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18話解説!あの世とこの世を繋ぐ霊的空間 – 聖天遍路の寺院描写とその背景

はじめに

『聖天遍路』に登場する寺院や神々の描写は、現世界に存在するものと似ているようでいて、どこか違う――この違和感が、作品を描く際の着想のきっかけになりました。私は霊視を通じてあの世の興福寺や神仏の姿を垣間見る中で、現世界の仏像や寺院の雰囲気との違いに疑問を抱き、それが物語世界に反映されています。本コラムでは、その違いを通じて『聖天遍路』の寺院や裏世界の構造について掘り下げます。

1. あの世とこの世の興福寺の違いと共通点

聖天遍路18話冒頭

※実は冒頭の一コマ目や二コマ目の背景は興福寺に存在しない

霊視を通じて見たあの世の興福寺は、現世界にある興福寺をベースとしながらも、幻想的な要素が加わり、そのデザインや雰囲気が大きく異なります。しかし、特筆すべきは本殿などの主要な建築物についてです。

これらは、現世界の興福寺や他の寺院と非常に似通った構造を持っており、あの世とこの世を繋ぐ重要な共通項となっています。

本殿などの建築物が現世界に近い姿で存在している理由は、それがこの世とあの世を結ぶ霊的な「軸」としての役割を果たしているからだと考えられます。現世界の寺院の建築様式は長い歴史の中で洗練され、祈りや信仰のエネルギーが集まる場として最適化されています。その形は、あの世の寺院においても霊的な中心地として受け継がれているのです。

一方で、本殿以外の細部や周辺の建物、景観については、現世界とは異なる幻想的な要素が加わっています。これらは、あの世特有の霊的エネルギーや、その場を訪れる者の魂の状態を反映したものであり、見る者にとって神秘的で非現実的な印象を与えるのです。

以下は実際に取材旅行に行った際に見た現世の南円堂👇

(私の霊視している(興福寺)南円堂とは類似点と相違点がある事が更なるヒント(ポンリキー)となるのである)

2. 裏世界の人々がほぼ和風や着物姿である理由

『聖天遍路』の裏世界に登場する人々のほとんどが和風の着物を着ている理由についても、霊視を通じて得たヒントがあります。着物は単なる衣服ではなく、霊的な波動を整え、魂の本質を表現する一種の象徴的な装束のような役割を果たしています。

着物を着ている住人達(第18話)


霊視で見た裏世界の人々の姿は、彼らが所属する時代や文化を反映しながらも、霊的なエネルギーに適した形として「和風の装束」に収束しているように感じられました。特に日本は古来から神仏と深く関わる文化を持ち、その精神性が和服の形式美や礼節と密接に結びついていると考えられます。裏世界の人々が和風である理由は、こうした霊的背景が影響しているのかもしれません。

また、裏世界自体が日本的な価値観――調和、礼儀、そして静謐――を色濃く反映した空間であることも理由の一つです。そのため、自然と着物がこの空間にふさわしい装束として定着しているのでしょう。

3. あの世の寺院の「霊的連動性」

あの世の寺院は、現世界にある寺院を軸としつつ、世界中のあらゆる聖地や神殿と霊的に連動しています。例えば、作中に登場する寺院は、外見こそ現世界の興福寺とは異なりますが、その核となる霊的エネルギーは奈良の興福寺を始めとした多くの寺院と繋がっています。この連動性は、日本だけに留まらず、エジプトやインドの神殿、さらには世界中の祈りの場と響き合っています。

「古代エジプト」聖天遍路18話より


この考え方は、宇賀弁財天と福太郎の過去世にも通じています。宇賀弁財天が「エジプトのクレオパトラ」であり、福太郎が「カエサル」であったというエピソードは、単なる過去世の記憶ではありません。クレオパトラが祈りを捧げたエジプトの神殿が、時空を超えて日本の寺院と霊的に繋がり、福太郎の魂や運命にも影響を与えています。この壮大な霊的ネットワークが、あの世の寺院を通じて表現されています。

クレオパトラとカエサル(聖天遍路18話

結び

『聖天遍路』の寺院や裏世界の描写には、私ソラホシテラスの霊視体験や疑問が色濃く反映されています。現世界の寺院をモデルとしつつも、幻想的で霊的な空間として描かれる作中の寺院は、世界中の聖地と響き合う存在として描かれています。特に本殿のような主要建築物には現世界との共通項が残されており、それがあの世とこの世を繋ぐ霊的な軸となっています。

この視点を持つことで、物語の舞台のスケールや霊的な深みをより一層楽しんでいただけるのではないでしょうか。

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