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『聖天遍路』が描く世界観:宗教を超えた調和と解脱の物語
『聖天遍路』の誕生とその出発点
『聖天遍路』は、私が1999年9月9日に迎えたある核心的な出来事を経て、20年後の2019年9月9日に「聖天変幻」という啓示を受けて描き始めた物語です。
当時、私は宗教やそこから生まれた物語が大好きで、仏教に登場する説話や旧約聖書、日本神話の『古事記』、さらにギリシャ神話や北欧神話、インド神話など、そうした壮大な物語に匹敵するような“バイブル”的なストーリーを自分でも描きたいという思いを抱いていました。
そして、その気持ちと「聖天変幻」という啓示が合わさり、私は無我夢中でこの物語を描き始めました。しかし、物語を進めていくうちに次第に気づき始めたのです。多くの宗教が「この神を信じなければ救われない」「他の信仰は間違っている」といった排他的な考えを抱えていることに。それは本当に人々を幸せにするのでしょうか?むしろ、そうした排他性が対立を生み、平和を遠ざけているようにも思えるのです。
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調和と解脱の理想郷『聖天浄土』
私が描きたいと願ったのは、特定の宗教に基づく物語ではありませんでした。
それぞれの宗教が持つ哲学や信仰のエッセンスを活かしながら、それらを統合し、調和するような世界です。
『聖天遍路』の主人公・福太郎が旅する物語は、様々な宗教や信仰の神々、仏たち、そして精霊たちが共に人間を導きながら、最終的に「聖天浄土」と呼ばれる理想郷を創り出すというものです。
『聖天浄土』は、どの神仏や教えにも偏らず、全ての存在が調和し、解脱を目指すための世界です。この物語の根底にあるのは、「多様性の尊重」と「調和」です。どの信仰も否定することなく、それぞれの持つ知恵や教えを取り入れることこそ、人間を本当の意味で解脱へ導く道であると考えています。
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(調和の神であり菩薩でもある存在)
排他性を超えた新しい宗教観
「この神を信じなければ救われない」「他の信仰は間違っている」という考え方は、本当に人々を幸せにするのでしょうか?
むしろ、そのような排他性が対立を生み、平和を遠ざけているように思えることさえあります。
私が『聖天遍路』で伝えたかったのは、宗教や信仰の違いを超えて、人々が共に歩む道です。それぞれの神や仏は、対立するための存在ではなく、むしろ人々が共に成長し、悟りを開くための導き手なのです。
物語の中では、福太郎が様々な神仏や精霊と出会いながら、時には対話し、時には力を合わせ、最終的には人間の解脱と全体の調和を目指します。『聖天遍路』は、特定の宗教を批判するものではなく、むしろその教えを理解し、受け入れ、共に成長する道を探る物語です。
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物語を通じて伝えたいメッセージ
『聖天遍路』は単なるファンタジーや冒険物語ではありません。この物語を通じて、私は読者の皆さんに「調和の大切さ」を伝えたいと思っています。信仰の違いが争いを生むのではなく、むしろ多様性が豊かさを生むという視点を共有できればと願っています。
それぞれの宗教や信仰には、人間を救うための知恵が込められています。それらを否定するのではなく、認め合い、調和させること。それが、私たち人間が目指すべき「解脱」や「平和」への道なのではないでしょうか?
『聖天遍路』は、そんな願いを込めて描かれた物語です。これからも福太郎の旅を通じて、皆さんに調和と解脱のメッセージを届けていければと思います。