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出会いと別れ おつかれさまでした
本日、僕のカテ人生で最も肝転移のカテを実施させて頂いた患者さんが転院されていった。
肝臓はカテに向いている臓器とはいえ、通常の塞栓術なら2−3回、薬剤の動注だけでも6−8回で必ず肝動脈が荒廃して、十分な塞栓物質や抗がん剤が腫瘍に到達しなくなる。だから、どの薬剤を、どのくらいの治療間隔と量で入れるか、タイトに治療すれば効果はあがるかもしれないが肝動脈が潰れて結果的に治療が長続きしない=早くがんが再燃する、ことになるし、軽く、そして治療間隔を1ヶ月以上あけて繰り返せば、例えその場では一瞬奏功しても、カテに耐性の細胞が十分に増殖する期間を与えてしまい、次にやるときは前回と逆に効果がでなくなることもある。
だから、患者さんの状態、腫瘍の状態をみながら、今がんばるべきか、今は休むべきか、その治療スケジュールを患者さんと最初からよくよく相談してカテを繰り返している。
上記の患者さんは、他院に入院していたが、肝転移が切迫して寝たきりの状態で、ご家族が相談にきて、うちに転院させてうちで治療をしてほしいと希望された(と記憶しています)。とにかく、うちより大きな総合病院でギブアップされ、状態が非常に悪く寝たきりで緩和治療も満足に受けれていない状態から、転院で受けることは、医者としても一定の覚悟が必要だったが、その当時は、このようなチャレンジを少しずつするようになっていた時期で、すぐに転院を決めて前医から直接入院してもらった。
最初は、本当に寝たきりで、肝臓ががんで腫れ上がってお腹がすごく出張っていて、ご飯も全く食べれず、採血は電解質(ナトリウムやカリウム)もめちゃめちゃで、よくここまでと思うくらい肝臓の数値、特にLDHやALPといった酵素系が全部4桁でめちゃめちゃだった。この患者さんを全身管理し、カテで肝転移をなんとかできるか、最初は五分五分だと思った。いや、難しいと思ったかな。
当時、僕と一緒にがんカテを支えてくれていた、今は産休の看護師も同様に思ったらしい。当時、彼女と患者さんの状態のことでよく相談したのを覚えている。
とにかく、治療に踏み切った。
最初の動注が22年の10月初旬だった。
今思えば、よくやったと思う。カテの直前に内科的にいろいろと採血値を少しでも改善する治療をして、とにかくカテをやった。
やってよかった。患者さんは、カテの翌日には、起き上がって、楽になったと話してた。ご飯も食べ始めた。寝たきりだったのに歩き始めた。
主治医として、やったね、と思った、そのくらい勝負だったから。
そして、上記の看護師も、その頃は、こういうようにカテが即効性のことがあることを彼女も知っていたが、患者さんがどんどんよくなる経過に驚き喜んでくれていた。
そこから、長い付き合いとなった。
患者さんが最初に退院できるまで数回の動注とともに、ステロイド含めた緩和治療、電解質異常はかなり手こずって慣れない内科的治療も繰り返した。
でも、最初に入院してから10日後で退院された時は、
前医であのままなら本当に数ヶ月、下手したら数週間だったと思うと、退院できたことは僕も嬉しかった。
そして、カテを繰り返した。
カテが彼女の命綱であり、カテをすると明らかに腫瘍の増悪が止まり、時に縮小し、採血は改善した。ただ、その時々でしばらくすると肝機能が少しずつ悪化し、そのたびにカテで採血を戻した。
途中、原因不明の薬疹を起こしたり、コロナになったりして、治療を比較的長期間中断する必要があった。そのたびにカテが休止され、そして肝転移が悪化した。
それをまたカテで戻した。縮小させた。
通常はさすがに何度かカテをすれば、治療自体に耐性化してしまう。
結果的には、この患者さんは、最後まで同じ抗がん剤しか使用していない。
一度、他の薬剤を試したが、すぐに戻した。
この抗がん剤が一番だったから。
1年は、患者さんは本当に元気にすごされていた。
昨年の秋口には確かオランダ?に海外旅行にも行かれた。
主治医としては多少不安ではあったが、カテを少しだけ休んで、遊びに行かれた。
元気に帰国されて、行ってもらって本当によかった、カテを続けたことで
寝たきりの患者さんが海外旅行までできるようになったことに、自分も誇らしげに感じた。
今年に入り、徐々に治療が効かなくなり、コロナの感染の後は、
肝転移を縮小させることが難しくなった。
しかし、治療をしなければあっという間に増大する肝転移に対して
定期的に動注することで、その後とも肝転移は増大することなく維持できた。
