真実を話すことの難しさ
Bad news は、患者さんにとって聞くのは嫌なことだが
医者にとっても話したくないことだ。
医師には説明をする義務がある。
医療は日進月歩で進歩しており、良い話をする機会が同じ状況下でも増えたはずだ。
しかし、人間の体はまだまだ未知だ
つまり、医療には限界がある。
医療者は、やはりその限界を知っている。
その時に、その事実を医療側と患者さん側はやはり謙虚に受け止める必要があると思う。
分からないことは分からない。わからないことがあることが当たり前だというのが医療。
余命についても、これに該当します。
自分は、わからないことは正直にわからない、と言ってます。
わからない範囲で、推測も言います。 可能性も話します。
そして、全く予測もできないことは、そう話します。
人間の体という、まだまだ神秘なものに対して、今の人類(大袈裟だが)が全てコントロールできるはずがない。
そんな事実が背景があるから、変な宗教的なやつが付け入るスキができちゃうんだろうけど。
がんという、難しい病気に直面している患者さんや家族は
様々な気持ち、希望、葛藤、憤り、恐怖などに直面し
不安でしょう。
そうなると、未知なる病気に対して完璧な結果を求める考えは
自分自身を苦しめることになります。
結果として、
横ばいも立派な結果ですよ、治療が効いているってことですよ
と話すこともしばしば
すなわち、共存。
悪くならずの、症状も落ち着いて、普通の生活が、長くおくれる。
立派な結果。
「完治するかも」とウソをついて、患者さんをその後に絶望に落とし込む
B型的な、楽観的診療は、その場は患者さんも夢見ますけど
その後の絶望感は言葉にならないと思う。
医療者は常に最善を尽くすべきですが、事実に対して謙虚に、その事実を患者さんに理解してもらう努力が必要。
逆も然りで、患者さんにも努力が必要だと思う。
理解し受け止める努力。
医療は医療側と患者さん側がともに協力して作り上げていくもの。
僕らがしている医療行為は、患者さんが治る、良くなることへの、お手伝い。
俺が治している、ていう、オレ様主人公的な考えはだめで、
良い結果の時は、良かったですね、頑張りましたね、と話している。
医療の主役は患者さんだから。
例え、自分の実施したカテの技術的な部分が、今日は素晴らしくうまくいったなあ、と思っても、うちではスタッフ一同、だーれも褒めもしないし共感もしないので(笑)
自分で、「今のやつは、めちゃうまかったなあ・・・」と独り言つぶやきながらカテしているのは
自分の患者さんたちは結構知ってる光景だと思う。
残念なことに、カテは技術100点でも、結果に直接結びつきません。
100点に近い技術を提供することは当たり前で、そのうえで、様々な薬剤や医療行為を重ねて、がん治療としてまとめ上げることが大切。
だから、めっちゃうまく出来たとしても、それは自分の中での自己満足として、消化してます。
今年のカテ納めは12/26日です。たぶん、皆さん、30日には
退院出来ているでしょう。
年末年始は、がん患者さんも、医療者の皆さんも、ゆっくりと休めるように
(ああ、医療者はそうそう休めませんね。。。)