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絵の上達と幸せの関係。
今日はフォロワーさんとこんな会話をしてました。
模写の話につながるんだけど…
— 颯筆 (@sappitsu) September 5, 2023
自分の場合、すごく自分の絵の癖が気に入らなくて、自信もなく(たまに褒められても卑下しすぎで素直に入ってこない)
模写すると「自分の線だけど凄くいい感じ!」と錯覚できた。そのあと、個性どうこうの質問へのインフルエンサーの回答動画みて(いくつかある)↓
模写行為というか、人に寄せた画風への嫌悪感みたいなのが少し和らいだところもある…
— 颯筆 (@sappitsu) September 5, 2023
岸田メル先生の動画「個性って売れるためにはぶっちゃけ要らなくて、自分の尖ったトコ丸めて、より多くの人に受け取って貰いやすくするために流行りを取り込んで丸くなる」的な話が、個人的にスっと入ってきた ↓
流行取り入れたり少し絵柄寄せてみたりするのは、個性というものの角を取り、触ってもらいやすくするようなイメージで考えてます。尖ってるものは人(他人だけでなく自分ですら)を選ぶから。
— 颯筆 (@sappitsu) September 5, 2023
勿論そこまでして角落とさなくてもよくね?って意見はあると思いますしよく分かるhttps://t.co/CYtc9vq9m5
この説明すごく良くわかる〜🙏😊✨
— きゃんちゃんと私➡️署名活動中 (@canchanandme) September 6, 2023
どの程度角を落とすか、それともまったく落とさないかも
結局人それぞれの元の絵にもよるから一概に全員角落とせとも思わないんだよね
原石を削って削って宝石に仕立てる良さもあれば原石のままのゴツゴツ具合?が評価される人も中にはいて
どうなれば自分が幸せか↓
が大事だと個人的には思っているので
— きゃんちゃんと私➡️署名活動中 (@canchanandme) September 6, 2023
自分が幸せだと思うものを自分は選んでいるなあ☺️
いくら売れても人に好かれても
それだけで幸せになれる人もいればそうでない人もいて
そこの幸せの定義も人それぞれだから
やり方やあり方もそれぞれなんだろうなあと思う…
説明がうまくて、前からぼんやりと感じていたことをうまく説明してもらった感じです。
個人的にもう少し掘り下げていろいろ書きたかったのでNOTEに書きます。
今の流行りの絵を描いて人気が出れば幸せになれるのか?
絵は本気でやればうまくなる方法もたくさんあり、おそらく誰でも可能だとは思うのですが、
みんながみんな、今の流行りの絵を描けるようになれば幸せになれるのか?と言うと、もちろんそういう人もたくさんいると思いますが、そうじゃない人もいるかもしれない。
何を幸せとするかは人それぞれです。
私の場合は、以前に絵垢をやっていた時は小さい垢ですがフォロワーは最終的に2千人くらいになってましたが、正直、一番楽しかったと感じたのはフォロワーが100人くらいまでの時でした。
その頃が、フォロワーさんたちと気兼ねなくコメントのやり取りができてて、すごい下ネタを話して毎日大笑いしてたり、人の萌え話を聞いてそこからイラストのネタが生まれたりして、本当に濃い交流ができていて、心底楽しかった頃です。
でも、フォロワーが増えるにつれ、人の目を気にしてそういう人たちが委縮してしまったのか、以前のようには話せなくなっていってしまいました。
それはそれで、その状況を私は受け入れていったのですが、やっぱり最後まで、「フォロワーが多いほど幸せ」とは、なかなか単純に思えませんでした。
確かに評価(いいね)はもらえるとうれしい。
でも自分の場合は、それを失うことを恐れるようになってしまってたと思います。
「フォロワーが多いほど幸せ」と心からそう思える人であれば、いくらでもフォロワーを増やすための努力は楽しいでしょうし、それほど苦にもならない…苦だったとしても乗り越えていけるかもしれないのですが…
そうじゃない人にとっては、日々いいねの数を気にして、もっともっと数をあげなきゃいけない、もっといいねをもらえるようなものを描かなきゃいけない、でも、こんなに頑張ってるのに思うように伸びない…と、そこに囚われてしまうと、それがけっこうストレスになることもあります。
私の場合も、一時期はまんまとそこに囚われてしまって、苦しい時期を過ごしてた時もありました。
そうなってしまうと、何のために描いていたのかわからなくなってしまうんですよね。
そんな感じで行き詰ってた事もあり、たまたまそのタイミングでがんが発覚したころでもあり、それを機にその垢での活動を終了することにしました。
