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CancerX Story 〜沖﨑歩 編〜

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第19回は、CancerXメンバーの沖﨑歩です。
(冒頭写真:世界の薬局からシリーズ)



私のCancer Story

CancerXメンバーとして初めて関わったWCW2024直前、大好きな恩師の病状について報せを受けました。10年ほどがんとともに生きた恩師と、このタイミングでお別れの挨拶をしなければならないことに不思議なつながりを感じながら、準備会場を抜けてさいごの面会に向かいました。
薬剤師免許取得後最も長く関わってきたがん医療の世界へ、何度も背中を押してくれたのが、I先生でした。

いつ頃だったか、まだ幼い頃、私が生まれる1年前に叔父が亡くなったこと、大腸がんだったことを聞かされました。叔父は罹患当時警察官としての働き盛りで、優しく頼もしい人だった、と。思えば私のキャンサーストーリーはここから始まっています。

とはいえ、大きな志を持って薬学部に進学したわけではなく、薬局経営者である父に身を任せた結果の選択でした。
当時の薬学部では3年次に病院実習と薬局実習があり、合わせて5カ月ほどのコンパクトなものでしたが、その短い病院実習で私は初めて医療者(の卵)としてがんに関わることになりました。

それは、サークルの顧問だったI先生が繋いでくれた縁で実現した、県立がんセンターでの実習でした。指導薬剤師が入院患者さんと話す様子を見学しながら、私が勝手にイメージしていた、ひと昔前のがん治療の現場とは大きく変わっていることに驚きました。実習期間中、シンと静かな冷たい病室の中で吐き気や痛みに耐えている姿を見ることはなく、患者さん同士が和やかに交流したり実習生の私を会話の中に混ぜてくださったり、温かな場所でした。抗がん薬や支持療法薬(副作用を予防したり軽減したりする薬)の開発が進み、治療中の患者さんの状態も環境も年々良くなっていることを知りました。
私のキャンサーストーリーをつなぐ点が一つ増えた経験でした。

そんな経験はあったものの、悩める20代、他に惹かれるものもあり、就職先は医療現場とは異なるところを考えていました。しかし、ある日、自分が患者の立場になったことで原点に立ち返ることになります。
診断が難しく、適切な医療機関を探すのにも時間を要するような疾患で、明日はどうなるんだろう、と漠然とした不安を抱えながらの生活の中、1年前に経験した病院実習を思い出しました。病室で会話の輪に混ぜてくれた患者さんたちも、きっと不安でいっぱいな夜を経験しているに違いない、と。

実習先の薬剤部長へ連絡してみると、折角ならば国立がん研究センターで薬剤師レジデントという制度があるから、それに挑戦するのはどうだろうか、とのこと。勉強面では不真面目すぎた私は、到底受かるまいと思いながらも、応募締切直前だったことで躊躇う時間もないまま、I先生を頼りました。I先生と考えた作戦が成功し、晴れて薬剤師レジデントとなったのです。

前述のとおり、不真面目すぎた私は、泣きながら帰宅することも1度や2度ではありませんでしたが、優秀な同期や先輩方に助けられながら、気づけばどっぷりがん医療の中にいました。薬剤師といえば、1日の殆どを調剤室(薬を用意するところ)で過ごすものと思っていましたが、E部長の、とにかく患者さんに会いに行け、という号令のもと、多くの時間を患者さんや他職種と過ごしていました。中でも、初めて担当をした患者さんとご家族は、薬剤師として頼ってくださることもありながら、ときには薬剤師レジデントである私を育てようという親心で、治療状況や体の状態によって揺れ動く患者の想い、家族の想いを、率直に伝えてくださいました。この運命的なスタートがあったからこそ、私のキャンサーストーリーは途切れることなく続いています。

