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CancerX Story ~糟谷明範 編~

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第13回はCancerX共同代表理事の糟谷明範です
(冒頭写真 photo by. ひろし)。


私のキャンサーストーリー

「医療者は患者の前で泣いちゃだめ。最後の挨拶をきちんとしなさい」

理学療法士として働きはじめて半年後。はじめて担当した方が亡くなった。腰の痛みに対してのリハビリテーション(以下、リハ)で関わっていたが、3ヶ月後に大腸がんと診断され、すでにステージⅣだった。
当時、僕は外科や内科などの一般病床とリハ専門の病床を持つ400床の中規模病院に勤めていた。普段からがん患者に対するリハの処方はほとんどなかったが「動けなくなるまでトイレは自分ひとりで行きたい」という患者からの強い希望があり、リハの処方が出ることになった。僕がいた病院では稀なケースだ。
僕にとってもがんに対してのリハは初めての経験だったので、病院の図書室で文献を漁ったり、足繁く病棟に通っては、業務の邪魔にならない時を見計らって医師や看護師に病態のことなどを聞いていた。新人理学療法士にとって、患者と関わるとの同じくらい、看護師との関わりは大事である。ちなみに言うと「業務の邪魔にならない時を見計らって」というのがポイントだ。
何もできない無力感みたいなものは常に感じていた。予後についてもそうだが、僕には知識や技術、経験が圧倒的に足りない。それでも、彼女は僕のことを気に入ってくれて事あるごとに看護師を通じて僕を病室に呼び出す。「腰が痛い」「足が重い」などの身体的なことだけではなく、呼ばれて行ったら「別に用はないんだけどね」なんてこともあった。

ある朝、出勤直後に病棟の看護師から内線が入り「朝方に亡くなったからお別れしにきて」という連絡だった。すぐに部屋に行くとまだ少し体温が感じられる彼女がそこにいて目を閉じている。
たぶん、最初に彼女にかけた言葉は「ごめんなさい」だったと記憶している。自然と流れてくる涙とともに立ち尽くしている横で、看護師は淡々とエンゼルケアを行っていた。

「医療者は患者の前で泣いちゃだめ。最後の挨拶をきちんとしなさい」1人の看護師が僕に言ってくれた言葉だ。僕らは病院の中では1人の医療者である。新人だろうがベテランだろうが患者や家族にとっては関係ない。専門家としての最善を尽くすことが僕らの仕事である。とにかく勉強して経験を積むこと。

理学療法士になって半年ちょっとの僕は彼女との関わりと看護師の言葉に、理学療法士としてのあるべき姿を想像することができた。でも、僕は医療の専門職である前に、一人の人でもある。

photo by. tadashi,ono


CancerXに参加したきっかけ

「来年の2月4日のWorld Cancer Dayに合わせて、がん患者だけでなく、そこに関わるすべての人たちと一緒にがんについて考えるようなイベントをつくりたい。もし協力してくれたらと思い連絡しました」
僕がCancerXに参加したきっかけは共同発起人である鈴木美穂からのメッセージだった。

当時、僕が代表を務めていた団体があって、そこに登壇してもらったのが彼女とのはじめての出会いである。「医療や福祉の専門職と地域住民が一緒になって医療と暮らしのことを考えよう」という団体で、年に2〜3回イベントを行っていた。イベント後は、年に1回会うかどうかの関わりで、まさかこんな素敵な連絡をもらえるとは思っていなかったので、メッセージが来た時はかなり驚いた。

僕はというと、6年ほど病院に勤めた後、訪問看護ステーションに4年勤め、2014年に起業した。訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所、カフェを事業として運営していて、決して多くはなかったががんとの関わりは続いていた。
と言っても、がんに対する専門的な知識はないし、インフルエンサーの要素も持っていない。そんな僕に何ができるだろうかと少しだけ考えた。ケアにおいて、病院ではない暮らしの視点での経験は多く持っている。その点で何か役に立てるのではないかと思い参加の意向を伝えた。もしかしたら何もできないかもという不安もあったけど、行けばきっと何かやれることがあるはずだし、さまざまな領域のステークホルダーが集まってどんなことが起こるんだろうというワクワクと、その先にどんなことが見れるのだろうかという期待が大きかった。


今後の展望

「がんと言われても動揺しない社会」

僕が普段関わっているのは医療や福祉における在宅ケアの領域であり、また社会デザインという視点でコミュニティ運営を行っている。医療と患者、医療と地域、人と人など、「と」で境界線がある関係に対して、これらの間にどのような「つながり」があれば、それぞれが望む「いい感じ」な暮らしが実現するのだろうか。この問いに向き合いながら活動をしている。

がんにおける社会の課題を考える上でもこのような境界線がある。
がんを取り巻く課題は多岐にわたる。治療や研究だけでなく、すでにCancerXが取り組んでいる就労、アピアランス、モビリティ、食と栄養、家族、情報、教育など、さまざまな側面が含まれる。さらに言えば、その人のライフステージによって課題は変わるため、がんに関わる人の数と同じくらいの課題が存在すると言っても良いと思う。