大切な目安は腫瘍マーカーではなく、肝機能だ。
いつも書いているが、肝転移の病勢を示す良い数値がALPとLDHとCRPだ。
これを横ばいにしておけば、そうそう全身状態は変わらない。
その採血値が、4月頃から制御できなくなった。
詳細は書けないが、がん以外にも併存病が顕著に認められるようになった。
癌治療は、死ぬ直前までするものではない。
死ぬ1週間前に抗がん剤を打っていた医者がいたとしたら
それはその医者が、患者のこと、癌治療のことをなにもわかっていない証拠。
緩和治療は積極的治療とともに早期に導入し、患者さんがまだ全身状態が保たれているうちに、効果のでない癌治療はやめて、余生をめいいっぱい楽しく充実してすごしていただく。
この考え方は、日本医科大学 武蔵小杉病院腫瘍内科の勝俣先生のお考えをもうかなり昔に聞いて、その通りと思い、カテもギリギリの患者さんまでやっていない。
逆に、ギリギリの患者さんでも、カテでよくなる可能性があったら
この患者さんのように勝負する。
それは、この治療が原因で、副作用で、体調が悪くなる可能性よりも
がんを制御することで逆に元気にさせることを目的とした治療だから。
話を戻すが、結論として、僕は彼女に
26回の肝動注、塞栓術を実施した。
僕が、彼女にいつもあなたが僕の医者人生で一番カテをやっているんだよというと嬉しそうに、頑張りますとこたえてくれた。
今回、27回目の動注の予定で入院させたが
僕は、これ以上の治療を選択せず、緩和治療に移行することを決めた。
少し、彼女には治療を頑張ってもらいすぎたかもしれない。
でも、治療をすると、翌日には癌性症状が軽くなって元気になることを25回見てきたので、ついつい回数が多くなってしまったかもしれない。
そして、この治療が、彼女を延命させたと、主治医として自信をもって言える。
22年10月からだから、約1年と9ヶ月、長いお付き合いだった。
本日、彼女は緩和治療のために転院していった。
患者さんがお亡くなりになられるときより、寂しい気持ちになった。
ともに闘った同志のような、そんな気分だったし、最期まで責任持って自分が見届けたいとも思っていたから。
先ほども、本人、ご家族にお別れをしてきて、大変感謝していただいた。
やはり寂しい気分だ。
僕は、彼女に伝えた。
少し頑張りすぎたかもしれないけど、僕のところに治療にきてくれてありがとう。
僕は、あなたを元気にさせることができたし、命も長くさせることが出来たと思っています。
そしてあたなも僕の治療に頑張ってついてきてくれた。
本当にお疲れさま。そして、本当によく頑張った。
だから、これからの時間、ゆっくり休んでください。
それと、僕は常に、患者さんの治療を通して、学んでいます。
エビデンスが通用しない難しい患者さんばかりを治療しているので、
正直、正解がわからないことも多い。
手探りのこともある。
でもだからこそ、患者さんひとりひとりの経過をしっかりと研究して、
それをまとめて、学会や論文に発表してきた。
決してエビデンスまでにはならかいが、
この治療をすればこの患者さんにはこれくらいの効果が期待できる
そういう数字を自分がもつことで、次に同様の患者さんがきた時に
それを提示し、そして治療を継続することができる
あなたのがんばりが、あなたと同様の、あなたと同じ病気で苦しんでいる患者さんを確実に救ってきてるんです。
だから、あなたは同様の多くの患者さんの礎となってみんなを今も支え続けているんです。
そう伝えた。
医者が、感覚ではなく、科学者として数字を持って治療を積みさねることは義務であり、次の患者の治療を向上させる。
僕は、彼女を救ってきたと思うし、僕はいろんなことを教えてもらった。
ありがとうございました。
そして、かなり寂しいですが、楽しい時間でした。
おつかれさまでした。
このブログ記事は、あなたとご主人への手紙のつもりで書かせてもらいました。
以前、アメブロを書いていた時は、そのブログをみて多くの患者さんが僕のところに相談、治療に来られました。
今はいろいろ事情があり、最近は特にブログが書きにくい状況ですが、
このような個人的なブログは今後も書き続けようと思います。
吹田のがんカテ、僕のがん治療に対する考え方、
がん全般のこと、がんと診断されたときにどう自分と向き合っていくべきか
以前にアメブロで6〜7年書き続けてきましたので、
また道に迷ったらアメブロの方も読んでくださると助かります。
とにかく、今はあまりブログが書けない状況なので、過去のアメブロ記事もよろしくお願いします。(ニャンコ先生のがんカテーテル治療センター)
本日は以上です。