CancerX Story ~三嶋 明希人編~
CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第16回はCancerXメンバーの三嶋明希人です。
わたしのCancer Story
ある朝、家族が起きてくるまでの時間にこっそりゲームをするのが楽しみだった小学生の私はいつも通り早起きをしてゲームをしていた。
早朝にもかかわらず、そこに一本の電話がかかってきた。
「あーくん、すぐにお父さんにかわって…!!」
普段、とても温厚な叔父からの緊迫感のある電話。
叔母(父の妹)が急性心筋梗塞でたった一夜の間に亡くなった。
よく遊んでもらっていたとても元気な叔母だった。
ようやく苦労して授かった一人娘(私のいとこ)と叔父を残して。
私の人生では、それが初めての身内の死だった。
それから数年後さらに近しい家族を、もう一人亡くした。それも同じく突然だった。葬儀を終えた夜、一人棺桶のそばでに座る兄を遠くから見た記憶がある。
その後から、常に身内の死を考えるようになった。
兄であるCancerX 共同発起人 三嶋雄太とは、12歳も離れて生まれた自分は親からたくさんの愛を受けて育ってきたが、私は12年以上分、親と一緒に過ごせる時間が同級生より短いかもしれないことに常に葛藤をもつようになった。
“次は親が急にいなくなるかもしれない。“
その後、しばらく時間がたち、今度は叔父ががんのステージ4であると知る。
叔父の状態はけしてよくなかったが、家族の助力もあって奇跡的に回復したので安堵したものの、母の親もがんで亡くなったことを思い出し、その「”万が一”の事態になったときに自分にできることってなにかあるだろうか。」と考えるようになった。
CancerXに参加したきっかけ
CancerXが発足した2019年の年末に兄から「こういう団体があってその映像を明希人が作れないか?」と連絡があった。
前述の葛藤があったことに加えて、兄の家族に対して口には出さなくとも持っている強い思いを感じていた私はそこに合流することを決意した。
画家の母と、父が与えてくれた文化資本、そして兄の影響によりクリエイティブなものに触れる機会が多かったおかげで、幼いころから自然と0→1の創造が好きだった私は、学生ながら仕事として映像クリエイターの道を歩みだしていた時だった。
CancerXと関わり多種多様な背景を持つ方たちを知っていく中で、私の制作物による表現によって、みんなの思いを、私のクリエイティブで表現し、ほかの人にも考えるきっかけを持ってもらえるかもしれないと考えるようになった。
兄とは違って、自分にできることは写真、映像として形に”遺す”しかないと思っていたが、”伝える”という役割ができるじゃないか。
今後の展望
CancerXに参加してから数年の月日が経ち、私自身の本業のキャリアもとても大きく動いている中、なかなか自分のキャパシティが追い付かないことに悩みながらも、ほかのメンバーは本業を持ちながらもこの活動にコミットしているのを見ていた。
そして、次第に2019年当初、オープニングで放映する映像を制作するだけだった私も、映像の撮影、制作などに加えて、イベント当日の撮影、オンラインセッションの配信システムのオーガナイズ、イベントロゴなどの制作など当初よりもクリエイティブ面で幅を広げて関われるようになってきた。
2025年に向けて、クリエイティブ以外にも新しいチャレンジをしている。具体的には、UICC(国際対がん連盟)に加盟する組織としてのアクションを進めるチームのマネージャーである。周りに助けてもらいながら、自分のキャパシティも上げていく1年にしていきたい。
プロフィール
フォトグラファー / フリーのビデオグラファー
2018年:映像クリエイターとして仕事を開始
2022年:筑波大学附属病院にて再生医療研究補佐
2023年:表現の幅を広げるため、写真の世界へ就職
ゲームを趣味・特技の一つとしており、ゲームインフルエンサーとしても活動。髪の毛は、15年間自分で切っている。