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フォトエッセイ【Canayell 】神在月号


寒露になり秋の夜長が楽しくなる頃。
“夜長”というのだから、たまには遅くまで起きて、普段なかなか手が付けられない片付けや服のお直しなどをしようと思うのですが、なにせ朝型人間なもんですから、21時か22時には睡魔が「すいませーん」などと眠気のテンションと寒ざむしい駄洒落を土産にご来訪されるので、理想は泡となり消え失せます。

20代までは平気だったことが、なかなか小難しくなってきました。30代というのは、微妙な狭間の年齢なのでしょうかね。しかし、それと同時に、落ち着きというものを得たと思います。
こうした時間の使い方からモノ選び、食事、ファッション、暮らしに欠かせない事柄全てに。
私は、ヤングケアラーの時には、なんでしょうね、社会の影の部分というものをいろいろ見たり体験してきてしまった影響か、俯瞰して見定める眼力みたいなものをちょっとは養えたように思います。

「ヤングケアラー相談窓口」というものが現代では設けられておりますが、私の頃(十数年前)はそんなものはなく、むしろデイケアや介護士に親の介護でヘルプを求めても、「親御さんが帰ってきてから、親御さんと一緒にお電話してきてね」と親の介護をしている子ども(高校生~大学生でしたけど)を子ども扱いして門前払いされてるので、テレビでヤングケアラー相談窓口の取り組みを見ても、きっとそうした利用者を下に見た対応なのは変わっていないのだろうとしか思えないのです。母も受けた介護施設の虐待が未だに後を絶たないのと同じように。
更に言うと実際に介護をしていますと、相談窓口を利用する時間もありませんから。炊事洗濯の合間に認知症の母の衣食と下の世話をしており、その時間も実にタイトですから。自分も学業がありますから。味噌汁の湯を沸かしてる間に、風呂掃除と母をトイレに連れていく(重くて居間からトイレまでの数メートルの移動が困難、腰痛持ちになる)→トイレに座らせ、続風呂掃除と味噌汁の味噌を溶かす→その間に母を食べさせる準備などなど、2~3時間が数秒で終わる感覚。電話相談なんて、受話器を持つよりも、やること満載なのです。自分の心などはとっくにどこかに置いてきぼりでしたね。

その介護も9年前に終わり、こんなに平穏な生活に戻れるとは当時は想像もできませんでした。ですから、時間の使い方や人との関わりを大切に慈しんでいきたいと、様々な概念やマインドが落ち着いたのではないかと思います。

秋澄む風に乗り、金木犀の香りに包まれる朝。秋ももう中盤になってきた。

我が街みなとみらいでは、早くも街路樹への電飾の取り付けが始まりました。デパートでは、おせち商戦。箱根路を走る大学も出揃いましたね。残念ながら、神奈川大学は僅かな差で落選してしまいましたが、流した涙の分、来年の予選会を経て箱根への切符を掴んで欲しいですね。大半を神奈川県を走り抜けるのだから、神奈川県の大学には出てほしいと思う地元民の気持ちです。

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