犯し、責められ、笑われ、
ついには成功をおさめたにも関わらず、
その成功よりも数多の失敗を取り上げられた。
それでも、彼女の成し遂げた成功の、その上に、
彼女の遥か未来の人間たちは、生きていた。
失敗した。
失敗した。
失敗した。
笑われ、責められ、
そして、褒められることはなかった。
それでも、挑戦をした人間は何かを残す。
笑っても、責めても、
何も挑戦しなかった人間たちは、
何も生み出さなかった。
何も残さなかったのだ。
多くの失敗も犯さない代わりに、
ひとつの成功もない生き方と、
多くの失敗を犯す代わりに、
成功に辿り着く生き方。
さらには、成功したとしても褒められないかもしれない生き方。
どちらの方が、好みだろうか。
どちらの方が、良いとか、悪いとかいう話ではない。
どちらの方を、自分が選びたいか、だ。
成功も失敗も、
両方残すか、
どちらも残さないか。
世界はそんなに極端じゃないかもしれない。
けれども、その両極端だったとしたら、どちらを選ぶのか。
実は、毎日僕らは、そういう問いを、
投げ掛けられているのかもしれない。
挑戦する人間は失敗するかもしれない。
しかし挑戦しない人間は何も生み出さない。
不幸も生み出す代わりに幸せも生み出す虹色と、
不幸も幸せもどちらも生み出さない灰色と、
どちらが好みだろうか。
僕らは実は常にその選択肢を並べられ、
選択を迫られているという意識を持った方が、
より人生や日々の過ごし方を、
愛しいものにできるんじゃなかろうか。