僕は課題を考える上で大切にしていることがあって、それは自分が見えている課題は本当に課題なのだろうかという視点である。目の前にある課題は本当に解決しなければいけないのだろうか。
僕が見ている世界とその人が見ている世界は違っていて、社会が見ている世界も違う。例えば、350mlの缶は円柱に見えるが、長方形や丸に見える人もいるだろう。 森が緑に見える人もいれば、黒や青、黄色などと見える人もいると思う。
社会課題に向き合う時、それぞれ見ている世界が違うという前提がないと、自分の価値を押し付けているだけの暴力的な課題解決になることもある。
特に専門家が行う課題に対する取り組みは注意が必要で、知識を持たない一般の人が専門家に言い返すことは難しく、大なり小なりそこにはパターナリスティックがあると認識した上で関わることが大切と感じる。

CancerXは医療者、政策関係者、企業、メディア、がん経験者など多様な背景キャリアを有する社員とボランティアで活動している。様々な立場のメンバーだからこそ価値観もそれぞれだ。「がんと言われても動揺しない社会」を実現するためには、外への発信と同時にメンバー間での多様な考えや生き方を尊重するような関わりを醸成していくことが必要だと考える。それぞれの価値観を共有し合えるような関わりが理想だが、人によって関わり方のタイミングや距離感が違う。まずはそれぞれの境界線上にある価値観を覗き込み、丁寧なコミュニケーションを取りながらいい感じな関係がつくれるような場づくりを行っていきたい。

「誰もが取り残されていい社会へ」

僕にとって「誰一人取り残さない社会」というワードはちょっぴり窮屈である。「取り残されることは悪だ」と言われているようにも感じるし、「取り残される人をつくらないように取り組め」という圧も感じる。SDGsが目指す社会はすごく理想的だ。行政や企業、教育機関、民間団体などはそれぞれの立場で「誰一人取り残されない社会」というスローガンのもと多くの取り組みを行っている。そして、この取り組みによって多くの「枠」がつくられている。制度、団体、ルールなどの枠組みだ。これらの「枠」によって中にいる人たちの暮らしを支えているが、「枠」に当てはまらない人も多くいる。そんな人たちを取り残すまいとまた新しい「枠」がつくられるが、また「枠」に当てはまらない人が生まれる。「枠」をつくればつくるほど、そこから溢れる人が出てくるのだ。僕は、このように「枠」から溢れる人たちを考えることが課題解決の本質だと考える。

全ての人をサポートすることはできないし、誰一人取り残さない社会なんてつくれっこない。でも、誰かと一緒にだったらそれは叶うかもしれない。「枠」から溢れることを前提として取り組むことで、自分の役割が明確になり、お互いがサポートしやすくなるのではないだろうか。例えば、自分たちの役割を「私たちはここまではできます。でも、これ以上はできない」とした上で、「私たちにはできないけど○○という団体ならできるので、そこと一緒にやりましょう」みたいな感じで、お互いがサポートしあえる関係をつくることが大切だ。

僕たちが暮らしている社会には、さまざまな領域の専門家がいて、それぞれががんの社会課題に向き合い、今ある問題を解決しようと動いている。懸命に動いているけど、課題は山積みだ。「誰一人取りさない」と頑張れば頑張るほど「枠」から溢れる人が生まれる。僕らの暮らしは日々変わっていく。昨日は誰かと一緒にいたかったけど今日はひとりでいたかったり、昨日はハッピーな気持ちでいたけど今日はちょっと寂しかったり、怒りっぽかったり。そんな変化する暮らしに対して、「枠」として画一化されたものだけでは、それぞれが望む暮らしは送れない。僕らの暮らしは誰かがつくった枠に入れられるほど単純ではないから。

「誰かがサポートするから取り残されてもいい」そんな考え方で、行政や企業、教育機関、医療機関、民間団体などが社会の課題を向き合うことで、お互いがサポートし合うようなゆるやかな関係が生まれ、結果として「誰一人取り残さない社会」が実現すると僕は信じている。

プロフィール

糟谷 明範  Akinori Kasuya
(photo by. 佐藤洋輔)

株式会社シンクハピネス 代表取締役 / 理学療法士

1982年生まれ。東京都出身。2006年に理学療法士免許取得後、総合病院、訪問看護ステーション勤務を経て、2014年に株式会社シンクハピネスを創業。「“いま”のしあわせをつくる」をビジョンに東京都府中市で活動している。
現在は、LIC訪問看護リハビリステーション(訪問看護)、LIC居宅介護支援事業所(居宅介護支援)、FLAT STAND(カフェ&コミュニティ)という3つの事業を行いながら、子どもたちが集うアトリエや、学生が運営するコミュニティスペース、お菓子工房、オフィス、お店などさまざまな人やモノ、コトが集まる「たまれ」という場づくりをしている。
2023年に社会デザイン学修士取得。現在は社会デザインの可能性を多彩な視点から拡げていくためのメディア、ブルーブラックマガジンで連載を担当している。



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