薬剤師レジデントとして過ごす期間は3年あり、1-2年目は、薬剤師としての基本業務やすべての診療科を回りながら一通りのがん種について知識を身に着ける期間、3年目は、希望する診療科に専従することになります。
初めて担当した患者さんとそのご家族のグリーフケアにも関わった経験に強く後押しされ、私は緩和医療科に専従させてもらうことを希望しました。もちろん、呼吸器内科や消化器内科といった診療科でも緩和医療は実施されますが、緩和医療科は緩和医療を専門とする診療科です。他の診療科での緩和医療をサポートしたり、患者さんやご家族の生活により近いところで医学的、社会的なケアを提供するため、自然と多くの職種と連携することになります。
その中でも、患者さんが自分の過ごしたい場所で過ごしながら症状緩和の治療やケアを続けるための外来通院の支援やリスクマネジメント、病薬連携(病院と薬局との連携)にチャレンジしました。


薬剤師レジデント修了直前、緩和ケア病棟ナースステーションにて


そこで感じた課題を解決するべく、薬剤師レジデント修了後は大学院に進学したり、国内外の取り組みを収集してみたり、気づけばあちこち歩き回っていました。冒頭写真はあちこち歩き回る都度、薬局薬剤師に声をかけ、どんな連携をしているのかインタビューする趣味の記録をまとめたもの、海外版です。

CancerXに参加したきっかけ

2014年、1週間ほどイギリスのホスピス・緩和ケア、サポーティブケアを学ぶ英国緩和ケア研修にて、マギーズ・ウエストロンドンを訪問したことがきっかけで、マギーズ東京のキックオフミーティングに参加しました。
マギーズ東京共同代表であり、CancerX共同発起人である鈴木美穂さんにはここで出会い、社会を変える人はこんな目をしているのだ、と求心力・推進力に衝撃を受けました。
ここがCancerXとの接点の始まりになりました。

英国緩和ケア研修、マギーズ・ウエストロンドンにて


マギーズ東京にはボランティアとして、CancerXには一人の参加者として関わりながら、合計で15年ほど国立がん研究センターの中を転々としたあと、薬局向けのサービスを開発する会社に転職し、2024年現在3年目となります。病院ではなく患者さんが生活する地域で、薬局ががん・緩和医療においてもプラットフォームとして機能を充実させるには、どんなデバイスやコンテンツが必要か、考えています。
薬学部に進学したのも薬局経営者の父に身を任せた結果だったので、結局は一周回って原点に戻ってきました。

そして、転職・出産を経て、ほっと一息ついた2023年、緩和医療の勉強会で、これまた強烈な印象を私に残していたCancerXメンバーの横山太郎さんに声をかけてもらい、CancerXメンバーとして活動を始めました。父が胃がん経験者となり、ますます私事としてがんを身近に感じるようになったことも、踏み出すきっかけになりました。

今後の展望

私をここまでのストーリーに導いてくださったI先生には、度々仕事や人生について相談し、多くの助言をいただきました。にもかかわらず、先生の奥様や先生ご自身ががんを経験することになったとき、私は受け止める勇気もなく、さいごまで教え子のままでした。もっとできることがあったのではないか、と暫く悔やんでいましたが、あれが先生としての在り方だったのではないか、と思い改めています。
そして、これまでの恩返しを続けていきたいと思っています。

CancerXメンバーとしては、主に、複数の製薬企業やあらゆる立場の当事者が参加するPharmaというグループで活動しています。
Pharmaでは、企業や組織の中だけでは実現できないことを、CancerXという共通のプラットフォームを生かして解決できないか、日々議論を重ね、行動しています。
 
そこで見えてきたのは、この問題ってがんだけじゃないよね、ということです。
 
あらゆる疾患や障がいを抱えても、自分が望む毎日を過ごせるような社会の仕組みづくりに挑戦したいと思っています。  

プロフィール

沖﨑 歩/Ayumi Okizaki

千葉県出身、千葉の田舎育ち。
薬剤師。国立がん研究センター東病院薬剤師レジデント修了後、大学院を経て主に緩和ケア領域の臨床研究に従事。現在は医療IT系スタートアップ企業に勤務。
趣味は国内外の薬局をめぐり、現地の薬剤師と地域のがん医療に関する取り組みや医薬連携について会話すること。緩和ケア病棟での患者さんとの交流に、と思って始めたウクレレ歴は8年。



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