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後悔する必要ってないと思います

どこまでいっても後悔するなら・・・

母のことを思い後悔することが実はたっくさんあります。
在宅で過ごしている時も
・なんであんなこといってしまったのだろう
・どうして、仕事をもっとセーブできなかったのだろう
・周囲の期待>母のこと、になっていた。
・最後の受診で結構しんどい時、仕事の調整をつけれなかった(結局は調整ついて受診できたけど、仕事を押し切るべきだった)
・喧嘩してしまったこともある
・こんな治療(丸山ワクチン)をしたいといっていたが、あまり信用できていなかった(その治療そのものが、いいか、悪いかではないです)
もうこんもりあります。何千文字にもなりそうなので、ここでやめておきます

元気な時の後悔

そうなると、昔の時のことも思い出されてきます。それこそ、もうどんだけでも出てきてしまいます。
・どうして早く気づいてあげれなかったのか
・きっと私のことで心配させていたからだ
・家庭的にも複雑な状況があって、きっとそれだろう
・高校出てすぐ看護学校にはいっていればよかった(最初はプログラマーとして働いていました。)そしたら金銭的にももっといろいろできていた
・わがままばかりいっていた
・うまくいかないのを母のせいしにしていた
・ありがとう、この一言をあまりいってなかった
これも、こんもりあるので、ここらへんにしておきます。

治療に関しての後悔がったかというと?

でも、でも、最善をつくして、その時の最善をつくして考えて、話し合ってのことなんです。あの時はあれで精一杯だった。そう思えれば、いいのではないかと思います。後から、あ〜すればよかった、こうすればよかった、ってきっと、いつまでも、どこまでも、出てくると思います。
でも、その時の自分はそれしか考えられないし、そういう行動を取ったので、つまり、母としっかり話し合って、内服の抗癌剤治療と放射線だけしようと、決めまして。医師にもはっきりと言いました。追加の点滴抗がん剤も放射線もしない決断をしました。それでよかったのです。
放射線なんて、全身骨転移だったから、末梢神経障害で歩行困難も考えられると言われ、さすがに迷いました。でも、起こりませんでした。おばあちゃんとかご先祖さまが守ってくださったでしょうか?わかりませんが、最後の意識混濁するまで、なんとかトイレまでは行けました。

なので、後悔はないといえばちょっと違うけど、でも、あれしかできなかったよな、という気持ちもあります

仕事の後悔

私の仕事はやや後悔が残ります。人間関係などもあり、一時的に管理職を引き受ける形になりました。やはり忙しいものですね。休みでも電話きたり、なにかと作る資料があったり、見るもの、準備など、時間をゆっくりって、あまりできなかったです。けっこうぎりぎりまでやっていて、

もう無理、母から目が離せない状況になってしまった!

ここまでぎりぎりまで仕事をしていました。
そして急に休みをもらうことになりました。逆に調整なんかでご迷惑をかける形にもなってしまった。
まぁ、あえていいことを思うなら、一応信頼をおけたので、その後の調整はつきやすかったかな、とは思います。
が、もう少し早く調整をつけるべきだったとは、思います。ここらへんが、どうも私たち日本人は苦手かもしれないですね。ひとくくりにして考えると、そうじゃない人たちもいるとはおもいますが、でも、なんとか周囲の期待に応えたいと思ってしまう人、多いんじゃないかな〜と思います。私の周りの人たちはけっこうそんな人たちが多かったように見えます。
だけど、大切な家族の最後の瞬間はできれば、いてあげたい、そう思います。悔いのないように・・・

後悔しないために

その時の最善を尽くす。一生懸命考えて、行動する。

これができていればいいのではないかな〜と思います。思いますっていうか、そうなのです。やや自分に言い聞かせている部分がありますが、というのは、こころってやっぱり計算機みたいにいかないです。1+1=2って明確じゃないから。でも、少しずつ少しずつ、変わっていければいいかなと思います。


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安心できる介護へのロードマップ/山川 さちえ
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