その後は、誰にも見せずに一人で自創作を黙々と描いている日々です。
当初は誰の反応もないのに描き続けられるだろうか?と不安でしたが、自分にとってはそれはまったくの杞憂に終わり、何の制限も決まりもない完全自由な状態にむしろ今までで一番活き活きと過ごしているかもしれません
人のニーズと自分のニーズ
ピクシブとかで一番人気の絵を見ていれば、誰にでも
「ああ、なるほど、こういう感じの絵を描けば人気が出るんだな」
ということは一目瞭然だと思います。
それを自分が本当に魂から望むのなら、そういう模写をしまくるのがたしかに近道だと思います。
でも、肝心なのは、
「それは本当にあなたの幸せ?」
というところなのでしょう。
それが本当の自分の幸せではない場合、
それでも人気の絵柄に寄せていくのであれば
それはただ単に人からの評価を得たいから、そうするという事であって
それが=自分の幸せ、自分が満たされる事にはならない可能性があります。
自分の幸せにならない場合は、単に人の評価を得て、評価を増やすためだけにずっと頑張り続けるという苦行になってしまい、とてもつらい茨の道になってしまうかもしれません。
人からのニーズと、自分のニーズがけっこう合致できた場合は、わりと幸せになれるのではないかと思います。(紆余曲折はあったとしても)
たとえ巷で大人気のインフルエンサー絵師のようにはなれなくても、好きだと言ってくれる人が一定数いれば、描き続けることはけっこう楽しいかもしれません。
(私が個人的に目指しているのはここらへんの位置ですw)
あと、人が喜んでくれれば何でも描く、という人なら、
もうなに描いてても幸せかもしれないですねw
そこも人それぞれ、それぞれに合った幸せになるためには、まず自分が本当は何を望んでいるのかをできるだけ明確に知る必要があります。
そこを考えずに、盲目的に技巧のうまさや流行りの絵柄だけを求めていっても、それが自分が芯から望んでいるものでなければ、苦行になってしまい、いつまでも渇望がやまないという事になってしまうかもしれません。
人のニーズ以上に自分のニーズのほうこそ、敏感になる必要があります。
自分の本当の幸せとはなにか
みんながみんなエベレストに昇る必要はなくて。
自分の価値や、何かを、証明するために描く必要もなくて。
ただ楽しむために描くのであれば、どれだけ描いても楽しさしか感じません。
みんながみんなインフルエンサーになる必要はなくて
自分の本当の幸せに気付くためには、
極端な白黒思考にならずに
インフルエンサーになる以外にも、どんな様々な幸せの形があるのか、
を考えて気づいて受け入れて、心を開いていく必要があるのかもしれません。
年齢でいろいろ人の事を言いたくはないのですが
ごく若い人(二十歳以下の人)の中には
勝ち組、負け組、となんでも粗雑にくくって決めつけちゃう人もいるんですよね…(^^;
前になにかで相談されたときに
「失恋した自分は負けだし、負け組ですよね( ;∀;)」
って言ってた子がいてかなり驚いたのですが
その論理で言ってしまうと
インフルエンサーは勝ち組だけど、それ以外の人は全部負け組…とか、
既婚者は勝ち組だけど、独身者はみんな負け組…という事になってしまい
人生が非常に生きづらい苦行になってしまいます。💦
なにを幸せにするかは人それぞれで
白 と 黒 の間には
無限にいろんな色が存在していて、そのそれぞれの色の幸せがある。
そういうふうに考えると、自分がどんな状態であっても、そこに幸せや喜びを感じて生きる事ができると思います。
自分を犠牲にして人の幸せのために描き続けるというと
とても崇高な感じがしますが
それで自分の絵に悩み苦しみ自殺してしまったりするくらいであれば
自分の幸せを追求した方がいいと、個人的には思います。
よくある誤解で
「現状に満足するとそこで成長が止まってしまう」というものがあります。
たしかに、そういう人も中にはいるかもしれません。
でも自分の場合、現状に満足したとしても、目は慣れるし、多少は飽きてきたりもしますので、そうなると自然に新しい試みを取り入れようという感じになります。
それも、義務感からやるのではなく「楽しいからやりたい」と思ってそうしている。
だからそこに苦労とかストレスはほとんどありません。
現状に満足して楽しめば楽しむほど、またさらに楽しめるアイデアが降って湧いてきて、新しいチャレンジにも前向きに受け入れるようになります。
楽しめば楽しむほど成長します。
苦労や苦行からの成長は私も経験していますので否定する気はないです。
そこでしか得られない気づきもたくさんありました。
でも今は、楽しく幸せに描くことが好きなので描いてます。